表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

九条麻衣子シリーズ

九条麻衣子は逃がさない

作者: しきみ彰

九条麻衣子シリーズ第三弾

 九条麻衣子は逃がさない。

 正確に、確実に。逃げ道を塞いで追い詰める。

 追い詰められた、と。気付いた時にはもう遅い。

 そして最後に微笑んで、こう突き落とすのでしょう。



 御愁傷様でした、と。



 □■□



「……こんにちは。こちら、座ってもよろしいですか?」

「……ごきげんよう、一ノ宮様。どうぞご自由に」


 本当は座って欲しくないのだけど。


 そう思いつつも麻衣子は、一ノ宮晴人を一瞥した。こんな昼下がりに迷惑なことだ、と少しばかり機嫌を落とす。

 放課後、麻衣子がいつも通り図書室の自分の聖域にいると、やってきた一ノ宮晴人。

 しかしその姿を気にも留めず、麻衣子は読書を進める。

 今読んでいるのは、シェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』だ。


「ところで一ノ宮様。愛川さんのところにはいかなくて宜しいのですの?」

「……どうしてです?」

「……いえ。お姫サマが大変な状態になっているのは、全て噂になっておりますので」


 麻衣子は視線を本に落としたまま問う。


「僕以外にも、彼女を守る男はいますから」

「……そうですの」


 しかし一ノ宮晴人は、麻衣子が望んだ反応を見せることはなかった。

 嘘が誠かは図りかねるが、少なくとも麻衣子には全くもって興味のないように聞こえる。

 考えられる要素を上げるのだとすれば──


 そこまで考えて、麻衣子は本を閉じた。このままのんびりと読書、というわけにはいかなくなりそうだったからだ。


 逃げるが勝ち、とはよく言ったものだし。


 そうやって席を立とうと椅子を引けば、その道を阻むように立ち塞がる影が。

 勿論、一ノ宮晴人だ。


「……どうかなさいましたか、一ノ宮様」


 本当になんの用だろう、と麻衣子は笑顔の裏で嘆息する。麻衣子は自分が舞台に立つことが嫌いだ。脚本家として舞台袖から傍観しているからこそ楽しいのだ。故に一ノ宮晴人の行動は全く理解できない。


 ……いや、間違った。確かめたいことがあったのよね。


 麻衣子は一ノ宮晴人の顔を凝視する。さらさらとした蜂蜜色の髪に青い瞳。いかにもなハーフの容貌だ。さぞかしおモテになることだろう。しかし麻衣子にとっては、胸糞の悪い相手でしかない。


 苛々する。


 麻衣子は笑みを深めた。

 それはそれは美しい、冷めた笑みを。

 深めて。


「……貴女は──」

「一ノ宮さま」


 麻衣子は、一ノ宮晴人と鼻が付くくらい近くに踏み込んだ。

 驚いて身を引こうとする一ノ宮晴人のネクタイを掴み、麻衣子は耳元に唇を寄せる。


「──」

「っっ……!」


 一ノ宮晴人がたじろいだのを見て、麻衣子は漸く溜飲を下げた。

 そして肩を軽く叩いてその横を通り過ぎる。


「そんなことしてますと、いつか刺されますよ?」


 栗色の髪を揺らしながら、麻衣子は静かに図書館を後にした。


 どうやら舞台は、もう始まっていたらしい。


「……アントニーとクレオパトラ、ね」


 アントニーとクレオパトラ。

 ならやっぱり、自分から蛇に殺されにいくのは彼女なのかしら。


 麻衣子は階段をのぼりながら、小さく含み笑いを零した。




 その日から学校では、攻略対象者たちの私物がなくなる、という話が囁かれ始めた。




 自分のためなら手段すら選ばない彼女の姿は、麻衣子の目にはどこまでも人間臭く映った。

 周りを巻き込み、それでもなお自らの幸せを願う愛川妃芽(あいかわひめ)

 自らの不幸を嘆き、その怒りを全て復讐へと向ける御園静佳(みそのしずか)

 それでも。


 この世界は、貴女たちがいなくても廻るじゃない。


 石は転がる。坂から滑り落ちる石は、止まらない、止まれない。

 醜く哀れで、それでいてどこまでも美しい、それが人間。


 でもそろそろ、劇も終わり。



 □■□



「……どういうことですか、妃芽?」


 愛川妃芽はとある一室で、一ノ宮晴人にそう問いただされていた。

 愛川妃芽は唇を噛み締めたがそれも一瞬。

 いつも通りの笑顔を浮かべ、笑う。


「どうかした? 晴くん?」

「言わなくては分かりませんか? とんだクズですね」

「……っ」


 そんな風に言われたのは、愛川妃芽には初めての体験だった。一ノ宮晴人の冷めた目が愛川妃芽を見下す。

 周りに助けを求めて視線を彷徨わせたが、動かない。

 唯一愛川妃芽の隣りにきたのは、西園寺輝彦(さいおんじてるひこ)だけだった。


「妃芽が何をしたって言うんだ、一ノ宮」

「貴方も愚かになりましたか。それは残念ですね」

「て、輝くん……!」


 優しいお姫様を演じ続ける愛川妃芽。

 その様を見て。

 麻衣子は笑みを浮かべた。


「嘘つき」


 扉越しに、静佳は叫ぶ。

 そして扉を押し開け、険しい顔をして、愛川妃芽を。

 射た。


「嘘つき。盗んでいたくせに」

「な……何を根拠に……!」

「静佳、何を言ってる」

「……名前を呼ばないでくれる、西園寺輝彦。わたしはもう、お前の婚約者じゃない」

「こんやく、しゃ?」


 愛川妃芽が目を見開き、静佳を見る。

 そう。だって。

 ゲームの中での西園寺輝彦には、婚約者なんていなかったから。

 だから、愛川妃芽は勘違いしたのだろう。御園静佳のことを。

 ただの、西園寺輝彦に付きまとう女の一人、だと。

 勘違いもいいところだ。ここはゲームの中じゃない。誰かただ一人が贔屓されるような、そんな世界ではない。

 ちゃんと息をした人間がいて。

 日々を過ごしている。

 静佳は写真をばら撒いた。


 そこには、攻略対象の鞄から私物を抜き出そうとしている愛川妃芽の姿があった。


「で……デタラメよ!!」

「そうなの? なら、これは何?」


 そこにも、愛川妃芽。

 しかし今回は、見知らぬ女子高生に何かを手渡している姿が。


「他にもあるけど、まだ必要?」


 この状況で、疑われているのは誰か。

 そんなもの、まだ年端もゆかぬ子供にすら分かる。

 愛川妃芽はその顔を真っ赤に染めてから金切り声を上げた。


「何よ、なんなのよ! あんたは!!」

「それはこっちの台詞。貴女こそ何? お姫様にでもなっていたの?」

「妃芽はお姫様よ!」

「……へぇ、そんなお姫様が、今。王子様たちからこんなにも蔑まれているなんて。世も末ね、静佳」


 かつん。

 麻衣子はいつも通りの笑みを浮かべて。

 漸く舞台上に姿を現した。


 本当にどうしようもない人ですこと。


 そこには、可愛らしかったお姫様はいない。

 ただ毒に酔った、醜い女だけがいた。


「御機嫌よう、一ノ宮サマ? これで貴方の望み通りの結果になったのかしら?」

「……貴女は」

「わざわざ舞台上にわたしをのぼらせたのだから、それ相応の覚悟はしてくださいね?」


 この一連の、馬鹿馬鹿しいほど大きく手のかかる舞台。

 これの演出及び脚本を書いたのは、一ノ宮晴人だ。


 一体何人の役者を巻き込めば気が済むのかしらね?


 麻衣子は肩を竦める。麻衣子一人を引き摺り出すために、これほど豪華なゲストが役者として参加させられたのだ。なかなかの演技上手ではないか、一ノ宮晴人は。

 そう、その姿は麻衣子の目から見ても恋人に送るそれだった。


「こんなふざけた茶番劇をわたしのために用意するなんて。なかなか頭がイってるんじゃなくて?」

「そこまで気付いていたのですか」

「ええ、勿論」

「……ねぇ、麻衣子。どういう意味?」


 静佳は眉をひそめた。

 麻衣子は微笑んだ。


「結局のところ一ノ宮サマは、周りに警戒して絶対に表に出ようとしないわたしを出すためだけに、こんな拙い茶番劇をしたのよ。黒幕は一ノ宮サマよ」

「……じゃあ、わたしがいじめられたことは……」

「流石にそれは関与してないと思うわよ? 副産物、とでもいえばいいのではないかしら?」


 一ノ宮晴人。

 彼は、九条麻衣子を愛している。

 しかも外堀から埋めようとする辺り、なかなかの手腕だ。

 この事件を機に表に出てくるかもしれない麻衣子をおびき出そうとした。

 九条麻衣子は、楽しいことが大好きだから。

 すると地面に座り込んでいた愛川妃芽が、絶望を滲ませた声を漏らす。


「じ、じゃあ、待ってよ……わたしの味方って……」

「そうね。貴方の味方ははじめっから、西園寺サマだけだったのよ?」


 その証拠に。

 先ほど愛川妃芽を守ろうとしたのは、西園寺輝彦だけだった。

 つまりは。

 ほかの役者は全員、一ノ宮晴人の用意した役者だった、というわけだ。

 ついでと言ってはなんだが、愛川妃芽を使って不正を告発し、ゴミ処理を行っただけで。

 愛川妃芽はある意味、被害者で加害者だった。


「……まぁいいわ。静佳。貴女が愛川さんの最後を決めなさい」


 興味など微塵もない。

 麻衣子が手を貸すのは、この場では静佳だけ。

 その言葉に背を押され、静佳は一歩踏み出した。


「…………」

「……何よ、その目は」

「…………」

「……なん、なのよっ……その目は……!!」


 愛川妃芽が泣き始める。すると静佳は冷ややかな侮蔑の視線を落とし、冷たく言い放つ。


「可哀想な人」

「な……」

「悪いけど、わたしは貴女みたいな愚かな真似はしない。だけどこの不正については学校側に言うわ。苦労すればいいのではない? わたしたち貴族にとっての醜聞がどれほど重いものかなんて、貴女には一生分からないでしょうから?」

「っ……」


 その言葉は、裏を返せば、愛川妃芽が貴族の息子と結婚することはない、ということで。

 馬鹿馬鹿しいほど優しい静佳に、麻衣子は笑みを浮かべる。


「ああ、あと、西園寺サマ。婚約の件は正式に破棄になりましたわ。どうぞよろしく……まぁ、諸手を挙げて貰う相手など、いるはずもないでしょうが」

「な……」

「だって、そうでしょう? 御園家側にはなんの問題もないのに勝手に婚約を破棄した使えない馬鹿息子。そんなものを欲しがるモノ好きなんて……そうだ、愛川さん、どう?」


 縋るように向けられた西園寺輝彦の視線を、愛川妃芽は跳ね除けた。


「ば……バカ言わないで! わたしは逆ハーレムを望んでここにいるのよ!? なんでこんな馬鹿と一緒にいなきゃいけないのよ!!」


 転がった石は止まれない。何処かにぶつかって壊れるまでは。


「……これで、決まってしまったわね?」


 麻衣子は意地の悪い笑みを浮かべて辺りを見回す。




 御機嫌よう。御機嫌よう。

 これにて舞台は幕引きです。

 役者も観客もまとめて笑いましょう。




「御愁傷様でしたね」


 九条麻衣子は、微笑まなかった。



 □■□



「……ところで」


 夕暮れの屋上。

 そこには、男女がいた。

 九条麻衣子と一ノ宮晴人。

 麻衣子は髪をなびかせ、ほくそ笑む。


「こんなやり方をするなんて、貴方、狂ってるの?」


 やり方がいただけない。もし麻衣子のことを愛しているのであれば、気持ちを伝えれば済むだけ。

 勿論麻衣子は断るが。


「ただ告白するだけなど、何の面白みもないでしょう?」

「……あら、貴方本当に、わたしのことを理解しているのね?」


 つまらないことが大嫌い。

 面白いことなら大歓迎。

 麻衣子の視界をかすめるのだとすれば、その面白いことをしてから告白するべきだと考えたのか。

 なんて、なんて自己中心的な考え方。

 人間臭いやり方に、麻衣子の喉からは思わず、笑いがこみ上げた。


「……そうねぇ。まず、お友だちからかしらね?」




 真っ赤に染まった太陽は、熟れた柘榴のように輝いていた。

これにて完結です。九条麻衣子シリーズ、ご愛読ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ