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42話


Aホテルのロビーに入った時、その豪華さに目を奪われた。

落ち着いたブラウンのイメージで統一された空間は広くて、一面窓ガラスとなっている向こう側には鮮やかにライトアップされた噴水も見える。


深い紫を基調とした制服に身を包んだ係の人に案内されてエレベーターに乗ると、


「先ほど社長様がお部屋にお入りになりました」


気を遣うように声をかけられた。


「え?もう?……いつもイベントには誰よりも嬉しそうに早く来るけど……社員の焦りを考えて欲しいよ」


思わず小さな声で愚痴をこぼしてため息を吐いてしまう。

そう、社長は根っからのお祭り好きで、社内のあらゆるイベントに顔を出す。

部署ごとの忘年会ですら日程の許す限り参加しては楽しんでいる。社員との親睦こそ社長の使命だと、口癖のように言っている。まるでそれが社訓のように。


「何度かお目にかかった事がありますが、今日も社長様自らテーブルやマイクの位置を指示されていました。

明るくて楽しそうなお方で、ホテルの従業員の間でもファンは多いんですよ」


「はあ。……そうなんです。明るくて楽しくて……涙もろくて……」


そして何事も勢いで突っ走る、いい社長と言えばいい社長なんだけど……。

たまに振り回されると疲れて仕方ない。今日の社長賞だっていきなり通達してきたかと思えば当日突然にお祝いのパーティーだからなあ。


「まあ、いい社長です」


それでも憎めない社長だから、社員みんなついていく。今日だって、社長が一番張り切っているに違いないし、私が参加したプロジェクトの功績を誰よりも喜んでくれているはず。

小さく笑った私に、ホテルの従業員さんは、


「当ホテルの社長とも大学時代からのご友人だと言う事で、大変親しいようですよ。

……性格も似ているようで、よく喧嘩もされていますけど、二人ご一緒に旅行をされたり。

男同士の友情も羨ましいです」


と、ふふふっと小さく笑った。うちの社長とAホテルの社長が友人同士だとは聞いていたけれど、本当に仲がいいんだな。二人とも仕事での成功を得て、家庭だって円満だと聞く。本当、羨ましい。


「あ、着きました。……こちらです」


エレベーターの扉が開いたのは、25階。目の前に見える大きな扉の向こうには、明るい雰囲気の会場があった。

案内されるままに会場に入ると、既に大勢の人が来ていた。

各々手に飲み物を持ちながら談笑している中にはプロジェクトで一緒に苦労した仲間達いて、少しほっとした。

見知らぬ面々はきっと、社長賞を受賞した社員の家族たちだろう。

小さな子供や奥様らしき人、そして年輩の人まで様々いるけれど、一様に笑顔。

やっぱり社長賞は嬉しいんだろうと思う。私だって、今日こうしておばあちゃんを連れて来れて嬉しくてたまらない。


「じゃ、私はこれで失礼します。何かあれば担当の者にお聞きくださいませ」


「あ、ありがとうございました」


ここまで案内してくれた女性が私達の側を離れて、ふっと息をついた。

そして、それまで固い雰囲気の中一緒にいたおばあちゃんを見ると、タクシーの中で味わっていたぎこちなさそのままでたたずんでいた。

視線をあちらこちらに泳がせる様子は落ち着かなくて、誰かを探しているようにも見えた。


「おばあちゃん?」


「あ、……なんだい?」


「なんだいじゃないよ。落ち着かないようだけど、誰か探してるの?えっと、夏弥なら遅れて来るって言ってたからまだいないよ」


「そうじゃないよ。ちゃんと落ち着いてるから大丈夫」


「そお?」


全然大丈夫には見えないんだけど。心細さが滲む表情を隠して、背を伸ばし、しゃんとしているようなおばあちゃん。何故かそわそわしているけれど、どうしてなのか全く見当がつかない。この高級感あふれるホテルの荘厳な雰囲気に気圧されてるのかと思わなくもないけれどそうでもなさそうで。

しきりに視線を泳がせながら警戒しているように見える。


……何に?


私をかばうように近い距離に立つおばあちゃんの後ろで、疑問はどんどん大きくなっていく。

そんな戸惑う気持ちを抱えながら立っていると、


「木内さん」


「あ、シュンペー」


「こんばんは。僕も来ちゃいました」


振り返ると、大きな笑顔のシュンペーが立っていた。今日会社で着ていたスーツではなくスリムなグレーのスーツとレモンイエローのネクタイ。どこか華やかに見えるシュンペーの笑顔にしっくりときている。彼女の趣味かな。


「え、どうしてシュンペーがここにいるの?」


今日社長賞を貰うメンバーの中にシュンペーは入っていないはずだから、今ここにいる理由がわからない。

いくら社員とは言えど、関係のない社員がここに呼ばれるとは思えないんだけど。

確かに私の直属の後輩だけど、それだけの理由でここに呼ばれたんだろうか。まさか、それはありえない。

そんな疑問が私の顔に出たのか、シュンペーはくすっと笑って。


「生まれて初めて、父親の立場を利用しちゃいました」


照れ臭そうに呟いた。


「父親?」


頭をかきながら恥ずかしそうにしているシュンペーは、周囲を気にしながら私の耳元に小さな声で囁いた。


「このホテルの社長の春山平緒は、僕の父親なんですよ」


「え?……ここの社長が?」


「ちょ、木内さん、声がでかいです」


驚いて大きな声を出してしまった私に焦るシュンペーは、あわわと私の口を塞いだ。


「秘密ですから、秘密。この事を知ってるのは一一部の役員、もちろんうちの会社の社長はしってますけど。あ、うちの部署のトップは知ってますけどね」


囁くように話すシュンペーは、こくこくと頷く私にほっとしたのか、私の口を塞いでいた手をそっと離して苦笑した。その顔は、今まで見た事がないほどの切ない色で満ちていて、単純にその事を喜んでいるわけではないと感じた。社長の息子って、将来は社長か何か?


「僕の父は、うちの会社の社長と学生時代からの友人って事もあって、僕が小さな頃から面識もあってというか、すごく僕を可愛がってくれたんです。で、今こうして縁故入社して働いてるわけです」


「……そうなんだ。すごいね、Aホテルの社長の御曹司」


思わず感嘆の声が出てしまう。世界屈指の高級ホテルの社長の息子なんて、かなりのお坊ちゃまに違いない。

今まで何も知らなかったけれど、すごい生まれなんだなあ。

そんなため息にも似た羨望の声に、シュンペーは苦しげな顔をして口元を歪めた。


「すごいのは、父親や祖父です。僕はこのホテルに関しては何もタッチしてないんで、僕自身は単なるサラリーマンにすぎません。だから、花緒さん、これから態度変えないでくださいよ」


「あー。鋭意努力するけど、しばらくはシュンペーの頭の上にAホテルのロゴが輝いて見えるかもしれない。

『シュンペー坊ちゃま』なんて言ったらごめんね」


ははは、と笑いながらの言葉は半分冗談だけど、半分本気。やっぱりかなりの家柄の息子だと聞くと、それなりに考えて見てしまう。今着てるスーツもいくらするのかとか考えちゃうし。


「でも、シュンペーが頑張り屋でいい男だってよく知ってるから、大丈夫だよ……多分」


そう、それが基本。シュンペーの事を大好きだから、たとえAホテルの御曹司でも仕事をしていくうえでは何も変わらない。……と思う。ふふふ。しばらくは混乱するかもしれないけれど、ま仕方ない。

あまりにも有名なホテルの御曹司、戸惑うなという方が無理だもんね。


「で、お父さんにお願いしてここに入れてもらったの?」


「あ、はい。木内さんの晴れ姿を僕も見たくて、父から社長にお願いしてもらって、こっそりと入ったんです」


恥ずかしそうに笑うシュンペーは、年よりも若く見えて、どこか子供っぽい。

とはいえ、見た目が整っているからこの場にいても何人かの若い女の子からの視線も集めている。

仕事もできるし家柄もいいし、無敵だね。ようやく結婚を承諾したという彼女とも順調そうだし、もうすぐ父親にもなるし。羨ましいくらいに幸せそう。


「ありがとうね。私の晴れ姿なんてこの程度だけど、最初で最後の社長賞だろうし、お祝いしてちょうだい。

……あ、私の祖母」


それまで私たちの会話を黙って聞いていたおばあちゃんを振り返ってシュンペーに紹介すると、シュンペーはいつもの人懐こい笑顔で頭を下げた。


「初めまして、春山隼平です。本日はおめでとうございます。いつも先輩の木内さんには色々と教えていただいてます」


「あ……ありがとうございます。花緒の祖母です。……春山さんは、Aホテルの社長の息子さんで……」


「あ、はい、そうです。と言ってもホテルの仕事は兄が引き継ぐので僕には関係ないんですけどね」


「……そう、息子さん……」


おばあちゃんは、何かを思い出すかのようにシュンペーをじっと見ている。

私の背後からゆっくりとシュンペーとの距離を縮めながらも視線はシュンペーから外さない。

揺れている瞳は少しうるんでいるようで、今にも涙が零れ落ちそうに見えた。


「おばあちゃん?」


そんなおばあちゃんの様子に混乱した私とシュンペーは、ふたりして顔を見合わせて首を傾げた。

シュンペーの前に立ったおばあちゃんは、何も言わずにただシュンペーを見ているだけで何をしたいのかよくわからない。おばあちゃんの肩が微かに震えているのに気付いて、更に何も言えなくなった。


どうしていいのかわからないまま固まっているシュンペーの『木内さーん』という困った視線にもどう応えていいやら。一体、おばあちゃんに何が起きているんだろう。

ここに来るまでの様子だっておかしかったし、何か張りつめた空気が絶えずあった。


そんな時、戸惑ったままの私達に、明るい声が響いた。


「この女性が隼平が尊敬する先輩か」


はっと三人の視線が声のする方へ向いた。

そこには、隼平そっくりの顔をした紳士が立っていた。


「親父……」


紺のスーツがよく似合うAホテルの社長、が笑って頷いていた。

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