act3★梨々香って、呼んでもいいかな、 …って、は?
「え…っと、どうかした?」
「いや、何でもないよ」
肩まで震わせて、何がそんなにおかしいのだろうかと首を捻っていると、そんな私に気付き、急に取り澄ました顔に戻った池田くん。
おお。キリリと凛々しいその顔にいつもの鋭い眼差しが良くお似合いで。
けどこうして見ると、通常運転の池田くん、冷凍光線放つと言われてるほどに怖くはないかも。
少なくとも五月に席替えして隣同士になってから、冷却された覚えはないし。
おや?僅かにピクピクしている口元が緩んでいるように見えるのは気のせいかな?
能面のように表情の変化に乏しい人なのかと思っていたから、さっきの笑い声もほんと予想外だった。
昨日のお姫さま抱っこといい、あの赤面モノのセリフといい、愉し気な?微笑みといい、寡黙とは真逆に滑らかに会話する様といい。
凡そ漆黒の王子らしからぬ一面、二面、三面…とまだまだ登場しそうな気さえする変貌ぶりではないか。
一体どんな心境の変化なのか、ついでにそこら辺も語ってはくれまいか池田くん。
もっと表情豊かに喜怒哀楽を曝け出して、人間らしさ全開の池田くんてどんな男の子なのだろう。
ちょっと想像つかないけど。かなり興味深い。見てみたいかも。
「羽生さん?聞いてる?」
「ん?…ひぇ…っ!あ、痛…っ、ごめ、ちょっと…聞いて、ない」
わああ…っ!!緊急避難…っ!!!
いつの間にやら池田くんの顔が目の前十五センチまで接近してた!!
仰け反った拍子に太ももがズッキーーン。
ふううう。あっぶな。これ以上筋肉裂けたら松葉杖ついても歩ける自信ないよ私。
「はぁ…」
スカートの上から患部をさすっていると、
「驚かせてごめん。
大丈夫…じゃないよな。ごめん」
隣から聞こえた神妙な声に急いで顔を上げる。
「あ、や、大丈夫、大丈夫。
ボーッとしてた私が悪いんだし。ごめんね。
えっと、さっき何か言いかけてた?」
まさか池田くんウォッチングしてたせいで聞いてなかったとは言えず、誤魔化すようについ早口になってしまった。
「ああ…あのさ、良ければ、なんだけど」
「……うん?」
「通院……当分、続くだろ?」
「うん。結構ヒドいらしくて長引きそうだって、先生が…」
「だろうね。
それでさ、良ければ通院の時、ウチの運転手に送らせてもらえないかと思って」
「えっ!?」
「その後はちゃんと家まで送り届けるし」
「いや、なんで、え?」
「今朝も学校まで送ろうと思ったけど、ほら、昨日会ったあの…」
「あ、ああ…清くん、のこと?…っ!?」
ああれ?今なんか池田くんの目がこう、ギロン!って光ったような??
「そう。その『せいくん』とやらが送るって言うから今朝は我慢したけど」
我慢?なんで我慢??
「さっきの土屋さんの話だと、帰りも彼が迎えに来るみたいだね」
土屋さんとは百合ちゃんのことである。
「そう、だけど…」
「今日は仕方ないとして。
足が良くなるまで…明日から、ウチの車で送迎をさせてもらいたいんだ」
「そっ、れは…、ず、図々しいでしょう…」
「いや寧ろ喜んで…」
「は?」
「叔母の所へ連れて行ったのはオレだし、こうして関わったからにはちゃんと面倒を見させてほしい」
「いやいやそこまで気を遣わなくていいから…!」
どんだけ気配りの人なんだ、池田くん!!
「羽生さんのお父さんは単身赴任中だしお母さんは免許はあるけどペーパーなんだってね」
どこまで世間話してたんだあの母は…!
「そうだけどでもね」
「オレの送迎のついでだと思って遠慮なく利用してくれていいよ。
叔母の診療所はオレの家と学校までの丁度中間地点なんだ。そこから羽生さんを送ってウチまで帰ってもそう遠くないし。通り道だしね」
………ん?
「ちょっと、待って、池田くん。
え……と。一つ、確認事項があるんだけど」
「なに?」
「池田くんの、送迎の都合…って。
池田くんってバス通学だよね?」
私と同じくバス通学の女子達が『漆黒の王子』がどうのこうのと、同じ空気を吸えただけでキャピキャピ騒いでいるのだ。毎朝ね。
私の乗るバスは、池田くんが乗るのと同じ路線だけど、池田くんの周りは砂糖に集るアリンコの大群のようにいつも女子達で埋め尽くされているためその全身をしかと目視できた試しがなく、見えるのは背の高い王子の頭から上だけなのだ。あれでは窒息しそうに窮屈であろう。王子、ご愁傷さまです。
「うん、まあね。
けどたまには車でもいいだろ?」
いや。だろ?って言われても。
もしや、アリンコの大群に辟易したため、お車にて登下校にシフトチェンジ?
うむ。有り得るな。
てか、やっぱり池田くんておぼっちゃまなんだね。
だって、あのお高そうな黒塗りの車で送迎だよ?
ふかふかシートに広い車内、乗り心地最高だったもんね!
運転手さんからは「お嬢さま」なんて呼ばれちゃったしね。いやあ恐縮です!
ビバ!おぼっちゃま!!
だけどやっぱり、私の怪我は池田くんには何の責任も関係もない訳で。
ここはご好意だけ頂いておきましょうそうしましょう。
「あの。お気持ちはとってもありがたいのだけど。
私、何とか歩けるから通院も帰りもバスを使おうと思ってるし、朝は清くんが大学に行く前に送ってくれるから。あ、それに帰りも清くんが来れる日は迎えに来てくれるし。だからね、ほんと、そんな気を遣わないでいいからだいじょ…!?」
えーーー。
なに。なんだコレ。
めめ、目の前に、猛烈なブリザードが見えたっっ!気がする。
今は五月。今日は晴天。
なのにどうしてなのだ!?
私の話を聞いていた池田くんの全身から凍りつくような冷気が放たれ、その瞳は冴え冴えと恐ろしいほどに私を射抜いているのはなぜ!?!?
え?もしかしてこれが噂の『冷凍光線』なのか!?
わ、私、なんかした!?
もしかして怒らせた?え?でもなんで?
え、え、え、ちょっと待って。思いつかない。なにした私???
瞬きもできないような緊張感の中、池田くんから目が逸らせない私に、絶対零度を纏っていても冴え冴えと美しいその顔がゆっくり近付いて来る。
ぎ、きゃあーーー。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!
「羽生さん」
「は、はひ…っ?」
ヤバい。く、唇もブルッブル震えてるじゃないか。
ひひ、怯むな私!
「ななな、んでしょう?」
あ。今、鼻でフッ、て笑われた? むうう。
「間違ってほしくないんだけど」
「???」
なにをだ?
「気を遣ってるとか、責任感からとか。
そんなんじゃない」
と言うと?
「心配なんだ。危なっかしくて」
「そ、れはどうもスミマセン」
「…いや、そういうとこも庇護欲をそそるっていうか」
「は?」
「まあ、ちょっとドジなとこも寧ろいいっていうか」
「えっ?」
「オレが、キミと、一緒にいたいんだ。
学校でも。それ以外でも」
「………え………?」
イッショニイタインダーーー?
「だから、オレに甘えて。言う通りにして。
明日からはオレと一緒に登下校しよう。
叔母の所へも送るから。いいね?」
ごめんなさい。ちょっと脳がフリーズしたかも。
「いいね?」
「う……ん?」
はっ!なぜ頷く!
「いい子」
池田くんがそう囁いた瞬間。
氷点下から一気に沸点まで到達した熱波のような空気がぶわあっと押し寄せる。
熱っ。
なんだ?顔、熱い。耳、熱い。手も、熱いしじっとりじとじと。。。
「ハニー…って、呼ばれてるんだよね、羽生さん」
ハニー??ああ、はい。
その通りですけど?
「それも可愛いけど」
可愛い?へええっ…!?
「じゃあ、オレはーーー梨々香って、呼んでもいいかな」
「はい??」
ごめん。『じゃあ』がどこに掛かるのか分からん。
「いいよね、梨々香」
『梨々香』
この高校で私をそう呼ぶのは、今や中学からの友達だけだ。
誠に不本意ながら、現在絶賛『ハニー』で売り出し中につき、このクラスでも殆どがそう呼ぶ。
そんな稀少な呼び名を、なぜ池田くんが!?
混乱を極める私に畳み掛けるように、超至近距離まで顔を近付けた池田くんが宣うた。
「オレのことも、涼也って呼んでくれていいから」
「りょ…!そ、は?やっ…」
いやそれハードル高いって!
「呼んでみてよ、梨々香」
いやいやいやそんな親しくもないのに親し気に呼ぶ理由ないから…っ!
椅子に掴まり仰け反る私の横を何かが過ったと思った次の瞬間。
「朝っぱらから盛ってんじゃねーよ!」
ギロリと鋭い一瞥を浴びせ、フン!とばかりに顔を背けて私の前の席に着いたのは。
「そ…園田、くん?」
えええ???
「なんだよ?」
ぐるんと振り返ったその顔は凶悪そうで、『ちょい不良』どころか『マジ不良』。
眉間のシワ、すんごいくっきりはっきり寄ってるぞ!!
フェロモン垂れ流してるあの顔、どこいった?
「や、あの…、は、……早いね?」
「そうかよ?」
「う、うん。だっていつもは」
一限終わりか二限か三限のどっかからしか来ない重役出勤、いや登校してるじゃないか。
「ムシャクシャして寝てねーんだよ。
んでそのまま来た」
「そ、のまま」
…とは。
「寝て、ないの?」
「だからそう言ってるだろ」
「え?大丈夫?」
思わず身を乗り出して園田くんの顔を確かめれば、なるほど目の下にクマさんくっつけてるし目が赤いね。
「おまっ…!」
「え?」
目と目が合った瞬間。
園田くんの顔がみるみる桃色に染まってゆく。
わっ。男子のくせに透き通るように白い肌がほわほわ茹ってく様はなんてかわゆいのだ!!
ぼうっと見惚れていたら、いきなり右腕を引かれて驚く。
「へっ!?」
振り向いた先には、またブリザード全開の池田くん。
ぞくん!と震えた私を見つめ、口元だけで微笑んだ池田くんが、その視線をちらり、園田くんへと向けた。
「ホームルーム始まるよ、梨々香」
そう、私に言ったのに。顔は園田くんに向いたままだなぜだ。
「チッ、呼び捨てかよ」
そんな忌々し気な園田くんの呟きも、園田くんを威嚇するように睨め付ける池田くんの視線にも。
気付くことなく先生の登場に慌てて席に座り直した私なのだった。
お読みくださいまして、ありがとうございましたo(*^^*)o