43話
「あ、父です。今日は何故かこのパーティーに参加したいって言って顔を出したんです」
父親の隣にいるせいか、どこか気恥ずかしそうに顔を赤らめながら、シュンペーはお父さんを紹介してくれた。仕立ての良さそうなスーツを余裕で着こなしている長身の男性は、立っているだけでその場の視線を集めるオーラを持っていた。私とおばあちゃんに気付いて優しく微笑むと、
「息子がいつもお世話になっています。社内で人気のある先輩に仕事でお世話になっていると、いつも自慢げに話してますよ。……確かに、隼平が自慢したくなるのもわかるな。俺ももう少し若かったら……」
「父さん、何言ってるんだよ」
「は?いや、いつも話してる先輩がこんな綺麗な人だとは思わなかったからなあ。
千絵ちゃんもかわいいけど、木内さんもいいよなあ……」
「だから父さんの好みは聞いてないって。……ほら、木内さん固まってるし」
焦りながらお父さんの話を遮るシュンペーは、小さくため息をついて頭を下げた。
「気に障ったらすみません、木内さんは親父の好み、どストライクみたいです。まあ、木内さんのように綺麗な女性を目の前にしたら誰でも見つめてしまいますけどね」
肩を竦めつつ、お父さんの腕を軽く叩く仕草からは、呆れた気持ちと、そんなお父さんの様子に慣れてる日常がうかがえて何だかうれしくなった。きっと、シュンペーとお父さんはかなり仲がいいはずだ。じゃなきゃここまで軽口を言い合ってるわけもないし、わざわざお父さんがこの場に顔を出すわけもないし。
「あの、木内花緒です。シュン……いえ、春山くんにはいつも助けてもらっています。
仕事もできるし見た目もいいし、社内でも評判の男性ですよ」
私がそう言って笑うと、シュンペーのお父さんはしばらくの間私をじっと見つめて
「あー、どこかでお会いした事ありませんか……?」
それまでの明るい口調とは違う、低い声で首を傾げた。
「は?」
冗談で言ってる訳でもなさそうな、真面目な声で呟くシュンペーのお父さんは私を食い入るように見つめている。
「あ、あの……」
強い視線に、どうしていいのかわからないでいると
「親父、若い男がナンパで使いそうな台詞で口説くなよ。お袋に言いつけるぞ。それに木内さんだって困ってるだろ」
「いや、口説いてるわけじゃないんだ……確かにどこかで……それに、そのワンピースにも見覚えがあるんだ」
私との距離を詰めながら、シュンペーのお父さんは私の顔を探るように何度も視線を落とし、そして今私が着ているシフォンのワンピースも気にかかるようだ。
このパーティーの事をおばあちゃんに話した後、『何を着て行けばいいのか困る』とぶつぶつ口にしていた私の目の前に広げられたワンピース。
ボルドー色のシフォンは軽やかに揺れて、胸元で切り替えが入っただけのノースリーブス。
フレアになった裾は膝丈で、ハイヒールを履くとちょうどバランス良く見える。
『紅花が大切にしていたワンピースだよ。今日みたいな誇らしい日に着るにはちょうどいいんじゃないか?』
きっとおばあちゃんの部屋のクローゼットに大切にしまわれていたはずのワンピースは色あせもなく、もちろんしみひとつなかった。
母さんが亡くなってから20年以上経ってもこんなにいい状態で保管してあった事に驚いたけれど、それだけ母さんを失った悲しみが大きかったんだと実感して切なくなった。
そして、まるで私の為につくられたようにぴったりと体に合ったワンピースを着てここにいる。
そんな昔作られたはずのワンピースに見覚えがあるとシュンペーのお父さんの言葉は一体どういう事だろう。やっぱり何かの勘違いだろうか。
「この色……珍しいなと思ったんだ、昔『真紅のバラの色だね』って聞いたような……。
真紅って……紅っていう字が入っていて、『お前にぴったりの色だな』って……」
遠い記憶を思い返すように、私の瞳を見ながらも、私以外の何かに思いを馳せている。
その表情はどこか悲しげで、つらそうにも見えた。もしかしたら、苦しい思い出を手繰り寄せているのかもしれない。時々歪む眉が、楽しい思い出ではないと告げているようだ。
「親父……」
ひたすら自分の中の引き出しから何かを取り出そうと必死になっているお父さんの横で、シュンペーも不安げに声をかけた。けれど、お父さんがその声に反応する事はなかった。
「紅……紅……そうだ。兄貴が言ってた言葉だ。『紅花の色だ』って言って抱きしめてたんだった。
紅花さんを大切に大切に、抱きしめて……」
それまで意識がどこかにさまよっていたようだったけれど、シュンペーのお父さんは突然はっとしたように私の肩に両手を置くと興奮した大きな声で叫んだ。
「紅花……紅花さん……そうだ、そっくりだ。あの頃の紅花さんに生き写しだ」
近くにいた人みんなが私たちに視線を向けた。それまで各々歓談していたゆったりとした空気がすべて私たちに流れてくるようで居心地が悪いけれど、それよりも。
今シュンペーのお父さんの口から出た言葉に驚いて、私はそれどころじゃなくなった。
「母を……母をご存知ですか?」
思わず出た私の言葉に、シュンペーのお父さんは大きく目を開いた。
瞳によぎるいくつもの色が、彼の思いの複雑さを表しているようで、その先を聞く事が怖くなるけれど、突然出てきた母の名前に、私の感覚すべてが反応し、答えを求めている。
混乱する気持ちのまま傍らのおばあちゃんを振り返ると、私の身を守るように寄り添い、じっとシュンペーのお父さんを見入っていた。
それまでの不安や緊張感は既に消えていて、代わりに見えるのは落ち着きと諦め。
そして覚悟。
普段からおばあちゃんが見せる強気な表情がそこにあった。
しばらくの間、誰もが混乱して何も言えないままでいたけれど、その沈黙を破ったのもおばあちゃんだった。シュンペーのお父さんに向き直ると、小さく息を吐いて。
「昔もお兄さんと一緒でいい男だったけれど、今も艶のあるいい男だね。
……そうだよ。この子は、花緒は……紅花の娘ですよ」
「じゃ、じゃあ、花緒さんは……兄さんの……」
つまりながら、それでも何かを必死で問うシュンペーのお父さんが、最後まで言葉を言い終えるのを待たずに、おばあちゃんは口を挟んだ。
「わかりません。紅花は何も言わずに亡くなったので。紅花とお兄さんとの事は詳しくはわかりません」
それ以上何も聞くな、とでもいうように言い切る言葉がシュンペーのお父さんに届いて、その瞬間再び沈黙が広がった。空虚感。そして漂う切なさ。
おばあちゃんは、シュンペーのお父さんに何度も小さく頷いてこれでこの話は終わりだというように深い視線を送った。
「あ……花緒、さんだね。……おばあちゃんと一緒に暮らしているんだね……」
「あ、はい。そうですけど」
「そうか、そうか……」
何故か涙目の優しい視線が私を包み込む。シュンペーによく似た表情は穏やかで、私の向こうに何かを探しているように感じた。
何かを言いかけては口を閉じ、小さく息を吐いては微かに笑って。
しばらくの間、落ち着かない時間が過ぎて行った。
ここにいる四人。みんなが気づいている事を口にしないままただ同じ空間で向かい合う奇跡を感じて。
その時
『そろそろ始めようかー』
マイクを通して、社長の明るい声が会場に広がった。
もしかして、司会も社長がこなすんだろうか……あの笑顔を見ると、きっとそうだと予想できる。
黒いタキシードはこの場に合っているような合っていないような。
マイクを持って段取りを確認している社長を苦笑しながら見ていると。
「あいつ、ほんとお祭り好きだよな……」
シュンペーのお父さんがぽつりとつぶやいた。
少し軽くなった空気の中でシュンペーを見ると、今まで見た事がないほどに困惑した瞳に気づいた。
私を見ながら、たくさんの思いがよぎっているんだろう、手をぐっと握りしめてそれに折り合いをつけようと必死だ。
「木内さん……」
低い声。それだけでわかる。
シュンペーの気持ち。
私はふっと笑って、肩をすくめた。目で『言っちゃだめだよ』そう告げながら。
社長賞受賞者が集められる。各々散らばっていた社員たちが社長の指示によって集まりだした。
私も金屏風の前で笑っている社長のもとへ歩みを向けた時、シュンペーのお父さんが言った。
「俺の兄さんも、あの社長みたいにお祭り好きだった。きっと今日の日を喜んでる」
それだけ。それだけでいい。
あまりにも大きな事実を口にして、あらゆるバランスを崩すよりも、それだけでいい。
「はい……。ありがとうございます」
小さな声でそう答える私に、涙をこらえることなく大きく頷いたシュンペーのお父さん。
きっと、口に出す事は一生ないけれど、私のおじさん。
涙もろいところは私の父さんに似てるのかな……。
そんな事を考えながら、照明で輝く舞台へと向かった。




