今度からちゃんと
そこまでトイレに行きたいわけではなかったけれど、一応そう言ってきた手前、体育館の中にあるトイレへと向かう。広場の脇にもあるのだけれど、そこは少し中が暗くて、虫がいそうな気もするし綺麗ではなさそうな気もするから。
その広場脇のトイレを少し過ぎた辺りでチハルが声もかけずに急に横に並んできたので驚いた。
「…寝てたんじゃなかったの?」
「寝てはいない」
やっぱ寝てなかったか…
「…どうしたの?あんたもトイレ?」と冷たい声で聞く。「用事がないなら着いてこないで」
「トイレ」と答えるチハル。
このタイミングで一緒に?今日ずっと私に付きまとってる感じ…。気持ち悪いと思ったら、「…前泣いてたじゃん」と言われた。
「…何の話?」
「公園のトイレ、虫がいて入れないつって」
「私が!?」
「むかし家族で来た時の話!そこのトイレで。それでオレが枝かなんかで虫取ってやってやっと入れたの覚えてねえの?その頃は体育館も古くてさ」
…覚えてなかった。ブランコについていたカメムシをつぶして困った事しか覚えてなかった。
チハルがムッとして言う。「すげえいろんな事忘れてんじゃねえ?」
「覚えてるよ…カメムシの事とか…」
後、ここじゃなかったけど自転車のサドルにアマガエルが乗っかって、いくら揺すっても逃げなかった時も、昼寝してたチハルを無理矢理起こして取ってもらった事があった。
「もしかして」と聞いてみる。「それで今ついて来てくれてるの?」
「体育館の中のトイレ、前痴漢が出たらしいけど。先に女子トイレの中に隠れてて、隣の入ってきたやつをそっとのぞくっていう…」
「キモっ!じゃあもうトイレ行かない。ほんとはそんなにしたくないから」
「じゃあ何?やっぱりヒロセさんに連絡する口実だった?」
「違う。ヒロセじゃないよサキちゃんからライン来たの。ねえ…もしかしてウサギ見たとことかであんたの知り合いいた?」
チハルがなんでかと聞くのでわけを話すと、「いたとしてもそこまですぐに回らねえだろ」と笑った。
じゃあやっぱりサキちゃんのあてずっぽうの嫌がらせか。
…どうしょう…やっぱりトイレ行きたいかも。いったん戻って母と来ようかな。
「なあ、いろいろ気にし過ぎなんじゃね?」
はあ!?誰のせいだと思ってんだよ。あんたのせいじゃん。
「いいからホラ、トイレ。ほんとは行きたいくせに」
促されて少し迷ってやっぱりトイレについて来てもらう事になる。こういう情けないところもダメだな私。だからチハルにもナメてかかられるのだ、と思いながら父と母の所へ帰ると父が母の膝枕で眠っていた。
わ~~~!と思う。
何してんだどうしたんだろと思う。こんな所で。仲良いのはいいけど恥ずかしくないのかな。子どもと来てるのに。
「オレもしてぇ…」とチハルが小さい声でボソッと言ったのでドキッとしてしまう。
何ドキッとしてんだ私。
が、チハルは全く気にしていない様子で無言で父の足の脇の方へ腰を下ろす。自分の親が公共の場でこんな事してたら、高1男子だったら普通すごく嫌がらない?
以外だ。すぐ母に文句を言うかと思った。…父に気を使ってるのか…
公共の場でラブラブな父母と、そんな親に文句も言わない弟と一緒に同じ敷物に座るのは少し憚られたが仕方がない。まぁ二人が仲良いのは見てて嬉しいし。私も母の後ろの方へ黙って腰を下ろす。
すると間髪入れずに「ほらね?」と母が言った。
へ?
母が続ける。「ほら、やっぱり何にも言わない。この子たち」
「んん~~」と母の膝の上で薄眼を開けて唸る父。「しょうがないよ」
母が言った。「普通、高校生でさ、自分の親が人前でこんな感じだったら、まず止めてって言うよね。やっぱ言わないもん。やっぱりそんな感じなんだよね。こういうとこ一緒に来てお弁当食べたりなんかしても、本物の家族には成り切れないていうか」
「「…」」無言の私とチハル。
何を試そうとしてるんだ母。父がゆっくりと起き上がった。
「だから」と母がチハルに言った。「私は信じてないからね。あんたがやたらキョーダイを前面に出してチナちゃんに絡もうとしてんのを。そんな、キョーダイなんて気さらさらないの、わかってるから。チナちゃんに『姉ちゃん』て言って頼めばチナちゃんが喜んでたいていの事ほいほい許すと思って」
「そんな事思ってねえよ」と素で答えるチハル。
そうだよ、とここはチハルに賛同する。そんな、ほいほいとか…ちょっと私をバカにしてるよねお母さん。誰もそんな簡単にいろいろ許さないよ。許すわけないよ、怒ってるっつうのいろいろ。
「いや思ってるよ」したり顔の母。
「アツコちゃん…」と父が言い、「お母さん…」と私も言う。
母はそれでも続けた。「あんたが『姉ちゃん』て呼んだらチナちゃんそれだけで喜ぶから」
「じゃあ、それでいいんじゃね?」とチハル。「実際姉ちゃんだし」
「でも下心あるよね!」
「アツコちゃん…」父がたしなめる。「アツコちゃんがどうしてもって言うから今寝たふりしたけど…。いや、僕もチナとチハル君が『もう何してんのこんな所で』とか『家でやれ』とか明るく突っ込んでくれると期待したんだけど。でもチハル君がチナを大事に思ってくれてる気持ちを真っ向から否定するのは良くないよ。僕はうれしいけどな。チハル君がチナの事を『姉ちゃん』て呼んでくれるのも、好きだなって思ってくれるのも」
「好きなだけじゃダメなのよ」と母が言う。「大事にしないと」
「大事だって言ってんじゃん」とチハル。
「あのちょっとほんとに」と、私は赤くなりそうになるのをどうにか避けようとしながら口を挟んだ。「もう帰ろうよ。そんな話もういいよ。…お母さん、心配してくれるの嬉しいは嬉しいけど、私そこまで何でもかんでも許したりしないよ。それにそんなん言っててもね、チハルは女の子にモテてるから。そんな、私との事なんて別に心配してなくても大丈夫だよ。チハルにはちゃんと可愛い彼女がすぐに出来るって。そんな心配、すぐにどうでもよくなるよ」
「チナちゃん…」
母がなんだかせつなげな目で私を見るけど止めて欲しい。私だってちゃんと彼氏が出来るように、もうちょっと身だしなみにも気を付けて、できるだけ可愛く見えるように頑張ります。
チハルにもだけど、私は母にもちゃんと自分の気持ちを伝えていかないといけないのだ。恥ずかしいなと思いながらも母に言った。
「私今日嬉しかった。久しぶりに4人で出かけて来れて。もうこんなことないかと思ってたもん。みんなでここでご飯食べれて嬉しかった。血は繋がってないけど、私は本当の家族だと思ってるし、お父さんがお母さんに枕してもらってんのも家でやればいいのにってちゃんと思ったんだよ。けど嬉しいなとも思ったから黙ってしまったの。今度からはちゃんと突っ込むから」
母がゴメンと言うので私はうなずく代わりにニッコリと笑って見せてから続けた。
「チハルもこれからちゃんと仲良くしてくれるって私にも改まって言ってくれたんだよ?ねえ?チハル」
ここでチハルにも釘を刺しておくのだ。
「花火大会とかも家族で来たいんだって」
そう言うと父がとても嬉しそうな顔をした。
「ほんとかなぁ?」と疑いを隠さない母に、「そうそう」と軽く相槌を打つチハルを母が睨んだ。私もこっそり睨んだけど。




