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9話


私を見下ろすように立つ瀬尾さんは、私の肩に手をのせると


「恋人が何人もいるような印象を与えるらしい、瀬尾です」


低い声で弥生ちゃんにそう言った。苦笑しながらの言葉は、瀬尾さんの怒りを見せているようで、どう反応していいのかわからない。瀬尾さんが近くにいるとは思わず、私と弥生ちゃんが安易に話した言葉によって、確かに瀬尾さんは傷ついている。

肩に感じる瀬尾さんの手からは、温かさと微かな震えが感じられる。その震えはきっと、私の言葉が原因だ。


「あの、えっと、食事に来られたんですか」


何か言わなくちゃ、と焦る気持ちが強いせいか、つまらない質問をしてしまった。

食事に決まってるのに。


「ああ、仕事終わって、飲みを兼ねて。花緒と……」


瀬尾さんは、視線を弥生ちゃんに向けた。

首をかしげてる様子はあまりにも格好よくて、きっと店内の女性の気持ちをぐっと引き寄せているはず。

相変わらず私の肩に置かれた手に集まる厳しい注目に気づいているのかいないのか、時々私にも意味深な瞳を落とす。まるで私の体に埋め込むような甘い力。瞳から注がれる重みが私の鼓動を跳ね上げる。


「花緒の親友の小椋弥生です。会社の同期で、花緒の面倒をみてます」


「ちょっと、面倒って……そんなの、」


「あ、間違えた。何から何までお世話してます。放っておくとどこまでも沈んでいく重くて暗い女なんで、適当に引き上げてやんないと、なんです」


「……」


さらっと言い切る弥生ちゃんを見ながら、私は言葉を失ったまま、固まった。

私が重くて暗い女……?確かに、悩んでばかりで、ちっとも前向きに生きてないし、すぐに自分の殻に閉じこもるけど……そこまで言わなくても。

少し拗ねて弥生ちゃんを見ると、その瞬間、肩に感じていた瀬尾さんの体温がさらに上がった気がする。

はっと瀬尾さんを見上げると、


「拗ねた顔、やめろ」


不機嫌な声。口元も歪んでいて、まさに不機嫌だ。


「あ、ごめんなさい。みっともないですね、子供じゃないのに」


慌てて謝るけれど、それでも瀬尾さんは固い表情のまま。何か言いたげにしているけれど、それがなんなのかよくわからない。とりあえずわかるのは、今ここにいて、私の相手をする事にイライラしてるって事。

そんな様子を見せられて、私の気持ちは少し落ち込む。ワインで軽く酔っていた気持ちも一気に醒めていくよう。


「確かに子供じゃないよな。子供はこんなところに花なんて咲かせないもんな。

……俺が咲かせたんだけど」


「あ、ちょっ、何を今言うんですか……」


きっと赤い花が咲いてる場所。首筋の敏感な場所を、瀬尾さんの指先がゆっくりと撫でる。

触れるか触れていないかの微妙なタッチは、私の感覚全てをそこに集中させるようで、動けなくなる。

じっと座って、ただ瀬尾さんの指先の動きに意識は持って行かれる。


「あとで、上書きするから、勝手に帰るなよ」


瀬尾さんは、私の耳元に唇を寄せると、吐息まじりの声を落とした。

同時に強く感じるのは、肩に残っている瀬尾さんの手の強さ。

硬直したまま動けずにいる私の首筋を何度か撫でて、そっとその手を離した。


「あ……」


手が離された瞬間に感じてしまった寂しさに、思わず声が漏れた。

慌てて手で口を覆ったけど、その声は瀬尾さんに届いていたようで、彼は軽く、くすりと、嬉しそうに笑った。


「帰り送るから、食事が終わったら声かけて。えっと、小椋さんだよね、一緒に送るしこれからも花緒の世話、頼むよ。きっと本人は気づいてないだろうけど、俺以外にも俺みたいな男、ひっそり控えてるんじゃないの?」


「ふふ。結構いい勘してますね。やり手の営業マンは、状況判断も正確ですね」


「そうだろ。だから、今必死なんだよ」


「まあ、瀬尾さんには他に誰もいなくてきれいな状態なら、私も協力しますけどね。

もう二度と花緒を泣かせるような男は近寄らせません」


「……もう二度と?花緒、泣かされた事、あるの?」


瀬尾さんと弥生ちゃんの会話についていけないまま、ただ聞いていたけれど、不意に私に向かって瀬尾さんが顔を向けた。どこか苦しげな、悔しげな表情。


「花緒、男に泣かされた事、あるの?」


「あ、……まあ、少し。かなり前だけど」


ふと悠介の事を思い出して俯いて。膝に置いた両手を握りしめた。

瀬尾さんに悠介の事を話したくなくて、ぎゅっと口を結んだ。

そんな私の気持ちを察してくれたのか、瀬尾さんは一つため息を吐いて、それ以上の事は何も聞いてこなかった。


「ま、それだけの見た目だもんな。何もないわけないか」


小さな声でこぼされた意味がよくわからなくて静かに顔をあげると、苦笑して肩をすくめる瀬尾さんと目が合った。


「これからは、もう泣かなくていいから」


深く静かに響く声で、まるで呪文のように私にそう告げる瀬尾さん。この目の前の男前、その口からこぼれた言葉は、本当に私に告げられた言葉なのか……え?もう泣かなくていい?


はっと、その言葉の意味に気づいて、体中が熱くなった。私を泣かさないって、そう言ってくれたんだろうか。ううん、この状況だと、きっとそうなんだろうけど……。

今この場で瀬尾さんがそう思ってくれているのは本心なのかもしれないけど……。


「泣かさないなら、このまま、このままの距離で、いいです。近づきすぎると私……」


じっと私を見つめる熱く力強い瀬尾さんの瞳におぼれてしまいそうになる。

そんなの、いつか私は捨てられて泣いてしまう事を意味する事で……。


「無理です。いつか、泣かされるから、ダメです」


「は?」


私の慌てように、鋭い声。気に入らないのかな、私の言葉が。

でも、いつか離れていくに決まってるし……もう泣くのはいやだし。一人で生きてくって決めてるし。


「却下。俺は花緒を泣かせるつもりはないから、覚悟決めろ。何があったか知らないけど、昔花緒が泣かされた男は俺じゃない。そいつと俺を重ねるな」


低く響く声が、私の気持ちを瀬尾さんに一気にとりこまれていく。

もともと魅力のある人だから、見つめられるだけで、そうなっていくのに。甘い言葉をかけられて、逃げ場がないように思えて怖くなる。


「あのさ、痴話ゲンカはいいんだけど。私が瀬尾さんに協力できない状況にきづいちゃった」


「え?」


それまで黙って私と瀬尾さんの会話を聞いて苦笑していた弥生ちゃんが口をはさんだ。

見ると、弥生ちゃんの視線は私と瀬尾さんの後ろにあって。

その視線をたどろうと後ろに体を向けた途端。


「課長、どうしたんですか?みんな待ってますよ」


やけに高い声が聞こえた。きつめの香りをまとった黄色の何かが視界に入ったかと思うと、そっと差し込まれた手が瀬尾さんの腕を掴んだ。


「せっかくの打ち上げなんですから、早く戻ってきてくださいよ」


「ああ、悪い」


黄色の何か。それはきれいな女性だった。肩まで揺れる茶色の髪は手入れが行き届いていて、黄色のスーツを着ている……きっとまだ若い女性。両手で瀬尾さんの腕を掴んで、軽く揺らす仕草は慣れているようで、この二人の親しさがわかる。……胸が痛い。


「課長のお友達ですか?」


挑戦的な笑顔でその黄色は顔を私たちに向ける。

お友達、その言葉を強調したのは気のせいだろうか。ううん、意識してだ。わざとそう言ってるに違いない。ふっと私の体から力が抜けた、。

同じような事を、また繰り返すのかな、悠介の時と同じように。また泣くのかな、やっぱり。

瀬尾さんのことを受け入れられないと、そう気持ちをかためようとしていても、それでも今私は傷ついてるってわかる。

瀬尾さんの周りに女性がいる、それも瀬尾さんに好意を持ってる女性。

その事実を知っただけで、かなり傷ついてる。私、一体どうしたいんだろう。

混乱した気持ちと、落ち込む気持ちを抱えたまま、俯いて、瞳の奥が熱くなる事に不安を感じていると。


「いや、友達じゃない。彼女は、俺の婚約者だ」


瀬尾さんの力強い声が聞こえて。

私の肩を抱き寄せる手の温かさ。

この温かさが、私の求めているものなのかもしれないと、自然に思えた。


そして、私をきつく睨んでいる黄色の彼女の気持ちの強さにも気づいて。


「あ……、木内花緒です。よろしくお願いします」


思わず、そう答えてしまった。婚約者。その立場を受け入れたと思わせる言葉とともに軽く頭を下げた。

私が、本当にそれを望んでいるのかどうか、不安なままで……。


黄色の彼女の視線も鋭いまま。私は受け入れてしまった。瀬尾さんを。

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