第1章(3)
オリガが着地したのは小さな青い屋根の教会の目の前だった。そこは五回ほどお供え物を取りに行ったことがある場所であった。
「やはり・・・・・・」
そこに祭られているのは自分自身である。現実は神の罪を許してはくれないらしい。
オリがは自分が祭られている場所など見る気にもなれず、教会の前のベンチに腰掛けた。雪が少しだけ積もったベンチはひんやりと冷たく、孤独感と寂しさを際立たせた。
――リズとアダムを連れてくればよかっただろうか。それとも、部屋に閉じこもっていればよかっただろうか。
いろんな考えが頭を駆け巡ったが、どの方法をとったところで気持ちが変わることはないだろうという結論に辿り着く。
「もういっそのこと、神などやめてしまおうか」
雪が止み太陽が顔を覗かせ積もった雪が白くキラキラと輝く。その情景に逆らうかのように、オリガの心は黒く深い闇へと沈んでいった。
「お姉さん、起きて!起きてください!」
舌っ足らずな少年の声が聞こえる。いつの間に眠ってしまったのだろうか。
オリガはゆっくりと瞼を上げる。
「そなたは・・・・・・」
「ぼくはミリー。ミリー・ブリリアントですっ。それより・・・・・・、こんな所でそんな寒そうな格好して眠っちゃだめですよ。お風邪引いちゃうからっ」
目の前にいたのは天使であった。それは、リズやアダムのような役職上の天使ではなく、神話で伝えられている愛らしい天使のことである。
オリガは頬を熱くして目の前の天使を見つめた。
「わらわの名はオリガ。天・・・・・・、いや、遠い遠い国の皇女である」
「こう・・・・・・じょ?」
ミリーは目をぱちくりさせて首をかしげた。言葉遣いはとても丁寧であったが、さすがに脳はまだ子供である。
「まあつまり・・・・・・、お姫様ということだ」
オリガは少し照れながら言う。自分自身を『お姫様』なんていうかわいらしい名前で呼ぶのは少々気が引けた。
ミリーはそんなオリガの様子にも気づかず、目をひたすら輝かせた。
「お姫様・・・・・・っ!とても偉い人ですよねっ。お父さんがくれた本に書いてありました」
「ま、まあ・・・・・・、偉くないと言えば嘘になるな」
天使のような少年との会話で、オリガは自分が悩んでいることさえも忘れそうになっていた。
和やかな空気を一瞬で壊したのは、その天使の悪意ない一言であった。
「そんなお姫様がなんでこんな所にいるのですか?オリガさんの国の人達はきっと心配してます」
忘れかけていた記憶が一気にフラッシュバックした。リズとアダムの言っていることなど何一つ聞かずに出て行ってしまったこと。神をやめようと少しでも考えてしまったこと。そして、大きな罪から逃げようとしていたこと。
オリガは目の前の少年を見る。あふれ出る包容力にすがりたくなってしまう。この少年になら自分の気持ちを素直に話せるような気がしてしまうのだった。
オリガは意を決して切り出した。
「ミリー。わらわの話を聞いてくれるか?」
ミリーは小さくうなずいた。
オリガは短く深呼吸をして話し始めた。
「実はわらわは、大きな罪を犯してしまったのだ。姫として、絶対にしてはならないこと。わらわのせいで、多くの人々が命を落とした・・・・・・」
「国の人は怒っていたのですか?」
「いや・・・・・・。使用人たちは気を遣ってくれたし、他の神も何も言わなかった。しかし、きっと内心では失望しているだろう。一生この罪を許すはずは無い。なにより・・・・・・」
オリガの目から一粒涙がこぼれる。
「わらわ自身がそれを許せない。本来人々を助け、守らなければならない皇女がこのような過ちを犯してしまうなど・・・・・・。いや、わらわに皇女を名乗る資格などないのかもしれない」
涙が次々と溢れてくる。悪いのは自分自身で、本当に泣きたいのは被害者であるはずなのに。
目の前の少年もきっと不快な気持ちだろう。出会ってから一時間も経っていない見ず知らずの者によくわからないことを言われて。理不尽に加害者が泣き出して・・・・・・。
オリガはしばらく涙を止められずにいた。
なにかとても優しいものがオリガの髪を撫でた。
顔を上げると、それはミリーの手であることがわかった。ひどく悲しそうな顔でオリガを見つめていた。
ミリーは撫でる手を止め、少しの間目を閉じ考え込んだ。そしてゆっくりと目を開け、口を開く。
「お姫様は・・・・・・別に、その人達を殺したかったわけじゃないんですよね」
「もちろんだ。わらわは人々を愛し、守りたいと思っている!」
オリガの力強い返事を聞くと、ミリーは優しく微笑んだ。
「だったら・・・・・・、きっとみんな許してくれると思います!ちゃんとごめんなさいして、その分毎日がんばって生きてたら。だって・・・・・・」
手袋をはめた小さな両手がオリガの冷えきった手を包む。
「お姫様はいい人だから!とても優しくてがんばり屋さんだから!」
オリガは目を丸くした。
「なぜ、わらわはいい人なのだ?悪いことをしたのだぞ」
ミリーはにこりと笑う。
「お父さんが言っていました。他人のことを想い、泣くことのできる人はとても優しい心を持っている、って。だれかから怒られたわけじゃないのに、すっごく色々考えて、涙まで流してしまうなんて・・・・・・。お姫様は絶対にいい人ですっ」
「ミリー・・・・・・」
夕日が降り注ぐ。暖かい、橙色の光が。まるでその光が、オリガの凍ってしまった心を解かしていってくれるようであった。虹色の瞳も、本来の輝きを取り戻していた。
――ぐぎゅう。
オリガのお腹が鳴った。そういえば今日は昼食をとっていなかった。
ミリーはくすっと小さく笑った。
「もう夕方ですもんね。実はぼくもお腹すいていますし・・・・・・」
あ、そうだ、とつぶやき、ミリーは目を大きくする。
「ぼく、今日誕生日なんです。お母さんがいっぱいごちそう作ってくれるから、オリガさんも一緒に食べませんか?」
オリガは目を輝かせた。
「いいのか?ぜひ一緒に祝いたいと思う。・・・・・・あ、でも、いきなり押しかけて失礼ではないだろうか」
ミリーは首をぶんぶんと横に振る。
「たくさんの人と食べたほうがおいしいもん!・・・・・・だから、ぜひ来てください」
「そ、それなら・・・・・・。甘えさせていただく」
オリガが少し頬を染めて言うと、ミリーは無邪気に笑いオリガをベンチから立たせた。
「早く帰りましょっ!お母さんがシチュー作れなくて困ってるから」
ミリーは片方の手に紙袋を抱え、もう片方の手でオリガの手を引いた。
二人は黄金に輝く世界の中、家に向かって走り出した。