どこに行きたい
チハルが帰って来ないまま、私以外の三人は布団の上に丸く座って真ん中に温泉街の紙の地図を置き、スマホで近辺の観光地を検索しながら、明日はどこを周ろうかと相談を始めた。
私は3人の輪からは離れてテレビを見ている。テレビを見ているというか見てはいないんだけどテレビ見てますよっていう振りをしているだけだ。そして3人のわちゃわちゃした話し合いを聞き流しながら、心の中はまだ、えらくザワザワギュルギュルしている。もちろんチハルの事を考えてしまう。そして旅行から帰った後の事も。
「ねえねえチナちゃんはどこ行きたい?」と母。
あくまでも旅行を楽しもうとする家族に呆れるから聞こえてない振りをする。
どんな顔で私は学校行くんだろ…どんな顔してヒロセに会うんだろ…『早く帰って来い』って言ってもらえたのに。
もう、ヒロセの事を考える事自体がいけないような気持ちになってきた。
「ねえってチナちゃん?」と母がもう一度話しかけてくる。「チナちゃんはどこ行きたい?」
どこにも行きたくないよ。もう家に帰りたい。そして学校へ行きたくない。
だからわざとらしいくらい淡々とした調子で答えた。「私はべつに。どこがいいとかもわかんないし」
「そう?」と祖母。「おばあちゃんが行きたいとこ行っていいかな」
行けばいいじゃん!と思いながら、ただ「うん」とだけ答える。
「チナちゃん」と祖母が私に言う。「チハルはどっか行きたいとこ言ってなかった?」
「そんな事1コも聞いてないけど」自然、口調がキツくなるのはもうしょうがない。「本人が帰ってから聞けば?」
ふふっ、と祖母が笑う。なに笑ってんだおばあちゃん、と思う。
この人たちはチハルが私にした事を知ったらどうするんだろう。
チハルを探し出して母が怒って、それでも部屋は今さらもう一つとれないからやっぱりこの部屋で、チハルは端っこに追いやられて?それか母が本気でキレて旅行を止めるって騒ぎ出したり、またそれを父がなだめたり?
…いやあ…違うよね…この人たちは…
テレビの画面を見ながら3人の気配に集中してみる。
さっきまで明日どこを周ろうっかって話をしていたの、今は来月もみんなで旅行行こうかって話をし始めたし!
母が言う。「7月に海に行く時も海に近い所にキャンプ場があるとこがいいね!」
キャンプの話まで出た!
「花火も」と父も言う。「三口海岸で5千発花火あるでしょう毎年。その辺りのホテルとってお酒飲みながらゆっくりみんなで花火見たいよね」
「それ!!」と母が大声を出す。「そういうのずっとやりたかった!」
「ちょっと」と祖母が口を挟む。「あんた声大きい。酔っ払って。隣の部屋の人の事考えなさい」
「ごめんごめん興奮した」と母。
もう!と苦笑する祖母と、ハハハ、と優しく笑う父。
…この人たち…
私が思ってるよりずっと呑気な気がする。娘が息子にあんな事されてんのに!
今日本当に、ここ3、4年ではいちばんキョーダイらしかった私たちに安心しきって、うかれポンチな事ばかり言い合っている両親と祖母に腹が立つ。私だってちょっと楽しみになりはじめていたのだ。これから海に行ったり、花火に行ったり、秋には遊歩道を歩きに行ったり…クリスマスや正月だって、今まで一緒にわいわい楽しめた思い出の数が少なかったから。これから出来るだけみんなで過ごせるんじゃないかって、これから本当の家族らしくなるんじゃないかって、ちょっと思えたりしていた。
でもまあもう無理だよね!本当のキョーダイじゃないんだから。本当のお母さんでもないし、本当のおばあちゃんじゃない。本当の父はいつもチハルの肩を持つしね…
それにもう、本当にダメなんだ、って充分感じてる。
もうこれはダメだ。ヒロセの顔もまともに見れない。しゃべれてたとしても変な感じになるに決まっている。それで私がおかしい事にヒロセならきっと気付いてくれて、でもだ。本当の事なんて絶対に話せない。話せるわけないし。かと言って何事もなかったふりでヒロセと今までみたいに話せるとしたら、もうそれは本当に嫌でズルい人間だ。
…なんで私はもっと、チハルに対してもっと強く腹を立てる事が出来ないんだろう。
出て行ったまま帰って来ないし、自分だけ気楽だよね。あんな事しといて、変な質問をされるのは私だけだ。
…いや、立ててる。さすがに私はとても腹を立ててるけど、本当ならまだ足りない。された事から考えたら、もっと腹を立ててもいいはずだ。もっともっともっともっと、腹を立てられるはず。もっと泣き叫ぶくらい。もう2度とチハルの顔なんか見たくないってくらい…
ヒロセの事を好きだと思いながら、そして好きだと思ってもらえて嬉しいと思いながら、私はチハルに用心しなかった。 あれで終わってくれて良かった、って思っているのだ。キスだけで終わったからまだ、みたいに考えているのだ。
「チナちゃん!」とそれまでチチハハと明日の事について話していた祖母に呼ばれた。「チナちゃんどうしたの?さっきから呼んでるのに。どうしたのぼんやりして。眠いの?私たちうるさくて眠れないかな。ごめんね」
「…そんな事ないよ」力無く答えると、じっと私を見つめる祖母。
なに?じっと見つめたりなんかして。今もこの家族の感じをやっぱり壊したくないとは思ってるけど、私はもうチハルがいる時には絶対に旅行には行かない。
祖母がニッコリ笑って聞いた。「ネコの名前考えてくれた」
「…ううん考えてない」
「1こも?」
「1こも」
「そっか」
それで話は終わったので、私はまたテレビの画面をぼんやり見ながら考える続ける。
ネコの名前なんか本当にどうでもいい。私には関係ない。
チハルには誰かに対する気まずさとか、ほんの少しもないのかな。私に何もするなって言ってくれていたヒロセに対してとか、私の事をチハルの本当の姉だと思っている自分の友達、それより何よりここにいる自分の母や私の父にたいして気まずい気持ちは全くないのかな。
チハルはきっと、戻ってきても普通に出来るんだろう。前に家で無理矢理キスして来た後も普通だったし、なんだったら逆に私にキレてるくらいだったし、祖母にはバレてるぽかったし…
ぱっ、と祖母を見てしまった。
私はきっと、変な顔をしている。