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星が綺麗だな

 チハルだ。

「姉ちゃん、ほら、タオル」

ぽん、と旅館の赤いタオルを渡される。そしてチハルの手にも同じタオルだ。そのタオルを持つチハルの手をじっと見ると、むっとした声で言ってきた。

「なに急に出て行ってんだよ。こんな時間酔っ払いのジジイも多いかもとか考えねえの?絡まれたりしたらどうすんだよ」

「うんごめん、だからもう帰ろうと思ってた」

「…いいよ。オレも入るから。でも30分だけな。30分経ったら出て来いよ。ここの前で待っててやるから」

「…」

「わかった?」

「…わかったけど…」

「けどってなんだよ?じゃあ30分過ぎてもちょっとくらいなら待っててやるから」

「あんた別に入りたくないのに私が来たから一緒に来てんでしょ?お母さんたちは?」

「あの人たちはぐちゃぐちゃしゃべりながら酒盛り始めたから…。まあな!まあいいんだよでも。ほら!さっさと女湯行けって」

え、でも…と言ってるうちに女湯と書かれた赤い暖簾の入口にぐいぐいと押されて入ってしまう。


 

 9時も過ぎて女湯は入っている人が少ない。露天風呂はどうだかわからないが、広い内湯に5人しかいない。掛け湯をしてさっそく露天風呂へ行くと、その直径が2メートル、3メートルくらいのだ円形の岩風呂に先客が二人。二人とも母くらいの年齢だと思う。二人ともお団子状に髪を持ちあげていて顔がにている。

「「こんばんは」」と私を見て挨拶してくれたので、私も返した。

「お嬢ちゃんは誰と来たの?彼氏?」と少し痩せた方の人に聞かれる。

「いえ!家族とです」

 お嬢ちゃんなんて言われたの、どれくらいぶりだろう。

 あら、いいわね、と言って二人は口々に自分の娘と息子の事を話し始めた。二人は姉妹らしい。痩せた方の人が姉なのだ。


 夜の露天風呂、一人は寂しいけど、これはちょっと予想より騒がしい感じだ。私の家族の事も聞かれたので答えると、二人はうちの母を羨ましがった。

「高校生の娘も息子も一緒に来てくれるなんてねえ。うちなんか勝手にどこかに遊びに行って」と妹。

「うちもそう。彼女と遊びに行くとか言ってもう~~今の子は」と姉も言う。

「「お嬢ちゃん、彼氏は?」」と二人に聞かれた。

「…いえ、いませんけど」

「あらそうなの?可愛いのにね。そんなねえ、もしかしてお母さんとかが心配して彼氏とかまだ作っちゃだめ、とか言ってもいろんな男の子と付き合って、最終的に一番良い人選ばないとダメよ」

 そう言って二人はケラケラ笑い先に建物の中へ入って行った。


 急に静かになる。

 一人になったら急に空がぐん、と広がったように感じる。満天の星だ。標高が少し高い場所にあるから、空気が澄んでいるのか、うちのそばで見る空よりずっと深く、ずっと綺麗に見える。だから余計、すぐ中には人がいるのに、やっぱりちょっと寂しい気もしてしまうのだ。それに灯りがあまり明るくないからちょっと岩が積んである横の木のかげとか、怖いような気さえする。ゆっくり星空を見ながら、ぐじぐじ自分のダメな所とヒロセに対する申し訳なさについて考えようと思ったのに…



 「なあ!」と、声がした。

 壁で仕切られた男湯の露天風呂からだ。

 …チハルの声だよね。でもチハル?と呼んでみて、全然違う人だったらどうしよう。

 が、「なあって」ともう一度聞こえた声はやっぱりチハルの声だった。

「チハル?」

「今一人だろ?」

「うん」

「こっちも一人」

 そうなんだ。


 またチハルが聞く。「姉ちゃん今、空見てる?」

「うん。見てる」

「すげえきれいだな」

「うん」

 それからしばらく何の声もしない。

 でも壁の向こうにチハルがいると思うと、怖くなくなったしソワソワとした寂しい感じもなくなった。


 「なあ」とまた声がする。「そろそろ出るわ。姉ちゃんもあんまいつまでも入ってのぼせんなよ。ちゃんと待っといてやるけど」

「あ、うん、ありがと」

 ありがと、とは言ったものの、急に一人ぼっち感が凄い。母に無理矢理にでも着いて来てもらえば良かった。

 もう出よう。湯上りで待たせて、チハルが湯冷めして風邪でも引いたらみんなが楽しくなくなる。



 また浴衣を着て温泉の外へ出ると、待合室へ入る手前の長椅子にチハルがいた。

 さっき露天風呂にいた母くらいの女の人二人に囲まれている。私を見てほっとした顔をするチハルが面白い。

「姉ちゃん!」

私を呼んで立ち上がるが、一緒に両隣りにいた女の人も立ち上がったので、チハルが『マジか』って顔をしたのも面白い。

「「あらあら、さっきの」」と私に手を振る姉妹二人。

やっぱり似ている。妹の方がちょっと背が高い。

「なんだほんとに家族と来てたんだ?」と姉。

「はい、弟です」と答える私。

まだちょっと困った顔をしてるチハルを笑ってしまう。

「弟くんはカッコいいねぇ」と妹。「なんだっけ?あの子に似てる…俳優の誰だっけ?ほら、最近良く出る…誰だっけ?名前忘れた!」

「あ~うんうんうんうん。あの子ね!あの、ホラ、…私も名前出て来ないわ」

「歳とってくるとこれだからね~~~」

「ね~~」

仲良いな。

「お姉ちゃんに着いてきてあげるなんて、えらいねえ」と姉。

「あ~~…いえ」とチハル。

 やっと解放されて私たちは部屋へ向かう。



 「ごめん、待たせて」と一応謝る。

「いや、露天風呂で姉ちゃんと喋ってたろ。『同じ年くらいの女の子入ってたけど、あの子の彼氏?』って聞いてくるから」

「…」聞いてくるから?

「弟ですって言って、それから短時間の間に怒涛のようにオレには関係ない世間話を二人で…」

「ハハハ」と声を出して笑ってしまった。「そうなんだ」

 そっか『弟です』って答えたのか。

 …でもな…例えばこの事をヒロセに話したとしても…何にもならないだろうな…

 いや、なんにもならないどころか、逆に返って変な風に取られたりしたら…


 「ほっぺた赤いな」とチハルが私を見て言う。

「うん、ちょっと焦って出て来た。露天風呂一人になって、あんたと話してる間は良かったけど、あんたが先に出て行ったら、なんかちょっと怖くなって来て。…ちょっとだけどね」

「…へ~~」

「ごめん、温泉付き合わせて。ありがと」

「星、綺麗だったな」

「うん」

「ヒロセからなんて言って来た?」

「へ?」なに急に…

「ラインの返事来たんじゃねえの?なんかスマホ見てビミョーな顔してたけど」

「…」良く見てるな…「あんたこそハヤサキマイちゃんからは?」

「来たよ。『いまだにおねえちゃんと仲良いんだね』って」

「…それどういう事?何送ったの!?」

「あの土産物屋の写真。母さんが撮ったヤツをオレに送ってきたから、それを送った」

「なんでそんな事すんの?」

「なんでって、家族で旅行してますって感じじゃね?」そう言って笑うチハル。

そうか?でも私の入ったやつ、送らなくていいじゃん。そんなの送られて来たら、『仲良いね』って返すしかないじゃん。



 「なあ、」とチハルが改まって言う。「今日来れて良かった」

おおっ?と思う。思わず横のチハルを見つめると、お約束のように「見んな」と言ってくる。それでもチハルの口からそんな言葉が出るなんて…

「そうだね」と私も言う。「私も…来れて良かった…と思う」

 ヒロセにはわだかまりを思い切り残したけど、これで留守番する方を選んでたらやっぱり後悔していたと思う。だって母も祖母もすごく喜んでくれた。

「今日私、これからおばあちゃんのマッサージしてあげようかな」

「あ~~。そりゃ喜ぶな」

「なんかね、今日散歩に出てあんたをおばあちゃんと待ってる間、おばあちゃん、おじいちゃんの話をしてくれた」

「へ~~。…オレは結構じいちゃんに似てるって言われる」

「…そうなの!?」

そう言えばそうなのかもしれない。むかしちょっと見せてもらった写真の祖父はおぼろげだけど、その時にも似てると思った、ような気がしてきた。


 




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