お母さん
部屋に戻り、それは私も嫌かも、と思う。
例えばショッピングモールであった3人の女の子たちみたいなキャラキャラした子に『お姉さん』て呼ばれたとする。いや、あの時も呼ばれたけど、実際チハルの彼女になった子に呼ばれるのとはわけが違う。
…っていうか、だいたいチハルが本当の弟ではないわけだから違和感があるのは仕方ないけれど、私が『お姉さん』て呼ばれてもこの際そんなのはどうでもいい。
そういう子たちが母の事を『お母さん』と呼ぶのは、私も嫌な気がする。
私のお母さんなのに。
それで将来チハルが結婚したら、相手の子が見た目だけじゃなく、チハルのわかりにくい優しさとかもわかって結婚したとしたら、私よりその子の方が母に大事にされるんじゃないの?
チハルの事を中身で好きだと思ってくれた子ならなおさらだ。大事に思って当然。家族的にもすごく良い事で私にも嬉しい事であるはずなのに、でもどうしようなんか…それはものすごく嫌だ。
父とは違うのだ。チハルの彼女が父の事を『お父さん』と呼んでも、本当の子どもは私だけど、母は違う。その子も私も同じ、他人なのだ。
どうして私はいつもこんなに考えが浅いんだろう。浅い浅い…私の考えは浅い。
チハルと私が仮にそういう恋人みたいな感じになって、別れてからの母との関係の気まずさは考え付いていたのに。
いや、目の前の家族旅行の事をまず考えないと。
私がどうしても嫌ならチハルを置いていくって母は言っていた。でも祖母はどうだろう。私が参加するのに、そのせいで自分の本当の孫が留守番とか有り得ないよね。
じゃあやっぱり私が行くのを止めたら…母があんなに一緒に行きたいって言ってくれたのは確かにうれしかったけれど、あんな風に言ったら私が断れないのわかってるからだと思う。
たぶん今の状態のチハルなら私が行かないなら自分も行かないって言いそう。
結局もう行く他ないんじゃないの…
こうやって不可抗力みたいに感じながら、私はだらだらと流されていっているような気がする。
いろいろ迷い悩んでいるところへヒロセからラインだ。
「で?どうする?」って送られてきた画面にさらに迷う。
ヒロセと会うなら家族旅行の話もしなきゃいけない。旅行に行かない日にヒロセと会って、旅行の事は黙っておく事も出来るけれど、後からそれをヒロセが知ったら、きっとまた気を悪くしてしまう。ヒロセを嫌な気持ちにさせたくないなら、やっぱり旅行に行くのを止めたらいいんだよね。
旅行は5月の3日と4日の予定だ。
行くか行かないか早く決めなきゃ。それでヒロセにも早く返事しなきゃ。思いながらスマホを握っているとチハルから電話が来た。
無視する私だ。ヒロセにちゃんとラインを送ってからチハルには掛け直そう。
「家族では旅行の予定はないって言ってたけど、おばあちゃんが家族みんなで出かようかって言ってて…」
…なんかせこいな言い訳の書き出しだな。
トントン、と部屋のドアが叩かれた。
返事をすると、ドアを開けた母が家電の子機を差し出す。
「チハルからなんだけど。なんか…お父さんがラインでもう、みんなで旅行行く事話しちゃったんだって。チハルがチナちゃんに電話したけど出なかったから出してって言うんけど、出るの嫌?」
とたんに「いいから代わって」とチハルの声が聞こえる。
お母さんもう~~保留にしてないじゃん!
電話に出ると母はドアを閉めて下へ降りて行った。
「なあ、」とチハル。「嫌じゃねえの?」
「旅行の事?」
「父さんがすげえハイテンションで電話もかけて来たけど。ちゃんと知ってんのかと思って」
「知ってたけど…」
「何でさっき電話に出なかった?」
面倒なのでウソをつく。「…トイレ行ってた」
「それで行くん?」
「…」
「やっぱ行きたくねえの?」
温泉には行きたいけど、それに母が言ったように家族と一緒だから別にチハルも普通にしてるとは思うけど…
チハルが聞いた。「ヒロセにどう思われるかって考えてんの?」
まさにそう思っていたのでドキリとする。
「なあ、」そう言ってちょっとため息をついてチハルが続ける。「ヒロセはすごく良いヤツだってオレも思う。姉ちゃんが好きになるのはよくわかった」
「…」
「この前辞典返しに言った時廊下でヒロセにつかまった。姉ちゃんいねえぞって」
この間ヒロセが先に帰った時に?胸がドクドクっとする。
「ヒロセに何言ったの?」
「ヒロセに普通に怒られた。もっと普通にしろって。姉ちゃんと血がつながってねえ事聞いたって。でも別にどうも思ってねえからなって。話したのは、ヒロセにまんま受け入れられたいって事?」
「違う。あんたが!…あんたとの事がヒロセに気持ち悪がられるのがいやだったから!」
「そっか」
そっかじゃねえわ!
「買い物しに行って私があんたにリストバンド買ってあげた事1年の間で回ってたって」
「あ~あれな」
「あれなじゃない」
「とにかくヒロセが言うには…」
「ヒロセさん」
「ヒロセさんが言うには、もうちょっと気持ちを抑えないと姉ちゃんが変な目で見られるって。男のオレよりも姉ちゃんの方が変な目で見られるから、あんまり目立つ事はしてやんないでくれって。まあそれはオレもわかってたんだけど」
「わかっててなんですんのよ!?」
「嫌だったからに決まってんじゃん、邪魔したかったからヒロセとの事。一緒のクラスとか腹立つし。やっとオレだって同じ学校になったとこなのに」
「それでヒロセは、自分も姉ちゃんの事いいなって思ってるけど、いきなり告って付き合ったりとかはないからって言ってた」
…そうなんだ…私にもそう言ってくれてたけど…
「だから」とチハルが続ける。「焦って姉ちゃんが困るような事はすんなって」
いきなり告って付き合ったりはないって言われてるのに、胸が温かくなる。
「それで?」とチハルが話を変える。「行くの行かないの?」
「おばあちゃんがせっかく言い出してくれてるし、温泉好きだから行きたいけど」
「けど?ヒロセが知ったらオレと一緒だと嫌だと思われるから?」
「お母さんが、私がチハルの事そんなに嫌だったらチハル置いて行こうって言ってた」
ハハハ、とチハルが笑う。「そうそう!まずカマかけたしな。ばあちゃんのいる前で」
「お母さん、あんたのウソはすぐわかるんだって」
「知ってる」
「私のも…私の嘘もすぐわかってるのかな、お母さん」
「さあ。どんなウソついてんの?」
「…ついてない」
ウソはついていない。ちょっとしか。黙っている事はあるけど。
「お母さんね、あんたを見た目だけで選ぶような子に、」言いながら、なんでこんな事までベラベラ喋ってんだ私、と思う。「『お母さん』て言われたらちょっと嫌なんだって」
「…それ母さんが言ってたの?姉ちゃんに?」
私も嫌だと思ってしまったのだ。他の女の子が母を、私のように『お母さん』て呼んだりしたら。
「あ~~でも…今日告られた」
「…」
「姉ちゃんも知ってっかも。小学一緒だったヤツで、そいつは姉ちゃんも知ってるって。仲間班一緒だったって姉ちゃんと。『お姉さんの事も好き』って言ってたけど」
誰だろう…
仲間班と言うのは小学生の時の1年から6年までごちゃ混ぜになった縦割りの班で、全校遠足とか、秋祭りとか、運動会の時とかに上級生が下級生の面倒を見るようになっていた。
顔を見たらわかるかな…
「返事をしたの?」と聞く。
「こっちが知らないやつに告られたら簡単に断れるけど」
簡単に断るな。みんな頑張って頑張って告ってんのに。
チハルが言う。「やっぱ知ってるやつに告られたら、なんかな」
なんかなってなんだよ。
…私の事が好きだとか言ってたくせに、すぐに断りはしないんだ?
「ヒロセも言ってたんだけど」とチハル。「わざわざ姉ちゃんとか好きにならなくても他にも相手がいるだろうって」




