第1章(1)
――時は十年ほど遡る。
才能の神、そして天界の皇女であるオリガはお供え物のミルクチョコレートを食べながら優雅にティータイムを楽しんでいた。真下の雪国から大きく西に行った地方で生産されるらしいこの茶葉。ミルクティーにするのならこれが一番合う。
「リズ。ミルクティーのおかわりが欲しい。もちろん、茶葉はミルライムにしろ」
オリガが手を叩くと、チョコレート色のメイド服を着た少女が走ってきた。彼女が手に持っているものはポットでもミルクでもなく、重そうな書類である。
「姫様。のんびりお茶なんか飲んでいてはいけません。才能がある人を見つけに行くか、この書類すべてに目を通しサインをするか・・・・・・。どちらか選んで下さい」
私の仕事が増えるんですからね、と一言加え音を立てて書類を置く。リズはオリガより五歳も年下であるのに、家庭教師のような口調で話す。果たして本当に『姫の忠実な使用人』であるのか。オリガは毎度疑ってしまう。
オリガは渋々立ち上がった。
「わかったわかった。雑務はやりたくないから人間界へ行ってくる。書類の方はわらわが帰るまでにお前とアダムで片付けておけ」
はーい、とやる気の無い返事をするリズの隣に執事とみられる青年が歩いてきた。
瑠璃色のスーツを着こなす青年はリズの肩に手を置いた。
「まったく・・・。本当はこれ、姫様がやらなきゃいけないことなのよ。あたしはともかくリズちゃんに負担かけさせないでほしいわ」
化粧栄えする美麗な顔に似合わなくもないこの口調。アダムはオネエである。
オリガは苦笑した。
「まあ、わらわに仕えてしまったのがお前らの不幸だな。それじゃあ行ってくる」
リズとアダムは胸に手をあてて頭を下げる。
「いってらっしゃいませ。どうか良いご審判を」
オリガが部屋を出ると二人の微笑ましい話し声が聞こえてきた。もう一つ、二人は八つも歳が離れた年の差夫婦なのである。
いつも通りのはずだった。才能のある者の夢の中に入り、世の中に出るように導く。その者は世間に才能を認められ、世界のお役に立つ。そして自分は人々から感謝され、いい気分でお供え物を持って天界へ帰る。こうなるはずだったのだ。
神の存在は裏目に出た。科学・発明の分野においてすばらしい才能を持つ少年が、神の審判を聞いた後その能力を悪用して伝染病のウイルスをつくってしまったのだ。少年はこのウイルスを町中に振り撒き、町人の半数近くが命を落とした。神に選ばれし者の悪戯によって、レンガ造りのこじゃれた港町は数日でゴーストタウンと化した。
元凶が神の失敗であると知らない町人達は、神に祈りを捧げた。
「ああ神様。どうかお助けを」
「私達は神を信じ続けます。我らにご加護を」
皮肉にもそれらの声は凶器となってオリガの心に突き刺さっていった。
「姫様っ。そのような失敗、きっと他の神にもあることです。あまり気に病まないで下さい」
「そうよ。たまたま運が悪かっただけ。罪はあの殺人ボーイにあるのよっ」
オリガは虹色の瞳を濁らせている。心だけ遠くに行ってしまったような姿であった。
「わらわには地位も能力も存在しない。よってわらわには存在する価値などない」
オリガは底辺から動くことのない声でつぶやくと、雲の隙間から真下の人間界へ降下した。