チャンス
チハルを睨んで見つめた私を、チハルは見つめ返して来たがすごく情けない嫌な顔をした。
そんな顔をして見せてもダメだから。
そう思ったのに、チハルが私に「そんな顔すんなよ…」と言う。
私?
チハルが母に言った。「母さんが変な言い方するから、姉ちゃんが泣きそうな顔してんじゃん」
変な顔のあんたが私の事変だって言うの?
言われた母がチハルをふっ、と笑って言う。「あんたも変な顔してるって」
そして私を見るとニッコリと、それは嬉しそうに笑って言ったのだ。
「ほんとにごめんね、チナちゃん」
なんでこんな場面でこんな風に笑えるのだろう…信じらんない…
こんな旅行、ほんっとの、ほんっとに、来なければ良かった!
そう思う私に、「こんな旅行来なければ良かったって思ってるでしょ」と母が言う。。
言い当てられて一瞬たじろいだが、私がそんな風に思うのは当たり前だ。
「思うよ!思うに決まってるでしょ?部屋だったって分けるとか言ってたくせに」
「あ~…」と母。「私は分ける派だったんだけどね、おばあちゃんはどっちでもいい派、でもお父さんがどうしても5人一緒がいいって言うから」
父か!?何考えてんだ父!
母が続ける。「でも、チナちゃんは結局私たちと一緒に来てくれた。ねえチナちゃん、今からチハルがちゃんと謝るから。明日からのために」
言いながら母がゆっくりと私たちから離れようとする。
「ちょっ…待って!お母さん!」
なんでこの期に及んでまだチハルと私を二人にする!
「私、いくらチハルが謝ってももうチハルの事嫌い!」
慌てて母を追いかけようとしたら、チハルに腕を掴まれた。また!
…お母さんひどい…
「そんな」とチハルが言う。「そんな顔すんな。もう何もしねえから」
「お母さん!」と部屋の方へ戻る母を呼ぶ。「ちょっと待っ…」
チハルが私を掴む手をぐいっと力を入れて言った。「姉ちゃん声でけぇよ。人が出て来る」
「うるさい。あんたに注意されたくない」
掴まれた腕に力を入れて振りほどこうとしたら、「わかった」とチハルが言う。
「わかった。手は離すから静かにして。そいで話聞いて」
「いやだよ帰る」
「頼むよほんとに…頼むから」
「…」
なんでまたここで急にそんな情けない声を出す。わざとらしい。コイツほんとに私をナメてるな。
首を強く振って言った。「いや。…あんたはそんな風に言っても…さっきだって無理矢理したじゃん!」
「さっきはな」
なんだその言い草は。
「なあ…もうあんな事しない」
「あんたそんな事言って前もしたじゃん!」
「オレだって無理矢理は嫌なんだって」
はあ!!
私はもう一度掴まれた手を強く引きながら言う。「ほんと離してって。あんたが…部屋で強く握ったとこも赤くなっててお母さんに気付かれて…もう…なんかヤだもう…今も痛いから止めて」
「じゃあ離すけど…逃げんなよ」
「逃げたのあんたじゃん!」
「…」
「一人だけ部屋から逃げて、私は悪くないのにお母さんたちにいろいろ…」
「逃げたよ悪いかよ。お前にすげえひどい事したなと思って…」
ウソだ。そんな事ちょっとでも思うなら最初からあんな事しない。
「もうあんたにされた事全部お父さんにも話すから。…この旅行終わったら全部話すからね!」
そう言ったらチハルがふわっと笑った。
「なに笑ってんの!?笑う要素がどこにあんのよ?」
「それでもまだこの旅行だけはちゃんと終わらせてくれようとしてんだなと思って」
「…!…じゃあ今部屋帰ってすぐ話す。お父さんあんたの事すごく好きなのに…いやほんとに何笑ってんの!?あんた超気持ち悪い」
「いや…あの3人は全員、姉ちゃんの事をオレより好きで大切に思ってるけど、別に姉ちゃんの味方ってわけじゃねえよ」
「…」どういう事?そりゃおばあちゃんは…
「あの3人が嫌がってんのはオレが無理矢理姉ちゃんに何かする事で、オレと姉ちゃんが付き合う事自体は反対してないどころか3人とも望んでる」
「…へ…」
「だからな、ダメだしくってんだよ。オレがもっとうまく少しずつ姉ちゃんの気持ちをオレの方に向けていけない事に」
「…」
「ばあちゃんがせっかくチャンスをくれたのにオレに」
チハルが続ける。「夕飯の帰りの散歩でオレらを二人きりにして、それでも普通に出来たら詰めるチャンスをくれるって」
「…あんたあの時もいったん手ぇ繋いできたでしょ!?」
「すぐ離したろ、細けえな」
なんだその言い方は!ていうかおばあちゃんやっぱりね。ひどいな。ひどいクソババアだ。
「今」とチハルが苦笑しながら言った。「ばあちゃんの事『ひどいクソババアだ』って思ってるよな」
言い当てられてビクッとするが、そう思うのは当たり前だからね。
そしてチハルは悪びれずに続ける。「でも手ぐらい範囲内だろ旅行来てんだし」
何の範囲内だよ…こいつさっきの事だって本当は全然悪いと思ってないよね。
「なんでおばあちゃんはあんたにそんなに甘いの!?」
「いや、別にオレに甘いわけじゃなくて、ばあちゃんはばあちゃんなりにうちの家族がいつまでも一緒だといいと思ってんじゃね?今回の旅行をばあちゃんが言い出したって聞いて、さすがにばあちゃんやり過ぎじゃねって逆にオレが思ったわ。でもここで距離を良い感じで縮めて、姉ちゃんをいつまでも絶対大事に幸せにしろって、もうオレらが結婚でもするかのようにオレに言って来てたけど…。最初3人にオレの気持ちを話した頃もばあちゃんは結構序盤からオレに協力的で、でも母さんはオレのそういう気持ちをすげえ嫌がって…」
「ほらやっぱお母さんは…」
「やたらオレを警戒して二人きりにしたら姉ちゃんがオレに犯されでもするんじゃねえかって。アイツ自分の息子なのに」
「あんたは何でそういう事を笑いながら言えんの!?最低だよね」
「そこまではオレもしねえわ。でもチュウとかはもういいじゃん」
「いいわけないじゃん!!バカじゃないの!!…もう…」
なんかもう…なに言ってもダメな感じがする。
お母さん…あなたの息子は私に全然謝んないよ。謝っても許さんけどな。こんなヤツの肩を持つなんて、お母さんの事ももう嫌いかも。
「姉ちゃんが悪い」とチハルは言った。「オレは言ったのにちゃんと。ヒロセと仲良くしないでくれって頼んだじゃん、最初にちゃんと」
「でもね!」と私は大きな声を出してしまう。
誰もいない、大方の宿泊客が寝静まった旅館の廊下へ私の声が抜けて、慌てて声をしぼって続けた。
「前も言ったよね私。今はなんかそういう風に思ってるかもしれないけど、あんただってこれからいろんな女の子と出会ったり、誘われたりしたら今の気持ちも変わるから。今はなんか特殊な状況でそんな気持ちになってるだけなんだって。私はそんな事に振りまわされたくない」
「なんでお前がオレの気持ちを言い切るの?」
「でもこれからそうなるの。あんたもよその大学行って家を離れたりしたらますますいろんな人と会うし、私だって…」
「お前はほんとにそれでいいの?」チハルが冷たい声を出す。「ほんとにそうやってバラバラになっていいの?」
「バラバラじゃなくて、家族は家族だけど私たちはいつまでも親の所にいるわけじゃないし…」
「わかんねえヤツだな!」