なんで鍵を持っていないか
うわっ、と思う。
チハルが真っ直ぐに私を見ていて、掴んだ私の手をそのままゆっくりと引く。
あ、と思う。あ…チハルの、私を掴んでいない方の手が私の肩を掴む…
ガタっ!
私が急に膝をついたのでチハルともども体制が崩れ、チハルはベッドの側面に肩をぶつけた。
「イッタ!」チハルは少し体を捻るようにして床に仰向けに倒れる。
「もう~~~!」と言ったのは私ではない。チハルだ。
チハルは片手で打った肩を押さえて痛そうに目を瞑っている。制服のブレザーを脱いでシャツだけだったから余計痛かったかも。でも…
「もうって!」と私はなじる。「私がもうだって。何すんの急に」
「痛い」目を閉じたままのチハル。
びっくりした…
お母さん!と心の中で叫ぶ。チハルが無理矢理チュウしてきたらどうするの?とか聞かれてたのに私…もうすでにどうしたらいいかわからないよ。
「つまんない事するからだよもう…」
注意する声が小さくなってしまう。取りあえず早く下に降りなきゃ。
「隠すからじゃん」とチハル。
「その前に勝手に部屋に入って来ないで」
言うとチハルは肩を摩っていた手をそのまま少し上に持っていって、腕で顔を覆ってしまいながら言った。
「ドア開いたままだった」
「…そっかごめん…痛いの?肩」
「…」
腕で顔を隠したままのチハル。バツが悪いんだろうか。それか本当に痛いのかも。
「見せて」
「見せねえよ」
じゃあ知らない、と思って先に立ち上がる。「…じゃあご飯食べよ?もう!立って。早く下行こ」
「…やっぱ痛い」というチハル。
もう…
また膝をついて「やっぱちょっと見せて」と言ってみる。
チハルも身を起したが次の瞬間、私は急にバッ!と広がったチハルの両腕に抱きしめられていた。
ぎゅうっと抱きしめられているので顔が見えないが、チハルが嬉しそうな声で言った。「はい、姉ちゃんチョロイからすぐ騙される」
「ちょっ…!!!」
固められた腕に力を入れてチハルの体を離そうとするけれどピクリとも動かない。焦る。胸の中がツゥッと冷たくなって体が強張る。
「ちょっとって!もう!ちょっと離して!チハル!」
「…」
「ちょっと!ほんと止めて!離しなさいってチハル!…チハル!チハルって!ねえ!」
「…姉ちゃん」押さえた声を耳元で出されてピクっとする。
チハルが言った。「あんま名前呼ばないで。オレがなんか…」
ちょっと笑いながら続けた。「オレが変な風に興奮してくるから」
…怖い。
「チハル…」興奮させちゃいけないと思ってそっと呼んでみたが、「呼ぶなっつってんの」と言われ黙り込んでしまう。でもずっと抱き締められたままだ。
どうしよう…何とかここから抜け出さないと…
「あんまモゾモゾもしないで」と今度は言われる。「あんま動かれると…勃ってくる」
うそっ!ちょっとほんともうどうしよう…
「…ねえ、ちょっと…ほんと1回離して」
「黙れ」と言われてまたビクッとする。「姉ちゃん、黙ってよ」
「なあ」とチハルが耳元で言う。「なんで母さんが鍵オレにくれないかわかった?」
わかったけど、わかったとも言えないしただうなずく事も出来ない。
「チハル…あのね、怖いんだけど…」
ちっ、とチハルが舌打ちして言った。「…ダメだなもう」
言われたと同時にキスされていた。
頭をがっちり押さえられている。私の目の、すぐ前にいるチハルの目が私を見ている。
逃げようと思うけれど逃げられない。わぁ…と思う。どうしようと思う。わぁ、と、どうしようだけを頭の中で繰り返す。繰り返しながら、ぎゅっと閉じた口に力を入れて、私の唇を割って入って来ようとするチハルの舌を必死で止める。
どのくらいそうされていたんだろう。「っとにもう!」とチハルが毒づいて、やっと離してくれた。
「すげえ阻止するじゃん」チハルが私を笑う。「口すげえ閉じて」
何で笑う!
足と腕が震えて力が入らない。
お母さん!
「はい、」とチハルが私に手を差し出す。「下行こ」
何事もなかったかのように、それは本当に何事もなかったかのように、チハルが立ち上がって私を促す。ほら、と腕を取られてビクッとする。
「はい、ほら」ともう一度チハルは言って、よいしょっ、と言いながら私を立ち上がらせ言った。
「飯食お。腹減った」
チハルの後をついて階段を下りる。
どうしたらいい?この後どうしたらいい?
「何飲む姉ちゃん」とチハルが聞く。
全く何事もなかったように。
「いらない」と私は言った。「何もいらない。あんた何でそんな普通に話してくんの?なんで急に…」
「急にじゃねえよ。ずっとしたいと思ってた事をしただけ」
チハルは冷蔵庫からオレンジジュースを出し、食器棚からグラスを2個取り出して私の分まで入れてくれた。袋に入ったままのパンも大きな皿にまとめて出し、取り皿を二つ出してくれる。
私は立ったままそれをぼんやりと見ていた。




