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鍵を持ってない

 結局何も用事のなくなった土曜日の朝。寝覚めが悪い。

 もちろん夢を見た。チハルの夢だ。

 チハルが、「姉ちゃん、バスケやるわ」って私に言う夢。そっか良かった、と思いながらも少し心配で、本当に部活に行ってるのか体育館に確かめに行くとチハルはいない。やっぱ行ってないじゃんもう!と思うが他の誰もいない体育館だ。急に薄暗い体育館の中に一人でいる事が怖くなる。「姉ちゃん!」と言われてビクッとする。「ほら、当たる!!」とチハルが私に言う。「避けてボール!」と言うチハルの声。でも体育館には私だけ。チハルの姿も見えないが、私はチハルの声に、頭を両手で守るようにしてうずくまった。そんな良く分からない夢。

 その夢が私の心の何を表わそうとしているかなんて、これっぽっちも考えないようにしよう。



 起きたのが9時前で、父は昨日から出張中、母も8時半くらいにはパートに出かけて家に一人きりだ。午前中は思い切りだらだらしようと思う。

 パッと机の足元に置いた通学カバンが目に付く。

 そうか…サキちゃんに『明日返そう』って思ったマンガ、今日は土曜だからあさってまで持っておかなきゃいけないのか…


 なんか…近くに置いておきたくないな…。この部屋の中に置いておきたくない。

 思い立ってカバンの中からマンガの入っている紙袋を取り出し、自分の部屋を出てすぐ隣のチハルが使っていた部屋のドアを開ける。そしてそのドアのすぐ内側に紙袋を置いてドアを閉めた。家族が使ってない部屋はここだけだ。月曜の朝までここに置いておこう。




 昼過ぎに自転車で家を出る。

 ツタヤとパン屋に寄るつもりだ。レンタルコミック借りようっと。普通の真っ当な、可愛い恋愛モノのコミックを借りよう。そしてその真っ当な恋愛モノで、私の頭の中をまだグルグル回っている母から夕べ聞いた話や、サキちゃんから借りたマンガの内容を上書きしよう。

 

 が、まず家に近いパン屋に寄って昼ご飯にするはずのパンを選び終わったあたりでサキちゃんからラインが来た。

「今日部活行ったら男バスにチナの弟来てたよ!学校にいた女子が結構見に来てた。そして持って来てたスマホで写真取ろうとして先生に職員室連れて行かれてる子もいた。ちょっと面白かったよ。すごいね!」



 そっか…そっかちゃんと私のライン見て行ってくれたんだねチハル。返事はよこさなかったくせに。生意気な。

 そして夕べの夢がちょっと本当になったなと思って少しだけ嬉しくなっていたら、その本人から電話が来て驚く。

「姉ちゃん?」

私を当たり前に呼ぶチハルの声に少し焦る。

「どうしたの?あんた部活行ってくれたんでしょ?今サキちゃんから連絡入って…」

「今日デートだったんじゃねえの?あの人学校来てたけど」

ヒロセの事か。

「うん。部活ないはずだったんだけど、急にまたある事になったって夕べ連絡来た」

「…ふうん…。なぁもうメシ食った?なんか残ってる?」

「今日お母さん仕事でいないんだよ。私今ちょっと出てて…パン買ったとこだった」

「オレの分も買っといてよ」

「…なんで?」

「今、うちに向かってるから」

「うち?うちってうち?」

ハハ、とチハルが笑う。「そう。姉ちゃんの住んでるうち」

マジで!?


 「でもお母さんいないんだけど」

「それはもう聞いた。いいじゃん。姉ちゃんはまだ時間かかんの?」

「いやそういうわけじゃ…ぁああっ!」大きな声を出してしまった。

「なに?びっくりすんじゃんどうしたの?」

「あんた今どこ?もう着くの?」

「いや、まだ学校出たばっか」



 マズいマズいマズいマズい…

 何で私!なんで私はあのマンガをチハルの部屋なんかに置いたんだろう!

 バカだ。…そうだよね。チハルは中学の間家にほとんど帰って来なかったからついそのつもりでいた。

 何で帰って来る!


 「ねえ!私が帰りつくまで家に入らないでお願い」

「何それ。入れねえよ、オレ鍵持ってねえから」

「忘れたの?」

「渡されてねえの!だから今姉ちゃんに電話してんだよ」

「…なんで渡されてないの?」

「母さんがオレの事信じてねえからじゃねえ?」

それはどういう事?



 「じゃあ」とチハルが言う。「待ってっから。早くな?腹減ったから」

 もう1回パン屋に戻ってチハルの分のパンを買ってからダッシュで自転車を漕ぐ。

 良かったアイツ鍵持ってなくて。ありがとうお母さん!

 でも母がチハルを信じてないっていうのはやっぱり、チハルが私一人の時に家に入れないようにと思ってじゃないだろうか…


 

 慌てて帰りつくと、チハルは玄関のポーチに腰をおろしてスマホをいじっていた。

「ごめん!今開けるから」

急いで鍵を開けて先に入り、パンの入っている袋をガサッと渡して、先に食べててと言う。

「私ちょっと2階にバッグ置いてくるから!すぐお茶入れてあげるから先に好きなの食べてて!」

 素直に従うチハルを微かに見届け素早く2階に上がり、そっと音を立てないようにチハルの部屋のドアを開け、置いておいたマンガの入った紙袋を自分の部屋のベッドの奥に押しやった。


 「何してんの、姉ちゃん」

ビクゥゥゥっと撥ねるように立ち上がって体制を整える。

「あんたこそ何?先に食べときなさいって」

「今日はオレが飲みもん入れようかと思って。何がいい?」

「いい、いい」私はチハルの体をドアの外へ押しやるようにして自分も部屋から出ようとする。「今一緒に行くから」

「なあ」と急に身を翻して私の横をすり抜け急に腰を落としベッドの下を覗くチハル。

「止めて!」

「何隠したの?」

「何でもない。何も隠してない」

「アレ何?何入ってんの?」

「何も入ってない!いいから!早く下に降りて!」

チハルがベッドの下に手を伸ばすので、その腕を掴む。「止めてって!あんたそんなんだからお母さんに鍵渡してもらえないんじゃないの!?」

 

 「いや違う」

急にこちらを向いたチハルが、チハルの腕を掴んでいた私の手をもう片方の手で掴んできた。







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