チョロい
先に台所のテーブルについたチハルが私を見て笑う。
「どうしたの姉ちゃん。オレが怖いの?」
ムカつく。
ホント、こいつ、なんでこんなに笑ってんの!?
だからわざとらしいくらいにはっきりと答えた。「怖くはないよ」
「さっきは怖いって言ってたじゃん」
「今は怖くない」
「じゃあ食べよ?いただきます」
私の買ってきたパンを先にパクつくチハル。さっき私にあんな事したくせに何でこんな普通にしていられんのコイツ。
ガタっと大きく音を立て私も椅子にかけ、オレンジジュースを少し飲んでみるが全然落ち着かない。
「あんたさあ…」
さっき怖いのかと笑って聞いたチハルが許せなくて、オレンジジュースがこぼれる程の勢いで粗くグラスを置いて睨みながら言ってしまう。
「あんたさぁ!姉ちゃん、姉ちゃん、て呼びながらなんで!なんでさっきみたいな事してくんのよ!?」
だから母にあんな風に何回も言われても油断していたのだ。本当に私の事が好きだとは思いきれなかったのに。
「姉ちゃんだとは思ってねえよ」
しれっと答えるチハルだ。
ムカつく!「じゃあなんで呼ぶの!?」
「嬉しそうな顔するからだろ」
「…」
「オレが高校入ってすぐ、姉ちゃんて呼んだらすげえ嬉しそうな顔したじゃん」
したよ!嬉しかったもん久々で。
チハルが続ける。「最初に家族になった時、よそよそしかったけど、オレが『姉ちゃん』て呼んでやったら、お前すげえ嬉しそうな顔したんだよ。ぱあっと。すんげえ嬉しそうな顔したの」
「…」
「最初っからオレは姉ちゃんだなんて思ってなかったって話!」
お母さんっ!お母さんお母さんお母さんお母さん!
ここにはいない母を胸の内で何回も呼ぶ。
これからどうするんだろう。
チュウもされた。これを母や父が知ったらどうなるんだろう。
…いや、知ってるって言ってたよね?チハルが私の事を好きだって母も父も祖母まで知ってるって。でもまさか今日こんな事になってるとは母も想像もつかないと思う。
「なあ」とチハル。「明日どこ行くの?」
「…」
明日?明日は断ったじゃん!
「夕べ送ったライン、ちゃんと見てないの?」
「見たから聞いてんの!今日がダメになったから明日になったんだろ?オレとの約束無しにしてあの人とどこ行く事にしたの?」
「ヒロセとって事?どこも行かない。部活で約束ダメになったし。…ヒロセから本当は明日ちょっとだけ会えないかって言われたけどでも…その時はまだあんたと約束してたし…」
「でもオレのを断ってきたじゃん」
「それは…」
「それはなに?」
言い淀む私をチハルが急かす。
「…お母さんが…」
「母さんが何?ちゃんと言えって」
こいつ何でこんなに偉そうなの!?
「とにかくヒロセとは今日も明日もどこにも行かないの!ほっといて」
「あの人と行かないのに、なんでオレのもキャンセルすんの?お前から行こうって言って来たくせに」
くそ…お前って言いやがった。…けど、なんだろコイツの拗ねたような言い方は。
「そんなんでもどうでも!」と私は声を大きくして言う。「もう一緒に行けるわけないじゃん!あんな事されたのに!」
「あれはお前が悪い」
「はあ!?」
「こっちはあいつのせいで約束無しにされたって思ってるとこにコソコソ何か隠したりするから」
「いやまずどうでもいいから私をお前呼ばわりすんの止めて」
「わかったよ姉ちゃん」そう言ってチハルが笑う。
「あんたなんでそんなに笑ってんのよ?」
「へ?」と言ってチハルが自分の頬を触って撫でる。「笑ってた?…嬉しいからじゃね?」
「なにがよ何言ってんの…」
「ずっと」と言ってチハルがあからさまに目を反らした。「ずっと…」
さっきも『ずっと』って言った。ずっとしたかった事をしたんだって。
「チハル…」
呼ぶと目を反らしていたチハルがまた私を見る。
「私ね、…私、お母さんが好き」
「…」
「今の。あんたのお母さんだけど。私の死んだお母さんと同じくらい好きだし、私を今育ててくれてる分死んだお母さんによりもありがとうって思う事もいっぱい」
「…」
「だからね、お母さんと気まずくなるのは嫌なの。お母さんにずっと私のお母さんでいて欲しい」
「ふうん」
「ふうん、じゃない!あんた私の事が好きらしいけど、それ間違ってるから!」
「は?」本気でビックリしているチハル。
「思いこんでるだけだから。特殊な環境で勘違いしてるだけだから。なんか刷り込みみたいなもんなんだから絶対」
チハルはビックリしているが笑ってもいる。
「もう!笑うなつってんの!今からの事考えなさい!」
「今から?」
「…あんただって今は共学になったからこれから女の子もたくさん寄ってきて、中にはちゃんと良い子もいて…きっと私なんかより一緒にいたらすごく楽しい女の子だってたくさんいるんだから。今私にこういう事するのは間違ってる」
「…」
「私は嫌だから。そういうのでぐだぐだになってお母さんとの関係も悪くなったりしたらどうしてくれんの?」
「…そっか」
「そうだよ!」
「…ごめん姉ちゃん」
またこいつ姉ちゃんて言って…
「ほんとにわかったの!?」
「なあ」とチハルが言いながらニッコリと、それでもしおらしく笑う。「ごめん。わかった」
「…うん。…わかってくれたんならいいけど」
「わかったよ姉ちゃん」
「…うん。じゃあ…」
ほんとかな…。でもしょうがないな許そうか、と思ったとたんケラケラと笑うチハル。
「な?チョロイから。簡単にオレの事許すじゃん」
はあああああっ!!




