村 3
「え?じゃ、なんでみこさんを様付けとかしてるんですか!?」
みこの母親に視線が集中し、時間が止まったように沈黙していた空気を破ったのは、この状況を招いた涼子と、それに続いた美沙だった。
「ふつー自分の娘をそんなふうに呼ばないですよね?え?あれ、まさか・・・」
そのまま美沙が言葉を飲み込んだが、何を言わんとしていたかは全員に推測できてしまう。普通は自分の娘に対して、そんな畏まった呼び方をしたりはしない。しかしこの母親が本当の母親ではなかったらーー義理の母親だったら、この村の空気や家に漂う重苦しい雰囲気から、そんなこともあるかもしれないと納得してしまいそうになる。
だが、その邪推は最も高い位置にいた使用人の女性によって、あっさりと否定されてしまった。
「美子様のお母様は、奥様だけですよ。旦那様は奥様以外に、ご結婚なんてされていません」
階段の一番上から朗らかな笑顔でそう断言され、この場に流れ、支配していた空気がみるみる消えていくのが伝わって来るような気がした。娘に命令されても、みんなの視線を浴びても、美しい顔を歪めるどころか眉一つ動かすことなく、生気を感じない母親に比べてあたたかみが感じられた。
「それより、お部屋の割り振りをどうしましょう。お友達同士で一緒にされますか?お一人部屋がよろしかったら、そのようにしますが」
「あ、じゃあ私たち一緒で」
「俺、一人できたんですけど、どなたか相部屋でいい人いませんか?夜とか、話し相手が欲しいんで」
涼子たちとは別の、チャットメンバーの女性とその友達が申し出ると、眼鏡の学生も便乗した。学生の希望に茶髪の男が難色を示したため、横溝正史好きの男が相部屋を受け入れた。涼子は自分たちは4人だが、全員一緒は息苦しいから2対2に分かれましょうと意味ありげにさとみの顔を一瞥し、予想通り美沙と一緒の部屋を希望した。残りの男性4人のうち、3人は友人同士ということだったが、できれば別の部屋の方がプライバシーが守られるということで、結局4人ともバラバラの部屋をあてがってもらった。
「お食事の仕度ができましたら、お呼びいたしますね。あ、それから私は政子と申しますので、何かあったら呼んでください」
使用人の女性が笑顔で名乗り、全員が、しかしまばらにお礼を告げ、それぞれの部屋へと消えた。
「結局あのお母さん、一言もしゃべんなかったね」
奈々が鞄をおろしながら言ったが、さとみはそれに返事をしないで、無言のまま壁際を歩いていた。
「さとみ?」
よく見ると口元で何かぶつぶつと呟いている。これは邪魔をするべきではないと判断し、奈々は荷物の整理をしながら、あちらから話しかけてくるのを待つことに決めた。
四隅に時間をかけながら、ゆっくりと部屋を一周すると、さとみはやっといつもの態度に戻った。
「お腹すいたね。電車でちょっと食べて正解だった」
もう会話してもいいんだと、さとみの言葉で奈々は察する。
「ほんとだね。ね、今の何してたの?なんか変な霊とかいたの?」
「ううん、ここにはとりあえずいなかったよ。ただ結界みたいなの作っただけ」
「ケッカイ?」
「普通に会話したいから」
笑顔でそう言いきると、さとみも奈々の横に鞄を運んで、着替えや洗面道具のチェックを始める。
「この村、入ってからずっと誰かに見られてる感じがしてるんだ」
「えー、田舎だからね。村とかって、娯楽が少ないからよそ者を観察するとか言うよね」
「あー、そういう意味とはちょっと違うっていうか」
ここで一瞬、さとみは言葉を選ぶために言いよどみ、嫌悪感を顔に浮かべながら言い切った。
「生きてる人間の気配がないんだよね」
「え!?それって幽霊に見張られてるっていうこと?」
「うーん、間違ってないけど、そういう訳でもなさそうっていうか」
まだ判断に困っているーーさとみの横顔はそう語っていた。
政子が襖を開けると、美子が洋服から和服へと着替えている最中だった。
「美子様、みなさんをお部屋にお連れしました」
「二人ともご苦労様」
美子は政子と、その背後に佇んでいる母親に笑顔を向けるが、母親はそのねぎらいに対しても、小さくうなずくだけだった。その様子を見て、政子が美子へ進言する。
「美子様」
「なあに、政子さん」
「奥様ですが、みなさんが様子が変だと感じてらっしゃいます」
「あらそう、困ったわね。だんだん元気になって来ると思うんだけど・・・もともとおとなしい方だったから、仕方ないのかもしれないわね」
美子は帯を締め終わると、美しい眉をひそめながら母親へと歩み寄った。そしてその顔を覗き込み、白く細い指先で母の頬をなでたが、母親はそれにも無反応のままだった。
「時間が足りなかったみたいね。お母様はしごき様になられたばかりだから」