46話
夏弥のマンションに着いた時、私の気持ちも体もくたくたで、玄関に脱いだヒールを揃える気力をようやく呼び起こした。
しゃがんでヒールを綺麗に揃えた瞬間、ふっと目の前が揺れて、膝をついてしまった。
足に力が入らないせいか、前のめりに体は崩れる。そして、そのまま玄関で眠ってしまいそうなほど。
「ここで寝るなよ」
呆れた声が聞こえたかと思えば、私の体はふわっと浮いて、そのまま温かいものに包まれた。
「シャワーはいいのか?」
どうにか目を開けると、すぐ近くには夏弥の優しい顔。私をお姫様抱っこしてくれた夏弥が、そのままリビングに向かって歩いていると気付いた。
「ご、ごめん、重いでしょ……おろしていいよ」
「……眠ってる子供って抱くと重いけど、花緒もそんな感じだな。とりあえずスーツだけ脱いでこのまま寝るか?」
ん?と私の顔を覗き込む夏弥は、軽く私の唇にキスを落としてくれた。と同時に
「俺以外にも花緒の新しい家族ができて良かったな」
「え?……家族……?」
家族っていう言葉は、小さな頃からおばあちゃんたった一人を指す言葉で、私にとっては『寂しい』と同義語。
切ないって意味も含む。だから、あまり聞きたくないし言いたくない。
今夏弥が口にした時も、眠りに引きずり込まれそうな意識の中で一瞬寂しかったけれど、それはほんの一瞬の事で、夏弥が今私を包んでくれる体温を私のものにできるって意味を含むって気づいて。
心の中が温かくなって、気持ちが緩んだのか。
「俺はもう、そのつもりだけど。……花緒?おい、はな……」
夏弥が呼びかける声が遠くに聞こえたかと思うと、そのまま意識は途切れて眠りに突入してしまった。
これまで生きてきて、こんなに幸せで、明日が楽しみな眠りは初めてだった。
* * *
翌朝、というよりもまだ夜明け前の早朝。
「お、重い」
唸るように口にしながら目を覚ました。
下着だけでベッドに入っている自分の姿に驚くけれど、それ以上に重いと感じる今の状況に戸惑った。
そしてすぐに、背後から抑え込まれるように抱きしめられていて、私の上で交差された手に気付く。
そっと首を後ろに向けてみると、静かな吐息と共に眠っている夏弥がいた。
眠っていても私をぎゅっと抱きしめて、私の首筋に埋められた口元から伝わる体温が、私の体温をも一気に上げる。
夏弥の体全体が私を押しつぶすように抱きしめてくれて嬉しいけれど、とにかく重くて息苦しくて。
呼吸が不規則だ。
それでも、ふと思い出すのは夕べ眠りに入るときに囁かれた言葉だ。
「家族だって。……私の新しい家族だって」
これまで嫌いだった言葉を呟いた。
呟いた瞬間、いつもなら心に溢れ出てくるはずの切なさが胸に溢れなくてほっとした。
私に新しい家族ができるなんて、少し前の私なら想像もしなかったけれど、夏弥に出会って、自分がこの世に生まれ出た事が間違いではなかったと思えるようになった。
夏弥が望んでくれるのなら、夏弥の為に生きてみようと、それだけの理由で生きてもいいと思えた。
ただそれだけでも十分幸せだけど、私の父さんが誰であるかもわかって、それどころか身内と呼んでもいい人もできたなんて、夢のようだ。
『花緒さんの人生に関わらせて欲しい』
そう言ってくれたシュンペーのお父さんの言葉が私の未来を孤独から救ってくれたように思える。
シュンペーとも、一生付き合っていける。
大好きな後輩であるシュンペーが、単なる後輩だけでなく、ちゃんと血が繋がっている『従兄弟』としてずっと関わっていけるなんて、本当に劇的な驚きだ。
ふふふっと、思わず笑い声だって出てしまう。
「何がおかしいんだ?」
いつの間にか目を覚ましていた夏弥の声が耳元に響いてはっとした。
「……おはよう。えっと、重い……」
「は?重いって、ああ、悪い。ずっと抱きしめたままだったな」
夏弥の抱きしめ方がほんの少し緩やかになって、呼吸はしやすくなったけれど、離れた体温を感じると寂しくなった。なんてわがままな私だろう。
「よく眠れたか?夕べは疲れ果ててたけど、もう復活した?」
「うん。ごめんね、ここまで運んでもらって、それに服も……」
ちゃんと脱がしてくれたらしい私のスーツは、寝室の壁にかかっている。
きっと夏弥がそうしてくれたんだろう。
「ああ。とにかく眠ってたからな。夕べは花緒にとって忘れられない夜だったし、仕方ないか」
そう言うと、夏弥は私の体の向きをぐいっと変えて、正面で向かい合うように抱き寄せた。
「隼平くんから聞いてる。そして、隼平くんのお父さんからは、二人でゆっくりと家に遊びにおいでって。
それだけで、意味、わかるな?」
私の反応を探るような瞳が目の前にある。事実をどう受け止めるのか、それを気にしてゆっくりと話す夏弥が私の頭をゆっくりと撫でてくれた。
「あまりにも大切な事実を知って、驚いてるだろうけど、決して悪い事実じゃないんだ。ちゃんと明るく受け止めような」
どこまで私を心配してるんだろう。子供じゃないんだから。
「しっかりと前向きに受け止めてるよ。だって……私を見て嬉しそうに涙見せてくれたから。それだけで嬉しい」
「そっか……そうだな」
「うん。ありがとう」
私の頬を優しく撫でてくれる夏弥の手をぐっと掴んで、その手の甲に口づけた。
夕べ、喜びと混乱と興奮に包まれて感情の落ち着かせ方に困っていた私を、ただ側で見守ってくれていた夏弥。
そんな彼への感謝をこめて口づけた。
新しい家族が夏弥以外にもできる幸せを改めて実感しつつの口づけ。
その時、夏弥の手を掴んでいる私の左手に違和感を覚えてじっと見ると。
きらりと光る重量感に気づいた。
「何?」
夏弥の手を掴んだままで、左手をじっと見ると、そこに光る指輪。
存在感溢れる大きなダイヤモンドが、私の薬指におさまっていた。




