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5話

「わざわざ来ていただいて、すみません」


時間通りにお店に着くと、既に瀬尾さんは来ていた。


キッチンのリフォームはしないと、断りの電話を入れた時、とりあえず会って話がしたいと、瀬尾さんに言われた。特に会う理由もないけれど、私の中の『一度だけ会いたい』という気持ちに響いてしまって、その申し出を受けてしまった。


会社帰りに待ち合わせをしたお店は、和食がおいしいと評判のお店だ。

私の会社から二駅先にあるお店は、予約するのもなかなか難しいと評判の人気店。


「お仕事は、大丈夫ですか?」


私を気遣うような瀬尾さんは、椅子から立ち上がって、向かいの椅子を引いてくれた。


「ありがとうございます」


少し気後れしながら、私はその席に座った。

そして、瀬尾さんは自分の席に戻るとにっこりと笑って。


「今日は、わざわざありがとうございます。一度、ゆっくり花緒さんとお話したかったんです」


営業という仕事柄、そんな言葉も言いなれているのかな。

瀬尾さんからは、照れも気まずさも感じない。

私の事を客だと思えば、よどみなく何でも言えるのかも。


「何でもおいしいんですけど、苦手なものはありますか?」


「特には……。あ、生ものは、できれば避けたいかな……」


「生ものって、お刺身とか、ですか?」


「はい。小さい頃、夕食後に湿疹が体中に出て真っ赤になったらしいんです。何かのアレルギー反応らしいんですけど。ちょうどその日お刺身を食べていて、それが原因かはわからないんですけど……。

それ以来、おばあちゃんは私にお刺身を食べさせなくなってしまったんです。

今では食べても平気なんですけど、一応気を付けて、外ではなるべく食べないようにしてるんです」


「そうですか。じゃ焼き物や煮物にしましょうか」


瀬尾さんは、慣れたようにメニューを見て、いくつかの料理を注文してくれた。

お店の人とのやりとりからは、頻繁にこのお店に来ている事がわかる。


「夏弥くんがこうして彼女を連れてきてくれるなんて、初めてね」


注文を聞き終えた女将さんが、からかうように瀬尾さんに笑った。

そんな言葉に動じることなく、瀬尾さんは小さく笑って


「おやじ達にはまだ黙っててくれよ。特に母さんに知られたらすぐにうちに連れてこいって騒ぐに決まってるから」


「ふふふ。そうね。目に浮かぶわね。……本当、綺麗な方ね」


女将さんは、視線を瀬尾さんから私に移して、綺麗な笑顔を向けてくれた。

50歳くらいだろうか、品良く着物を着こなしている姿は、同じ女性ながら見とれてしまう。


「あ、木内花緒と申します。あの……瀬尾さんとは、その、彼女とかでは……」


誤解を解こうと言葉を探すけれど、何だか信じてくれていないような女将の笑顔を見ていると、それ以上続かない。

戸惑いながら瀬尾さんを見ると、慌てる様子もなく、どこか嬉しそうに私を見ていた。


そんな瀬尾さんの表情が、私の気持ちにすっと入ってくる。

誤解しちゃいけないけれど、なんだか瀬尾さんに気にいられてるような、そんな錯覚。

格好良くて穏やかで、優しい瀬尾さんに見つめられると、誰だって誤解するよね……。

私だけが錯覚するわけじゃない。


跳ねて止まらない鼓動なんて、女なら誰もが味わうはず。

こんなに素敵な瀬尾さんと一緒にいれば、当たり前だ。


だから、錯覚しちゃいけない。


私が必死で気持ちを鎮めて、何もないような平気な顔を作ると、瀬尾さんはくすっと軽く笑った。

え?笑った?


その笑顔は、一瞬別人のように見えた。

まるで小さな男の子がいたずらに成功した時のような笑顔。

何かを企んでいるような、そんな笑顔だった。

見間違いかな。

まだ二回しか会っていないから、よく知らないけど、持っていたイメージとはなんだか違うような気がした。


「彼女、綺麗だろう?誰かにかっさらわれる前に俺のものにしようと思って。

いろいろ練ってる最中なんだ。瑶子さん、邪魔しないでよ」


「あら。まだ夏弥くんのものじゃないの?……ま、頑張りなさいね」


「はいはい、精いっぱい努力するよ」


目の前の会話の意味を、どう理解すればいいんだろう。

私が誰かにかっさらわれる?

俺のものにする?


それは、私に対しての言葉なんだろうか……?

まさか、まさか。だよね……。


聞きたい事はいっぱいあるけれど、展開について行けない私は、何をどう切り出していいのかわからないまま、ただ二人を見ているしかできない。

だって、瀬尾さんが、私を気に入ってるみたいなそんな言葉、信じられないし。


「花緒さん?夏弥くん、見た目はこんなに格好いいし穏やかそうに見えるけど、だまされちゃだめよ。

結構強気で強引だし、思い込んだら突き進むタイプだから。

逃げるなら早めにね」


「おい、それが邪魔するって事だろ。……あー、やっぱりここに連れてくるんじゃなかった」


大きくため息をついた瀬尾さんは、女将を追いやって、私をじっと見つめた。

これまで見せてくれていた表情よりも、どこか強い表情。

口元にも、何か思惑が感じられて、一瞬瀬尾さんじゃないような気がした。

相変わらず鼓動の音は大きいけれど、それは。

さっきまでの、瀬尾さんへのときめきからの鼓動ではない。

今私の中で暴れている鼓動は、不安からくるもののような気がする。


「あの、瀬尾さん、私は、彼女とかじゃないですよ……。それに、誰にもかっさらわれません。

私なんて……」


どうにか、小さな声でそう呟く私の言葉を遮って、


「彼女になって欲しいんだけど。初めて会った時から、気に入ってた。じゃなきゃ携帯の番号なんて教えないよ。気付かなかった?」


余裕が感じられる声音。まるで言い聞かせるような落ち着いた声は、私の混乱を更に煽る。


「気に入ったって言われても……。私は、そんなつもりじゃ」


「じゃ、そんなつもりにさせるから、俺と付き合ってよ。花緒」


え?

これまで『俺』なんて言ってなかった。それに、私の事を呼び捨てになんてしなかったのに。

どうして突然変わっちゃったんだろ。


その変化についていけなくて、ただ瀬尾さんを見返していると。


「今の俺が本当の俺。この前の俺は、営業用。あ、でも、木内のおばあちゃんの事は大好きだし、大切に思ってるから安心して。お金持ちのおばあちゃんから無理矢理契約取ろうなんて思ってないし。

そんな事しなくても、ちゃんと営業成績トップは維持できるから」


ニヤリと笑った瀬尾さんは、そんな素の姿を隠そうとしないまま、


「とりあえず、美味しい料理を食べながら、花緒の事、色々教えてよ。ね」


それ以外選択肢がないように、笑った。


そんな、初めて見る瀬尾さんの表情にも、ときめいてドキっとしてしまう私。

これから一体どうなっていくんだろうと、不安でいっぱいになった。


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