act4★王子と私、だけの世界…?
「では、今回の実験の手順を説明しますーーー」
先生の言葉がBGMのように右から左へと流れてゆく。
実験?
それどころじゃない。
私の脳内は未だ混乱の真っ最中なのだ。
今は二限目。
ここは理科室。
生物の授業中である。
そしてこれから、『カタラーゼがどうたらこうたら』の実験を始めるのだが。
私の脳内を占めているのはそのような瑣末なことではない。
『オレが、キミと、一緒にいたいんだ。
学校でも。それ以外でも』
あれは、どういう意味だったのか。
『梨々香って、呼んでもいいかな』
いきなりの呼び捨てはなぜなのか。
『涼也って呼んでくれていいから』
いやそれはムリというもの。
登校早々友人達に騒ぎ立てられ、池田くんからはありがたい申し出をされお断りしたにも関わらず気付けば承諾させられ。
加えての『一緒にいたいんだ』発言の投下、更には親しくもない相手からの下の名前呼び捨て行為に混乱を極めたままホームルームを終えた私は、教室のあちこちからこちらをガン見する『後で絶対吐かす!覚悟しろぉ』オーラをギラギラ放つ幾対もの眼差しに力なく頷くと、まだ一日の始まりだというのに心身共にドッと疲れたまま一限目の英語の授業に突入し。
そこで更なる事態に遭遇してしまったのだ。
先生に当てられた生徒が教科書を読み上げること。
それは当たり前のことであるが、今日の内容はいつもとは少々趣が異なった。
『よし。じゃあ……ここは池田くんと羽生さん、読んでください』
指名され、起立した池田くんと私は、教科書を手に英文を追って読み始めた。
ちなみに学年トップの池田くんは、英語の発音もネイティヴ並である。
まったく、彼に不得手なものは何一つないんじゃなかろうか。
そして、流暢な英語を紡ぎ出す池田ティーチャーとの個人授業を熱望する女子がうっとりと見上げている光景はもはやこのクラスの風物詩になりつつある。
私はと言えば、理系科目は苦手だが、文系科目は得意で、英語の成績は学年六百人中十番辺りをウロついているが、これは、中学入学直後大ファンになった海外アーティストの英語詞を歌いこなしたい、上手く発音してみたいの一心で頑張っている内にメキメキと上達した、趣味が高じて…的な成果なのである。
私オリジナルの習得法により日々ブラッシュアップされ進化し続けている発音の方も、友人一同からの『ええ!?ハニー、帰国子女じゃなかったんだ!?』などと、そんな褒めてもお弁当の唐揚げはあげないよ!的な、お世辞とは知りつつもこそばゆいような褒め言葉を頂けるようになり感無量である。
更なる精進を続けるべし。
話が逸れたが。
指名された私達。
読まされたのは、ある海外文学小説の一部であった。
その内容は、愛し合う二人が戦争により引き裂かれ、再び巡り会い結ばれる、大変ドラマチックなストーリーである。
そして、今回当てられたのは、そのラストシーン。
#以下『』内は英語です↓
『キャシー、キミを愛している。
キミは僕の全てだ』
『私もよ。私も、ジェレミー、あなたを愛しているわ』
『もう二度とキミを離さない』
『ええ、離さないで』
『最愛のキミに誓うよ、僕の身も心もキミのものだと』
『ああ、ジェレミー!
私の全ても未来永劫、あなたと共にあるわ!』
『キャシー』『ジェレミー』
…ってな具合の会話が為されたのである。
くうっ…!
誰だ、こんな素晴らしくメロメロドラマチックなストーリーを健全なる高校英語教科書に載せたのはっ。
こんなの読まされる身にもなれ!恥ずかしさで死ねるレベルだ!!
読みながら、私の顔は茹でダコの如く蒸気していたに違いない。ああああ…っ。
しかも。
これを読んでいる最中に私の右肩に何かが触れ、ふと見上げれば、前を向いて立っていた筈の池田くんの体が、なぜか九十度回れ左!して私を見下ろしていたのである。
仰天する私をじいいっと見つめるその双眸は、さっきのブリザードごうごうの王子のそれではない、ひどく甘ったるいものだった。
その甘ったるい引力に魅入られたかのようにフラフラと池田くんの方へと向いてしまったのは不可効力だと声を大にして言いたい!アレにヤラレない女子なんているわきゃないのだ!
とにかく、まるで二人だけの世界を作り上げたまま、教科書も見ずにスラスラと、情感たっぷりに私に向けて語り掛けるかのような池田くんを前に、文章と池田くんの顔を行きつ戻りつしながらどうにか読み終わった時には、私の体は窓際まで追い詰められていたのだ。
幾つもの小さな悲鳴渦巻くざわついた空気の中。
無言のまま見つめ合うキャシーとジェレミー。
もとい、私と池田くん。
その時。
『せんせー、気分が悪いんで保健室行かせてもらうわ』
唐突に、椅子を蹴立てて立ち上がり、先生の返事も聞かずにスタスタと教室を出て行った園田くん。
その場の空気がガラリと変わり、みんなの視線の先が私達から園田くんへと一斉に移った瞬間、慌てて前に向き直れば、池田くんも自分の席へと戻って行った。
そうして、二十八歳独身彼氏いない歴三年の女性英語教師が何度か咳払いをした後。
頬染めてうっとりと、『はい、大変よろしい』と声を掛け、着席の運びとなったのだ。
とんだ赤っ恥を掻いた私達の寸劇にいたく感動した先生により、後日、またしてもこのページを読まされる羽目になるとは思いも寄らぬ私であった。
チャイムが鳴り、次は理科室へ移動となり、松葉杖をついて歩く私を手伝うという名目でワッと近付き無理矢理引き摺るようにして私を連行しながら根掘り葉掘り、たった十分の休憩時間に可能な限りの情報を聞き出し問い詰めてくれた心優しき友は、百合ちゃんである。
その周りを囲むいつもの顔触れに、その他クラスの女子達も大勢混じっての地響きがしそうな大移動はさながらヌーの大群のようでもあり、そりゃあ恐ろしかった。
理科室に着き、一番後ろのテーブルの席に着いてからも、先生が入って来るまで、ギャンギャン喚き立てる女子達からの更なる質問が浴びせられる中。
『なんかもお、ハニーってば全校女子を敵に回しちゃってる感じい?きゃん、こわあい!』とウフウフしていた星羅ちゃん。
お……………恐ろしいこと言うなあああ!
「ちょっと!ハニー、ほら始めるよ」
「わっ…!な、なに?」
いきなり肩を揺さぶられ、脳内で繰り広げられていた回想シーンがブッツンと切れた。
「何って、実験じゃん!
ほらほらボーッとしてないで手を動かしてよ」
…の、言葉の間に「続きは昼休みにじーーっくり聞かせてもらうからね」と小声で囁いて私にだけ見える角度で、そのアイドルのように整った麗しい顔に凡そ似つかわしくない黒い笑みをニンマリ浮かべてから、テーブルの上でチャッチャと準備を進めているのは、知花ちゃん。
朝一で私を襲撃して来た内の一人である。
「…ごっ、ごめん」
昼休みよ来るなー!と念じつつ慌てて試験管やらピンセットやら薬品やらを並べるのを手伝っていると、テーブルの向こうに座った、同じ班の矢部くんがふいに顔を上げて私の後ろを見たから私も一緒に振り返ったら。
「……園田くん」
そこに立っていたのは、仏頂面した園田くんだった。
そう言えばすっかり忘れていたが、さっき園田くんは気分が悪いからと保健室へと向かったのだった。
「園田くん、具合、大丈夫?」
そう尋ねた私を一瞬だけ視界に入れた園田くんは微かに頷くとスッと目を逸らし、私の横を通り過ぎてテーブルの向こう、私の前の席に座った。
えーーー。
生物の授業の実験の班は四人一組で、ほぼ男女半々である。
よって、我が班も私、知花ちゃん、矢部くん、そして園田くんの四人なのだけど。
遅刻常習犯の園田くんだが、生物の授業に関しては不思議と今の所欠かさず出席しているため、みんな仲良く、時にイタズラを仕掛けては実験の手を止めさせる園田くん(ターゲットはいつも私だ!なんでだ!)の暴走を抑えつつ、概ね和気あいあいとした雰囲気でやってきた。
…のに。
今、我が班には、禍々しい怒気を孕んだ空気が漂っていた。
主に、園田くんエリアから。
え?
私?なんか、した…??
顔を伏せたまま、その目だけを上げてこっちを睨んでる(としか思えない)園田くんにビビりながら、実験が始まったのである。
お読みくださいまして、ありがとうございましたo(^▽^)o