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ブス

 ゆっくりと音を立てないように動いて、1階の奥の父と母の寝室から毛布を1枚持ってきてそっとチハルにかけてやる。そして少し迷ってから私も、チハルの足の方にある一人掛けのソファに腰掛けた。



 あれ?…私、なんでちょっと泣きかかっているんだろう!?私が告白したわけでもないのに。全部嘘みたいだと思うけど、そんな事を思う自分がとてもひどく思えるほど、チハルはちゃんと自分の気持ちを話してくれたんだと思う。

 あ、ちょっと鼻水まで出て来た。急に気が抜けたからかな。

 そう思いながらティッシュを取ろうと動いたら、ピクっとチハルのつま先が動いて、私もピクっと肩を揺らす。ほんのちょっと頭も揺らすチハル。出かかった涙を慌ててぬぐった。

 もう…ちょっとビックリしたし!と、目を瞑ったままのチハルを睨む。でも今の寝ごこち良い頭の位置を無意識に探す感じはなんか可愛かったかも…

 

 またすぐに寝入って動かなくなったチハルを確認しながらそっと溜息をつく。

 私なんかのためにわざわざ寮で暮らすなんて…中学生の子が両親から離れて…改めてやっぱり思ってしまうけど、本当の話かな…

 チハルが私に冷たくし始めた頃、それがとても哀しかった。やっぱり本当のキョーダイじゃないから、と思っていた。私のどの態度が嫌だったんだろうか、どんな喋り方がムカついたんだろうかとずっと考えて困惑していた。それでもだんだん慣れたし、母が私の方をかばってチハルよりも大事に扱ってくれたので、それだから余計にチハルは私が気にくわないのだろうと思ったのだ。

 けれどそれがチハルを私から離すためだったというのなら、私は母にもひどく悪い事をした事にはならないのかな…



 可愛い寝顔だな…言うだけ言ってすうすう寝やがって。

 チハルの呼吸に合わせて、チハルにかけた毛布のお腹の辺りがほんの少し上下する。


 私の弟だ。この子は私の大事なお母さんの子どもだ。

 やっぱりずっと家族でいたい。父とも母ともずっとこのまま仲良く一緒にいたい…チハルともずっと家族でいたい。ずっと…



 そう思いながらチハルの寝顔を見て、またむかしの事をいろいろ思い出していたらいつの間にか私も眠っていた。

 そんなに長い時間ではなかったが、はっ、と見るとチハルがいない。私がチハルにかけた毛布が今私に無造作にかけられていた。

 帰ったの?黙って?

 


 ソファの前のテーブルの上にノートの切れ端を使ったメモが残されていた。

 『ふざけてんなよブス!』と書きなぐってある。

 立ち上がり呼ぶ。「チハル~~~」

 洗面所にもいない。父母の寝室には入らないだろうと思っていたから、階段の下からチハルが使っていた部屋に向かって叫ぶ。

「チハル~~~」

 返事がないので外を見るとチハルが乗って来た自転車がない。やっぱり帰ったのか。私まで眠っちゃったのまずかったかな。

 そうこうしていたらラインが鳴った。チハルからだ。

「無防備に寝やがって。カギ閉めて帰るためにお前のカギはオレが持ってるから」

 そっか…「わかった」と送ったら「ブス!!」とまた返って来た。


 落差が激しいよね。さっきあんな告白してくれたのに。ドキドキしたけど、本当にどうしようと思ったけど。

 普通、告白した子に、その直後『ブス』なんて言う!?

仮にヒロセに言われたとしたら冗談でも絶対ひどく凹む。立ち直れないくらいに凹む。けれどヒロセなら絶対そんな事言わないはずだ。ヒロセじゃなくても普通に当たり前の心を持って告白してくれた人は絶対その直後『ブス』なんて言わないと思うけど。

 くそ!、と思う。所詮弟だ、まあいいや、とも思う。『ブス』だってもう数えきれないくらい言われたし。それになんか…チハルが私に変に絡み出す前に戻ったみたいで少しほっとしたような気持ちにもなっているのもおかしな感じだ。



 

 夕方帰って来た父が、私をちょっと見て、そして何も言わない。だから私も何も言わない。母が帰って来ても父はチハルの事について何も言わなかった。来た事すら言わなかった。が、私を見る母の視線が意味ありげに見えて、母には今日あった事が全てバレているような気がしてならなかったけど、口に出しては何も言わなかったし、それがかえって私をすごく不安にさせ全部自分から話してしまいそうな気になったけれど我慢して、私は後から父が母から怒られなければいいのにとそれだけを祈った。


 

 が、結局翌日朝10時過ぎに父と母と私と3人でゆっくりとお茶を飲んでいる所へチハルがやって来て、父は母にひどく睨まれる事になった。


 チハルが持って帰っていた私のカギを使って黙って家に入って来たのだ。

 急にリビングに入って来たチハルに母が驚いた顔をして言った。

「あんた…急にどうして…まさか!カギ作ったの!?」

「これは姉ちゃんのカギ」そしてチハルは苦笑する。「オレの事を犯罪者のように言うの止めろよ。昨日一緒に買い物行ったけど、帰って来てメシ食った後、姉ちゃんが寝やがったからオレが外からカギをかけて帰ったの」

「そんなの!チナちゃんが起きるまでちゃんと待っててあげなさいよ!」

母は私が予想していなかったおかしな突っ込みをした後我に返って父を睨んだ。

「え?あなたは?」と父に聞く母。「昨日家にいたんじゃなかったの?ていうかチハルとチナちゃんが買い物に行ったなんて全然聞いてないですけど?え?何?二人で行ったって事?」

母が私たち3人を交互に睨む。



 「お母さん!」と勢い込んで口を挟む私だ。「チハルが部活すんのにリストバンド早めに欲しいって言って。誕生日上げるっていってたからそれを早めに一緒に買いに行っただけ。ほら、お母さんに頼まれてたものもあったし、お父さんのも。昨日買ってきてたでしょ」

母がチハルをじっと見つめる。それを同じようにじっと見返すチハル。それから父を思い切り睨む母。

 怖い。

「僕もちょっと昼間出かけたから」と母に弁解する父。

父を助けたい。

「カギ、わざわざ持って来てくれたの?」とチハルに殊更明るい声で言ってみる。「ありがと!」

私を意味ありげにじっと見つめながら、ポケットからゆっくりカギを取り出し私に渡すチハル。

 余計な事喋るな!という意味を込めてチハルを強く見返した。



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