弟なんて
一人っ子だった私がずっと欲しかったのは、お兄ちゃんかお姉ちゃんか妹だったのだが、私に出来たのは弟だった。
弟なんて、と私は思った。
弟なんていらないのにって。
私が小5の時に父が再婚すると言い出したのだ。
父の再婚相手は父の職場の同僚で、私はその、タナカさんという女の人とそれまでにも何回か会った事があった。会った事があった、というかそれは、今思えば父が少しずつ私に慣れさせるためにそうしていたわけだけれど。
いらないと思っていた弟だったが、出来て見るとまあまあ可愛かった。まあまあ可愛くてまあまあ生意気なごく普通の小学4年生。当時私は5年生だったのだが、私より少しちっちゃい分可愛く思えたのだ。クラスの男の子とそんなに違わない。私の言う事を聞いてくれたり聞かなかったり。それもまあしょうがない。向こうが年下とはいえ、私が11月生まれ、弟は5月生まれで、たった6ヶ月年上の姉だったから。
普通の子で良かったなと思っていた。暗過ぎてまるで口を聞いてくれなかったり、自分の母親が私の父親に取られると思って、やたら意固地になって敵対心を抱いていたりしたらと、ちょっと心配していたのだ。
私だって当時は父が、死んだ母以外の人と結婚するのは嫌だった。
でも受け入れたのだ。弟も我慢していたのだと思う。私たちは子どもなりに、新しい家族として作り上げて行こうとしている空間へ気を使っていた。
今では死んだ本当の母と同じくらいに、母になってくれたタナカさんの事を好きになれた。弟の事だって…今ではもう身長も私より15センチくらいも高くて全然可愛いくはないし、生意気だと思う事ばっかりだけど、それでももう私たちは何年も家族だし、二人とも大切な存在だ。
…最近弟の方は、私の事をそうは思ってくれていないみたいだけど。
今もだ。
今度私は高2。弟が高1。
弟が明日の入学式の準備にうちに帰ってきたのだけれど、私が何か聞いたり話したりしても、たいがい無視するか「うるせえ」と答えるかのどちらかで、弟のくせに本当に生意気。離れて暮らした3年間で、クソ生意気でしかも私の事を大嫌いなヤツに仕上がっている。
弟は市外の中高一貫校の中等部に受かって、中学の3年間寮で暮らしていたのだ。
最初のうちは土日の度に帰ってきていたが、それもだんだん間があくようになり、その間にぐんぐん背も伸びて、中2の始めのあたりで追い越され、家に帰る度に私には悪態をつくか無視するかのどちらかになった。
家族になった始めの頃は、父と母がいない二人きりの時は寂しがって私に甘えて来ていたくせに。
中3になるとほとんど家には帰って来なくなって、今回最後に会ったのはクリスマスだった。正月も冬休み明けのテストがあると言って帰って来なかったし。父と母は心配してたまに寮に訪ねて行ったりもしていたが、私はもちろん高1にもなって中3の弟の寮に訪ねていくツアーに参加する事はなく、しばらく会っていなかった。
高校受験の時にもここから3キロくらい離れたところにある祖母の家に泊まっていた。
今も制服のネクタイの結び方をちょっと教えてやろうと思ってもそんな感じだ。
「ちょっと!」と私は当然怒る。「あんたの返し『うるせえ』ばっか。それしか言えないの?」
弟のチハルは大きくため息をついてから吐き捨てるように言った。
「いやもう黙っといて。つか、ちょっとお前もう自分の部屋に戻っとけよ」
「は?」
ちょっとお前もう自分の部屋に戻っとけよ…チハルの言葉を心の中で繰り返す。
「ちょっとあんた、お前って何!?」
姉ちゃんに向かってお前!
まぁ…向こうが小6くらいから、二人の時には私の事をお前って言い出していたけど。
注意しても流すし、さすがに父と母の前では言わないから許してしまっていたけど。今は母もいるのにお前呼ばわり。
「チハル~~」と母が言ってくれる。「お前なんて言い方許されないよ?お姉ちゃんて呼びなさいちゃんと。それかチナちゃんて呼びなさい」
「…」
チナちゃんなんて呼ばれた事ないですけど弟に。気持ち悪いですけど、呼ばれたとしたら。
「気持ちわりぃ」と案の定弟もほざいた。
可愛く私の言う事を聞いてたのは、ほんの1年あったかなかったかくらいだったよね…
あんまり家に帰って来ないものだから、私の事が嫌なのかなとも思っていたけれど、難関の中高一貫校だからなおさら、高校に上がるのに勉強が大変なんだろうなとも思っていた。
私も一応大学への進学率の高い高校に受かる事が出来たが、残念ながら中高一貫校に通っている弟の方が格段に成績はいい。弟のくせに、と思って悔しいところだ。
が、「なんかねぇ」と母が2月に入ってから言った。「高校、チナちゃんが行ってる所にたぶん行く事になるのよチハル」
ビックリだ。どうしたんだろ…有名校を途中で止めるなんてもったいない。学校と寮の生活がうまくいってなかったんだろうか。私に対するような態度で友達に接していたとしたら嫌われていたかもしれないけど。…でもそんな感じだったらどこの学校へ行ったところで同じだと思うけど。「ほんとに!?なんで?成績落ちちゃったの?一貫校の上に進めない感じ?」
「いや、そうじゃないんだけど。…大好きなお姉ちゃんのチナちゃんの通ってる高校に一緒に通いたかったのかな~~」
「まさか!私ずっと…」
チハルに嫌われてる感じだけど、と言いそうになって慌てて止めた。母が心配したらいけないから。
「そっか、良かった」と笑顔を作って言った。「お母さん、寂しかったよね3年間」
「あ~…でもね、やまぶき高校に代わるんだけど、うちに帰って来るってわけじゃなくて、おばあちゃんちにね、住む事になるのよチハル」