第1章(2)
「お母さん、お父さん。本当になんでも買ってくれるの?」
頬を桃色に染めて両親を見つめる金髪少年の名はミリー。瑠璃色と萌葱色の大きなオッドアイが宝石のように輝く。
父親と母親は微笑み合った。
「愛しのミリーの五歳のお誕生日ですもの。おもちゃでも、お洋服でも、新しいスキー板でも」
「まあ、さすがに家とか言われちゃったら困っちゃうがなぁ」
「えへへ・・・・・・。さすがにそれはお金がなくなっちゃうよ」
あのね、とミリーは続ける。
「ぼくはフルルバーク地方を旅するおはなしの本がほしいの」
「本でいいのか?」
「うん。ぼく、本大好きだよ」
そうかそうか、と言いながら父親はミリーのふわふわの髪の毛を撫でた。
「それなら、デリウッド婦人の書店に行くのが良さそうだな」
「ちょうどいいわ。デリウッドさんに試食してほしいケーキがあったのよ」
「ぼくもケーキ食べたいよ」
「お酒が入っているからだめよ。それに、今日のパーティーでベリータルト食べるのでしょう」
「そうだった。お母さん、いつもみたいにおいしいの作ってね」
「ええ。いつも以上のが作れるように、お母さんがんばっちゃうわ」
何の変哲もない家族の会話。しかし、ミリーも両親もそんな時間が大好きであった。
あたたかい時間は、降り続ける雪の存在さえも忘れさせた。
ミリーは、もじゃもじゃひげの王様の写真のページに羽のしおりを挟んだ。
そして、書斎で手紙を書く父親の顔を覗き込む。
「ねえお父さん。お父さんはフルルバーク地方には行ったことないの?」
父親は手紙を書くのをやめ、ミリーを膝の上に乗せた。
「フルルバークか・・・・・・。あの辺りにはまだ行ったことがないな。その本にはどんな風に書かれていたんだ?」
ミリーは目を閉じて夢見るような口調で話し始めた。
「フルルバーク地方はね、ここより何倍もあったかいんだよ。春になるとお花がたくさん咲いて、冬も植物がいきているんだ」
「きれいな場所なんだろうな」
「写真のお花畑、すっごくきれいだったよ。あとね、その地方の王国はね、みんな仲良しなの。だから、色々なものをあげっこしたりもらいっこしたりするんだよ。・・・お金がない人もある人もみんな助けあいっこしてるから幸せなんだよ」
ミリーは目を開いた。しかし、その瞳は哀しげに潤んでいた。
「なんでレイマリア王国は他の国と仲良くできないの?なんでお金がない人ばかりひどいことされるの?」
父親は、今にも泣き出しそうな我が子を優しく抱きしめた。
「きっといつか、この国も幸せになれるはずだよ。ミリーが大人になる頃には・・・・・・きっと」
ミリーは顔を上げた。
「ほんとうに?」
「ミリーがいい子にしていたら神様が叶えてくれるかもしれないよ」
父親に髪の毛を撫でられると、ミリーは天使のような笑みを浮かべた。
「ぼく、がんばる!みんなみんなが幸せになれるように」
ミリーはもう十分いい子だよ、と心の中でつぶやきながら父親は顔を綻ばせた。
そんな暖かい雰囲気を破るような小さな悲鳴が台所から聞こえた。
「まあ、どうしましょう!シチューに入れる野菜、焦がしてしまったわ」
二人は台所に駆けつけた。
「野菜なしシチューは栄養的にまずいな。今から買いに行ってくるか・・・・・・」
父親がコートを取ろうとすると、小さな手がそれを制した。
「ぼくが行くっ。一人で全部買ってくる」
「でもミリー。お外はとても寒いわよ。一人じゃ心配だわ」
母親が必死で止めようとするが、ミリーは首をぶんぶんと横に振った。
「一人じゃなきゃだめ。ぼく、いい子になりたいの。みんなが幸せがいいの」
両親は我が子のまっすぐな眼差しに負けた。
「わかったわ。気をつけて行くのよ。じゃがいも、人参、玉葱、あともしもあったらカリフラワーも買ってきてほしいわ」
「じゃがいも、にんじん、たまねぎ!あったらカリフラワーもっ」
「バッチリね。ちゃんと暖かくして行きなさい」
「ミリーなら大丈夫だ」
ミリーはベージュのセーターとふわふわのコートを着て、メモとお金が入ったポシェットを手に取った。
「じゃあ、行ってきます!」
毛糸のミトンともこもこの飾りがついた耳あてをつけ、ドアノブに手をかける。
「あ、ミリー。ちょっと待ってっ」
母親が橙色のポンチョを羽織らせた。止め具部分にはミリーの右目と同じ瑠璃色の宝石が埋め込まれたブローチがつけられていた。
「このブローチ・・・・・・。お母さんの」
母親はウインクしてみせた。
「お母さんからのもう一つの誕生日プレゼント。ミリーが大切に持っていて」
「お母さん・・・・・・。ありがとう!」
ミリーはまんべんの笑みを母親に向け、雪の降る外の世界へ飛び出していった。
レイマリア王国はあまり力を持たない小さな国であった。一年中寒さが厳しいため資源に恵まれず、昔から国民は他国に対し劣等感を感じていた。その不満のはけ口とするため、百年ほど前から厳しい身分制度が続いている。標高が高く寒さの厳しい山奥の村に身分の低い者達が暮らし、標高が低くなるにつれて身分が高くなっていく。国の大半が寒帯に位置する中、唯一冷帯である平地に貴族や王族は住んでいるという。
ブリリアント家は中間層が住むリリング町の中では上の身分だ。しかしそれをおごるわけでもなく、むしろ謙虚に振舞うのである。町人は皆そんなブリリアント家が大好きであった。高貴な雰囲気漂う旅人アンドレイのこと、温和な貴婦人アーニャのこと、そして天使のように美しい少年ミリーのことも。
ミリーはアルヤタ商店街で『ミスター・プルーンの野菜店』を探していた。初めてのおつかいの嬉しさにスキップをしていると遠くから低く少ししゃがれた声がミリーを呼んだ。果物屋の主人、ジャックである。
「おーい、ブリリアントのとこのぼっちゃん。おいしいフルーツが手に入ったんだがいらんかね」
「ジャックさんっ、こんにちは。あ、今日はお野菜を買いに来たので・・・・・・」
「ぼっちゃん一人でおつかいだろ。おじさんからのごほうびだ」
ジャックはミリーのコートのポケットに青りんごを入れた。
ミリーはポケットの青りんごとジャックの顔をきょろきょろと交互に見た。
「ええっ。いいんですか?」
ジャックはいたずらに笑った。
「とびっきりの笑顔をくれたらね」
ミリーは白い歯を見せてにかっと笑ってみせた。ジャックはじーっとミリーを見つめ、それから両手で大きな丸をつくり合格だと言ってくれたのだった。
野菜店に並んだかごを見てみると、じゃがいも、人参、玉ねぎ、運良くカリフラワーも二つほど残っていた。
「プルーンさん、こんにちは」
ミリーが奥の方でとうもろこしを整理するプルーンを呼ぶと、プルーンは笑顔で振り向いた。
「いらっしゃいませ、ミリーくん。お誕生日おめでとう。今日は一人でどうしたの?」
「ありがとうございます。実はお母さんがシチューを作ってる時に野菜を焦が・・・・・・。ええっと、あっ、野菜を買い忘れちゃったんです」
プルーンはミリーの必死のフォローに笑いを堪えながら言った。
「シチューに合わせる野菜だね」
「そうです。じゃがいもと人参と玉ねぎ、あとカリフラワーも」
「了解」
プルーンはその野菜達を丈夫な紙袋に入れた。それから何故かブロッコリーまでおまけに入れてしまった。
ミリーはこてんと首をかしげる。
「あれ、ぼく・・・・・・間違えてブロッコリーって言っちゃったかな」
よくカリフラワーとブロッコリーがごちゃまぜになってしまうミリーは不安になった。しかし、プルーンは人差し指を立てて唇にあててみせた。
「ミスター・プルーンからのバースデープレゼントだよ。シチューによく合うからね」
ミリーは思わぬ二つ目のサプライズに胸を高鳴らせた。
「プルーンさんっ、ありがとう!」
ミリーは会計を済ませると、スキップをして商店街を後にした。
「こんなにうれしいことがあるなんてっ。神様にお礼を言わないと」
ミリーはにこりと笑って教会へ走り出した。
ジャックとプルーンが、ミリーの好感度について暗黙のバトルをしていたという事実を、純粋な少年が知ることはなかったのだった。