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49話


本当なら、昨日もらったエンゲージリングを煌めかせながら出社して、一生に一度味わえる


『婚約しました』


という無言の宣言をしたかった。業種のせいか、どこか堅実で真面目な雰囲気の社員が多いけれど、やはり慶事となると喜びは社内全体にすぐに広がる。この前、悠介の結婚の話題があっという間に私の耳に届いたのもそのせいだ。

社内結婚も多い社風が後押しするのか、社員の結婚が決まると、それまで面識がない人の事でも知る事となる。

そのきっかけが、女性では左手薬指に輝くダイヤだ。婚約したと無言で知らせる威力は相当なもの。

指輪を輝かせながら出社するのはただ一日、というのも慣例で。


『仕事は続けます』や『専業主婦になります』という言葉を添えてその指輪を公開するという、どこか保守的な習わしが今もなお会社で続いている。


結婚に対して、自分には縁がないものと諦めていた私には、そんな慣例がたまらなく嫌なものだったけれど、いざその機会を得るとやっぱり嬉しいと思う。


結婚するからという事実も嬉しいけれど、それ以上に、私のように出生に複雑な事情を抱えていても愛してくれる人がいるんだと知らしめる事ができるのが、すごく嬉しい。


だから、今日指輪をはめて会社に行くのが楽しみだったのに。


「遅刻だ……」


美月梓の電撃入籍のニュースを聞いて、動揺する私に内情を話し始めた夏弥の言葉は延々続いてしまい、結局、


『私用で少し遅れて出社します』


と会社に電話を入れることになった。エンゲージリングをはめて出社しようと思っていたのに、遅刻なんて拍子抜けだな。

そんな私の拗ねた言葉を聞かされた夏弥は、『その慣例って、結構残酷だな』と呟いた。


夏弥いわく、『結婚しない女性にはそんな機会がないのに、わざわざ慣例化させるなんて今時ずれてないか?仕事に集中して結婚しない女性や、事情があってできない人だっているだろうし、おかしな会社だな』だそうだ。


確かに、私もそれには同意するけれど、社長の信条は『家族あっての仕事』だから、家族を作るという意味での結婚は、大いに喜ばしい事で、何はさておきとにかくお祝い。これに尽きる。


確かに、結婚だけがすべてではないし、この慣例によって切ない思いを私もしてきた。


それでもやっぱり、愛する人を見つけて、愛されて、それが他の誰でもない夏弥だから、みんなに知らせたい。


『夏弥と結婚するんだよ』


って。


だから早く会社に行かなきゃ。早く指輪をはめて会社に行かなきゃ。

そう思って焦る私の様子に苦笑して、夏弥はこれまでの美月梓との関係を話し始めた。


「最初に梓と会ったのは仕事で。ってのは前話したよな?で、俺は彼女に気に入られて宣伝部に呼ばれて、したくもない仕事をしてたんだけど。その間も梓の事はしっかりと拒否してたから彼女も諦めてくれたんだ。その気持ちは今も変わってなかった。彼女は俺の事をもう何とも思ってない」


「でも、この前マンションの下に来て待ってたよ。彼女は夏弥を待ってたんでしょ?」


「ああ、俺を待ってたんだ。それはその時本人から聞いた。でも、待ってた理由ってのは花緒が思ってるものとは違うんだ」


「違うって?」


「うーん、俺は身代わりになったって事だ。隆平と梓が一緒にいるところをマスコミに撮られてしまったらしくて泣きついてきたんだ、あの日は」


……ますますわからない。身代わりって一体どういう事なの?面白がるように話す夏弥の様子にもちょっと苛立たしさを感じる。


「俺と隆平って、背格好が似てるのもあって、マスコミは俺が梓の相手だと勘違いしたんだ。

何年か前、CM撮りで一緒にいた時にも俺と噂になってたから、まだ続いてるのかって騒ぎ始めてたらしい」


「え?噂になってたの?」


今回、沖縄にいる時に噂になったのが初めてじゃなかったのか……そうなのか、なんだか、落ち込むかも。小さくため息をついた私の気持ちを察したのか、少し慌てたように


「あ、噂は噂ってだけで何もなかったし、梓の事務所がそれをもみ消したから表には出なかったんだ」


「うん……で、それで?」


次々と思いがけない事を聞かされて、次第に気持ちが落ち込んでいく。昔の話だし、結局何もなかった関係だとはいえ、やっぱりあんな綺麗な人と噂になってたんだと思うといい気分じゃない。


「あー、そんなに落ち込むなよ。……で、今回だけど、隆平と一緒に梓のマンションに入る所を写真に撮られてしまって、今回ばかりはもみ消せなかった。梓の人気があまりにも大きくなりすぎて、マスコミにとっては大スクープだから、どうしても公表するって聞かなかったらしいんだ。で、俺の登場」


「だから、それがわかんない」


どうして、第三者の夏弥が巻き込まれるのか、わからなさすぎる。


「認めなきゃ引退するって事務所を脅して、梓は隆平と結婚する事を許してもらってたんだよ。スポンサーやら関係者にも長い時間をかけて隠密に根回しをして、さあ入籍だっていうときにこの騒ぎだから慌てたんだな。

CM契約の関係で、その契約が切れるまでは結婚できないってのがあったから、隆平の存在がばれるのはまずかったんだ。で、前に噂になった俺をカモフラージュにしてしばらく乗り切れば、沖縄のCM撮影で再びの熱愛だとか騒がれて、隆平の存在は隠せる。そして、慎重には慎重をって考えで、何もかもが落ち着いて入籍を終えるまでは『住宅会社の営業マン』が噂の相手だという事で乗り切ろうって段取りだ」


わかったか?と不安げに私を見つめる夏弥。

夏弥は美月梓の恋人ではないし、彼女との関係は何となくわかった。

私にはよく理解できない芸能界の事だし、彼女にも彼女の想いがあるんだろうけど、


「なんて人騒がせな美人さんだろう……」


「え?」


「もしかして、あの日夏弥をマンションの下で待ってたのってその事を頼みに来たの?」


「正解。あの日は驚いたせいもあって、俺は話も聞かずに追い返したんだけど、そのあと事務所を通じて話があったんだ。

昔俺に振られて落ち込んでる時に、仕事で一緒になった隆平が慰めてくれて付き合うようになったってのもその時に聞いて、で、俺にとっても大切な同期の隆平だし、一肌脱ぐことにしたわけだ」


わけだ……って。


簡単に言うけれど、ここ最近の私の気持ちの浮き沈みをどうしてくれよう。

本気で悲しかったし切なかったのに。

それでも夏弥が愛しくてたまらない私って、どこまでこの男にやられてるんだ……。

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