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6話


どちらかというと、人前に立ったり自分から何かをリードする事が苦手な私は、周りに合わせながら生きてきた。

協調しながら、波風を立てずに淡々としている事が、私にとっての生きやすい方法だった。

いつも私の為に気持ちを寄せてくれて、力を注いでくれたおばあちゃんが喜ぶ事にも気を配りながら、ひっそりと生きてきた。


人からあれこれと指示されることにも苦痛を覚えることなく、はむかう事もなくこれまでを過ごしてきたけれど、今私に起こっている事を、あっさりと受け入れていいのかどうか、悩んでしまう。

というか、冷静に考えると悩む事が当たり前なんだろうけど。


瀬尾さんと二人、手を繋いで歩いているのって、やっぱりおかしい。


「あの……酔ってますか?」


駅から我が家までの道を、ゆっくりと並んで歩きながら、思い切って聞いてみた。

当たり前のように手を繋いでいる瀬尾さんを見上げると、瀬尾さんはくすりと笑って、私に視線を落とした。


「あれくらいじゃ酔わないよ。それに、酔ってなきゃ手も繋げないほど若くない」


「あ……はい」


「花緒も、お酒強いんだね。見た目は飲みそうにないのに、結構飲むから意外だったよ」


思い出したように呟いた瀬尾さん。少し嬉しそうにも聞こえる。


「そうですね。お酒は、おばあちゃんに鍛えられました、ああ見えて、おばあちゃんザルなんですよ。

飲み会で私がお酒に潰れないようにって鍛えられました。おばあちゃんからの遺伝もあるみたいですけど」


「へえ、じゃ、コンパなんかでお持ち帰りされた事もないわけ?」


私の顔を覗き込みながら、からかうように聞いてくる瀬尾さんは、相変わらず私の手を握りしめたまま。

今にも額と額がくっつきそうで、お酒じゃなく、その近い距離に酔いそうだ。

なんだかくらくらする。


「お持ち帰りなんて……ないですよ。コンパ自体そんなに行った事ないんです」


そっと、瀬尾さんから離れて距離を作った。とはいっても手を繋いでいるから限界はあるけれど。


「恋人は?今までいなかったってことはないよね」


「はい……いた事はあります。もうかなり前の事ですけど」


呟きながら、以前つきあっていた悠介の顔が浮かんできて、少し切なくなる。

入社してからすぐに付き合い始めた悠介とは、かなり傷つけられて別れた。

私一人が傷ついたわけじゃない、きっと悠介だって傷ついただろうし、悩んだとはわかっていても、やっぱり思い出すと今でもつらい。


別れた後も、同じ職場で働いているからか、傷ついた心はなかなか癒されない。

きっと、完全に立ち直って前向きになる事はできないんじゃないかと思う。

それでも、しょっちゅう顔を合わせるし、周囲からの目もある。

立ち直った振りをして、笑顔をみせないといけないのは、仕方がない。

そんな状況にも疲れる日々。


そして、私の傷ついた気持ちに追い打ちをかけるように、悠介の結婚が決まった。


「どうした?気分でも悪いのか?」


瀬尾さんは、立ち止まって私の肩を抱き寄せると、私の顔をじっと見入った。


「いえ、なんでもないんです。ちょっと食べすぎたかな……」


小さく笑って瀬尾さんに視線を合わせると、前かがみになった瀬尾さんの顔が次第に近くなる。

整った顔が、私の目の前に。え……?


「昔の恋人を思い出してたんだろ?むかつく」


低い声でつぶやく瀬尾さんの瞳の暗さに気付いた瞬間、唇に感じる熱。

落とされた瀬尾さんの唇は、啄むように私の唇を揺らした。


「ん……っ、瀬尾さん……」


驚いて、思わず呟いた私の唇を割って、瀬尾さんの舌が差し入れられた。

慣れたように動く瀬尾さんの舌から逃げようと、顔を背けようとしても、その瞬間に抱え込まれた後頭部を固定されて逃げられない。


いつの間にか私の腰に回された手にぐっと引き寄せられて体全部が瀬尾さんに支配されている。


「あ……せ……おさん……」


何度も何度も深く差し入れられる舌の動きには優しさも感じられて、思うがままに堪能する瀬尾さんには私を抱く力を緩める気配もなく。


与えられるキスを必死で受け止めていると、次第に私の気持ちも心地よいものになってきた。

キスなんて、初めてじゃないのに、こんなに激しく求められたことは初めてだ。

恋人以外の男性とのキスが、こんなにどきどきするもので、こんなに温かく感じるものだと知って。

自分がいけない事をしているような背徳感。


それすら心地よく感じて。


そうする事が自然な事のように、両手を瀬尾さんの背中に回した。

慣れないながらも、私からもキスを返して、背中を撫でて。

それに気付いた瀬尾さんは、嬉しそうな声で笑った。


「昔の恋人なんて、俺が忘れさせてやる。だから、俺の恋人になれ、花緒」


唇から注ぎ込まれるその声に、思わず頷きそうになる。

私を抱きしめてくれる人肌がこんなに優しいって久しぶりに感じて、私を愛しげに呼び捨てにしてくれる低い声にときめいて。


それだけで瀬尾さんの懐に飛び込みたくなるけれど、一度傷ついている心は、なかなか動いてくれない。

簡単に瀬尾さんに気持ちも身体も預ける事はできない。


きっと一生無理なんだ。

たとえ瀬尾さんじゃなくても、誰でも。


『父親が誰だかわからない女を、我が家に迎える事なんてできません』


そう言われ、切り捨てられた過去は、ずっと私の心を縛り続けるんだ。

変える事の出来ない現実は、私が一人で生きていかなければならない根拠となって、重くのしかかっている。


「花緒、いいな、俺の恋人になれ」


荒い息を吐きながら、まるで脅すような声。瀬尾さんの本当の姿はこんなに強気な男なんだ……。

今更ながら、格好いいし、惚れてしまいそうだ。


それでも、首を縦に振るわけにはいかなくて、同じように荒い息を吐きながら曖昧に笑った。


「ごめんなさい」


それだけが、せいいっぱいの言葉。


「無理」


私の言葉を受け入れないまま、顔をしかめた瀬尾さんは、私を強く抱きしめた。

首筋に感じる吐息が熱くて、そこだけが敏感になっている。

唇が私の鎖骨のあたりを這い、どうしようもなく切なくなる。

一体、どうしてこんな事になったのか、冷静になれば不思議に思うことすら、瀬尾さんから与えられる熱によってどうでもよくなる。


「いたいっ」


私の首筋を吸い上げる瀬尾さんから与えられた痛みに顔をしかめた。

きっと真っ赤な花が咲いているはずだ。


「隠せないから。諦めて俺の女になれ、花緒」


何度も感じる痛みに、泣きそうになりながらも、こんなに求められる喜びを感じる。

できるなら、瀬尾さんの言葉を信じて、全てを託したいって思う。

きっと、ずっとときめいていた。

初めて会った時から好きだった。

本当の姿を知って、もっと気持ちは惹きつけられたかもしれない。


でも、また傷つくのは怖い。


私にはどうしようもない事で切り捨てられる痛みは、もう味わいたくないから。


「ごめんなさい」


ただ、そう呟くしかできなかった。



















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