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量子

 たいしてしたくもないのに用を足して、それでもやっと落ち着いてきて、チハルの元に帰ろうと学習室の入口まで戻ると、チハルのいる席に中学生らしき女子が増えていた。残っていた1席と私が座っていた席にも女の子が腰かけている。

 その6人がけのテーブルの真ん中に置いたノートを使って、チハルが5人に何か教えてるところだ。

 どうしたチハル。きゃぴるムスメたちを嫌がってたっぽいのに、本当はそんなに嫌でもなかったか。可愛い年下の女の子たちに教えて~~とか言われたら結構嬉しかったりなんか…

 離れた所の席に座っている女の子たちもチラチラ羨ましそうに見ている。



 なんだ、面倒見の良いところもあるんじゃん。

 でも帰りにくいな。今戻ったら私の席に座ってる子はどうするのかな…、せっかくみんなで教えてもらってるところにって思われて、睨まれでもしたら嫌だな。

 別の席に移るにも私の道具はあそこに置いたままだし…



 遠目にチハルを見て迷っている所へ、ポン、と肩が叩かれた。

ビクッと振り向くとヒロセだ!「どうしたの!?」

「いや、そんなに驚かなくても」ヒロセが笑う。「いや、まだいるかなって思って。あ、いやオレも借りたい本があったからだけど。弟は?」

「あそこ」と私が指差した方を見てヒロセが「お~~~」と言う。

「弱冠ハーレムっぽいな」

「あんな優しいキャラじゃないんだよ、私の前では」

「そりゃそうだろ、歳の近い姉弟だったら」

「…そうだよね」


 「なあなあ、この本どこにあると思う?」

ヒロセがスマホの画面を見せる。全体的に黄色い表紙の本で、箱に入った猫の絵の入ったそれは、『今度こそ理解できる!シュレーディンガー方程式入門』という題だった。

「何の本?」

「物理」

「物理の本?そういうのに興味あるの?」

「この間物理の高森に薦められた」

「検索してもらえば?」

言った私を残念そうに、でも少し面白そうに見るヒロセ。

「もう~~キモト~~。そんな楽しくねえ事言うなよ。一緒に探して欲しいって事じゃん。ほら、休憩だと思って一緒に探して」



 わ~~~…ヒロセにまた会えただけでもビックリなのに。

 嬉しさと恥ずかしさを隠すために聞く。「ヒロセの弟は?」

「あ~…オレだけメシ食った後戻ってきたの。弟は親と帰った」

そっか戻って来てくれたんだ。…すごく嬉しいな。どうしょう、顔が紅くなる。

 …でもチハルが…


 少し迷っていたら手!!

 ヒロセに手を引っ張られた!

「行こ」

 書架の方へ手を引かれるが、『理工書』のコーナーまで手を引かれてそこで手は離された。

 物理の本の分類されている棚の前で一緒に探す。私たちの他に人はいない。

 二人で棚を目で追う。アインシュタインとか、パラドックスとか、ひも理論とか、量子とか、量子理論とか、量子力学とか、量子分析とか、…量子多過ぎだよね。


 「私物理とか全然わかんないよ」

「オレも公式とかはあんま覚えられないけど…」

そう言いながら本棚を目で追うヒロセ。「まだ新刊だから入ってないかも」

「そうなの?やっぱり検索してもらえば?」

「いい。…本当は本とかどうでもいい。キモトと話したかっただけだから」

「…え」

「えじゃねえよ…」

「うん」

「ほら、そこで『うん』とか言う」

「うん」ともう一度言ったらヒロセが苦笑いした。


 「弟とばっか仲良くすんなよ」と言われてドキッとする。

「オレだってキモトと勉強したり出かけたりしたい」

「別に仲良くなんか…」

「いや、別に仲良いのはいい事だと思ってんのに、」

私から目を反らし、また本棚の本を目で追いながら言うヒロセ。「なんだろう…なんかわかんねえけどキモトが弟と仲良くしてんの見るとちょっとイラっとするんだよな。さっき別のヤツとデートしてんのかと思ったって言うのもあるけど、…それでたぶん羨ましいからとかなんだろうけど」

チハルにされたチュウと告白が、ヒロセの言葉と一緒にいっぺんに頭の中で広がって、どうしよう!、と思った所へ後ろから声だ。

「何こんなとこでナンパされてんだよ?」


 

 もちろんチハルだ。

 ヒロセも振り向いたら、チハルが軽く舌打ちしてからあからさまに嫌な感じを出しながら言った。

「…帰ったんじゃなかったんすか?」

チハルの嫌な態度を今さら隠すために私が代わりに答えてしまう。

「本探しに来たんだって。あっちで会って今一緒に探してたとこ」

「…あそう」とチハルが私に言う。「じゃああっちに戻ろう」

「いや、まだ見つかんなくて」

「あ~」とチハルはヒロセに言う。「一緒に探しますよ」

「弟」とヒロセ。「女子に勉強教えてたの、もういいの?」

「あれはうるさく騒がれそうになったから仕方なくですよ。チナがいなくなったら、あいつらすげえオレに話しかけて来て」

「キモト」と何だか機嫌の良くない感じになるヒロセ。「弟にチナって呼ばれてんだ。まあオレも弟に呼び捨てされてっけど…」

「いや…そ…」と言いかける私を遮るように「呼んでます」と言い切るチハルだ。

「まあ外では仕方なく姉ちゃんて呼んでますけど家ではずっとチナって呼んでます」

呼んでないよね!?呼ばれた事も何回かはあったけど、中学の時はたいていブスかバカかお前だったし。


 「ふうん」とヒロセ。「オレもチナって呼ぼうかな。ちょっと恥ずかしいけど」

「え…」

見つめ合ってしまった私とヒロセの間を断ち切るようにチハルが言った。

「じゃあ止めてください」

「弟~~」とチハルをなじるヒロセ。「なんかいつもオレにケンカ腰だよな?姉ちゃん好きなのは良くわかるけど」

見つめ合うヒロセとチハルだが、今の『姉ちゃん好きなのは良くわかるけど』、に恐ろしく動揺していて私は何も言えない。





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