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ヒロセと母

 少しうつむいていたヒロセが「…ダメだな」と言った。

「すげえ、ほんとに…すげえかっこわりい」とつぶやく。

私もうつむいてしまう。

「こういう感じで付き合おうって言ってもうまくいかないのはわかる」

そういうヒロセにうつむいたまま首を振る。

「し、もうなんか嫌だ」と続けるヒロセに胃の下の辺りがズクッとする。

「オレが、自分の事が嫌。キモトの弟には、すぐにキモトに告ったりする事はないって言ってけん制しといて、実際慌てて告ってるし。一緒に旅行に行くって聞いて…ほら、…もう、すぐにキモトがエロい事されるとこ想像したし。いや、だってするだろ?ずっと好きだったヤツと一緒に泊まりの旅行とか、そんなの親がいたってチャンスでしかないじゃん」

ヒロセでもそんな風に考えるんだ…

「でも!でもチハル、告られたって言ってた。小学一緒だった子で私の事も知ってる子だって」

「…あそう」

あそうて。「むかしから知ってた子は断りにくいっぽい事言ってたし」

「ほんとなんでも姉ちゃんに話すんだな」呆れたように言うヒロセ。

「そんな事ない!ほんとにこんなに喋るようになったの、高校に入ってからなんだって」

言った私を残念な目で見るヒロセだ。



 「やっぱごめんキモト。全部無しにするわ」

え~~~~~~~!!

 …いや…いやそんな…

 私もどうかと実際思ったけど。ヒロセが言ってくれた事はものすごく嬉しかったけど、チハルの事がなかったら、今告白はされていない。第一好きだって言ってくれながら、ヒロセの顔がずっと機嫌悪そうだったし。

 ヒロセが焦ってくれた事はとてつもなく嬉しいけれど、そしてすごくドキドキもしたけど、でもヒロセの顔を見ていたらわかる。チハルがあんな感じだからヒロセも急にムキになってるんだって。このままヒロセが言ってくれたように、彼女になれたとしてもすぐダメになりそうだって私にもわかる。



 「旅行に行って欲しくないけどでも」とヒロセ。「キモトが行かないつったら弟だって行かねえだろ?そしたら二人で残るわけじゃん」

「でも一緒に住んでないから…」

「そんなのすぐ来るに決まってんじゃん!」

「…チハルはうちの鍵を持ってないの」

どういう事かと聞くのでわけを話すとヒロセは大きくため息をついた。

「それは親もがっつり理解してるっつう事だよな…なんかすげえ…キモトの母さん…すげぇつか怖え」

「…」


 「あ~~~もう!阻止したい!」

急にヒロセが大きな声を出したのでビクッとした。

「なんかもうオレの頭の中で…」

「?」

「アイツに良くない事されそうになるキモトしか浮かばねぇ…ああっ!もう腹立つ!やっぱダメだこのままだとイライラする。今日このままキモトとどっか行こうかと思ったけどダメだ。ちょっ…嫌だと思うだろうけど、キモトのうち戻らせて」




 そして今うちのリビングのソファに座るヒロセ。

「あらあらあらあら…帰って来ちゃったの?」と言った母に迎えられ、「いえ、ちょっとお話が…」と言い出したヒロセに不安を覚える私だ。

「あの、お母さん…」と言った後黙り込むヒロセ。

母がヒロセの斜め前に腰かけた。テーブルには母が入れてくれたホットミルクティーと母の手作りのスィートポテトが乗っているが誰も手を付けていない。私は落ち着かなくなってソファから立ち上がり、続きのキッチンのテーブルの周りを1回まわってリビングに一番近い椅子に腰かけた。


 「ヒロセ君?」と母。「冷めないうちにどうぞ」

「あのお母さん!」もう一度ヒロセが言った。

「はい」と静かに答える母。

「旅行!…旅行行くってキモト…あ、いえ、チナさんから聞きました」

こくん、とうなずいて微笑む母。ドキン、とする私だ。初めてヒロセから下の名前を呼ばれた。

「それでその…」言いにくそうに口にするヒロセ。「弟と血がつながってない事聞きました。…すみません…心配なんです…その…言いにくいんですけど…」

母はヒロセの一言一言にうんうんと、ゆっくりうなずく。

「オレなんかが、あ、いえ、僕なんかがチナさんの家族の事に口を出すのは可笑しいかもしれませんが、でもオレは!…オレは嫌なんです。キモトが…」

言いかけて私の顔を見たヒロセがそれ以上言うのを止める。

困った顔をしているヒロセに母がニッコリと笑って言った。

「ヒロセ君ありがとう。チナちゃんの事を大事に思ってくれて」

母が言ったストレートな感謝の言葉にヒロセは驚いている。



 母が聞いた。「ヒロセ君はチナちゃんの事を好きでいてくれてるんだよね?」

「お母さん!」と私が止める。

が、母は続けた。「チナちゃんが一方的にチハルに気持ちを押しつけられないかって心配してくれてるのがすごくわかる。好きだと思ってくれてなきゃ、わざわざそんな事私にまで言ってくれたりしないもんねえ?」

「…はい」少しうつむいて答えるヒロセ。

「でもチナちゃんと今すぐ付き合うつもりはないと」

「…」また驚くヒロセ。

「チナちゃんとヒロセ君がせっかく、お互いの気持ちを大事にしながらだんだん仲良くなって行こうとしてるのに、チナちゃんを好きな義理の弟が思い切り邪魔して来てるし、その上一緒に泊まりの旅行に行くわけだもんねえ?」

「…」


 「あの…お母さん…」

私もどう言っていいかわからず、ただこの場のよくない雰囲気を一瞬でも断ち切ろうと口を挟む。もう胃が痛くてたまらない。ヒロセはきっともっとしんどいはず。

「あのね、」と母。「ヒロセ君にさっきチナちゃんのそばで『お母さん』て呼ばれた時、全然嫌な気持ちはしなかった。むしろヒロセ君みたいな素敵な子がチナちゃんのために、言いにくい事を私に直接話してくれようとして本当に嬉しかった。それでね、ヒロセ君みたいな素敵な子とチナちゃんが付き合えたらいいな、って思うんだよ?結構本気で。でもね、チハルの事を好きになった女の子が同じようにうちにやって来て、私の事を『お母さん』て呼んで、チハル君が大事とか言っても、私、なんとも思わないと思うんだよね」

きょとん、としているヒロセ。


 「お母さん…」とまたどうにか、母がこれ以上ヒロセに何か言うのを止めようとしてみる私。

でも母は止めない。「今ほら、おばちゃん、『チナちゃん』て呼んでるでしょ?ほんとだったらヒロセ君の前では『チナ』って呼ばなきゃいけないなって思うんだけど呼べないんだよね、自分の本当の娘じゃないから。ヒロセ君の事いいなって、ヒロセ君といたらチナちゃん幸せになれるかもって思うんだけど、でもチナちゃんが私から離れたらと思うとものすごく寂しいの。1回離れたら血がつながってないからずっと離れてっちゃうかもしれないし」

「そんな事ないよ!」慌てて否定する。「私はお母さんの事いつまでもずっと…」

「それは、」とヒロセが言う。「弟と付き合ったらずっと自分の所に置いておけるって意味で言ってんですか?」

「でもね、」と母。「それも難しいところなのよ。だってヒロセ君と付き合った方がチナちゃん幸せなんだろうなって思うんだもん」

「…」何かヒロセが言いかけるが後が続かない。


 二人が私のために言ってくれている事はとても嬉しいのに、ズクズクした変な気持ちがずっとお腹と胸の辺りでぐるぐると回っている。

 私はそれでどうするんだろう。私がただ、ヒロセをもっとすごく好きな気持ちになって、ヒロセが私とチハルの事を多少変な目で見ても、そんなの全然関係ないよって明るく強く言えてたら、こんな事にはなってないんじゃないの?私がバカで、変に家族を守り過ぎて、チハルに流されてるのが悪いんだよね…


「おばちゃんね、」と母がヒロセに言う。「今のこのままがずっと続けばいいのになって思うんだよね。この先、チナちゃんが大学行ったりして、家から離れて欲しくないけど本当にチナちゃんが出たいと思ったら、やっぱり家から出してあげたいし…嫌だけどやっぱりチナちゃんの良いようにしてあげなきゃ…」

私も家から出たいと思っていた。それはチハルを家に、母の所に戻してあげたいって気持ちがあったからだ。チハルが私や父といるのを嫌がって家を出たと思っていたから。


 

 母の話を聞いてしばらく黙っていたヒロセが静かに言った。

「それならなおさらです。チナさんが弟に、…なにか…無理矢理される事がないようにしてあげて下さい。絶対に」

 ぱあっと、驚いたような、でもとても嬉しそうな顔をした母がニッコリと笑って言った。

「本当にありがとうヒロセ君。…チハルの事、ごめんね」





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