34話
「ようやく会えた」
ほっとしたように呟いた夏弥は、驚く私に苦笑しながら小さく息を吐いた。
「これからは、どんなに腹が立っても、携帯切るのだけはやめてくれ。正直参る」
心底参っているのか、その顔には疲れも見える。ただでさえ沖縄から帰ってきたばかりで疲れてるはずなのに私に会いに来てくれた事が、なんだか申し訳ない。さっきまでの夏弥に対する重苦しい気持ちがあっという間に小さくなるのを感じた。結局、私は夏弥の手のひらで転がされているのかも知れない。
それにしても、どうして今目の前に夏弥がいるんだろう……。
「ねえ、明日の晩に帰ってくるんじゃなかったっけ……?」
呟いたと同時に、それまで夏弥の背後にいて見えなかった男性が顔を出した。
「へえ、これが夏弥が何年もストーカーしてた女か。想像してたよりも普通の女だな」
まるで私を検分するような視線と、どこか納得いかないような歪んだ表情で私をじっと見遣る様子にいらっときつつも、『何言ってるんだよ』という夏弥の言葉を聞いて、無言のままその男を見返した。
「夏弥が惚れ込んで結婚まで決意するくらいの女だから、どれほどかと思えば。
うちの希未の方がいい女だな」
ふふん、という言葉とともに私に大柄な態度。一体誰なんだろう、この礼儀知らずな男。見た目はいいけどこんなに意地悪そうな……え?希未って言った?
「希未って、あの、希未さん?指輪の……」
驚いてそれ以上何も言えないまま夏弥を見ると、私の驚きに笑いながら頷いていた。
「ああ、希未に会ったんだってな。毎度あり。あいつも『可愛い人だったわよ』って言ってたけど。
ふーん、あんたがね」
相変わらず私に厳しい言葉ばかりを投げかけるその男。きっと、蓮さんだ。
夏弥の親友であり希未さんの旦那さま。
夏弥の横に何故いるのかわからないし、どうして私を落とす言葉ばかり言うのか。全く謎だ。
夏弥も面白がってるように蓮さんを見ながらも、とりたてて怒ってるわけでもなさそうで、この人は、普段からこういう人なんだろうな……とか思ってると。
私の隣に立っていたおばあちゃんが突然口を開いた。
「あんたあんたって、何度もうるさいよ。うちの孫の事をけなすなら夕飯あげないよ。
どうするんだい?お腹すいてるんだろ?瀬尾さんだってこの二日は日本中からの注目浴びて疲れてるだろうし、食べるならとっととお入り」
「あ、すみません。こうして花緒に会わせてもらえるだけでもありがたいのに」
慌てて夏弥がおばあちゃんに頭を下げていて、その姿を見ながらはっと気づいた。
「会わせたって、おばあちゃん、もしかして」
おばあちゃんが夏弥をここに呼んだのかな。にやりと笑っているおばあちゃんの顔を見ると、きっとそうなんだろうと確信する。そんな私の表情を読んだのか。
「だから言っただろ?『おせっかい』してるってね」
肩をすくめたおばあちゃんは、私たちに背を向けてキッチンへと歩いていった。
残された私は、そっと夏弥を見た。
すると、私の手をぐっとつかんで引き寄せられて、気づけば目の前には夏弥の顔があった。
いつ見ても端正な顔だけど、少し目がくぼんでいるような気がする。
あれだけ騒がれれば、そりゃあ、疲れるよね……。
自然に動いた手が夏弥のほほに触れて、そっと撫でる。瞬間びくっとしたその体だけど、私の手を受け入れてくれたように、すっと頬を寄せてくれた。
「そんなに、疲れた?……テレビ、いっぱい出てたよ」
「あー、俺あんまり見てないんだよな。追いかけられてスタッフや梓と逃げ回りながら仕事してた」
「あ、梓……」
「ああ、俺と結婚間近だって騒がれてる梓。だけど、何もない。俺は花緒だけ」
安心させてくれるようなゆっくりとした声に、吸い込まれそうになる。ずっと携帯の電源を切って、夏弥の声を聞かないようにしていたのに、そんな私の反抗なんて何の意味もないように一瞬にして夏弥の声に引き込まれてしまう。それに、そんな私の気持ちをわかっていたかのような余裕の口調に少し腹が立つ。
それでも、やっぱり夏弥を目の前にして優しく声を交わすと、一切のわだかまりも不安も消えていくようで、悔しさと嬉しさが交互にやってきて。
「私だけって、本当だよね」
負けないくらいに甘い声で言い返した。
「本当だよ。じゃなきゃ、仕事繰り上げて会いにくるかよ」
「繰り上げて……って、大丈夫なの?」
思わず大きくなった声に、小さく笑って『多分』と言ってる夏弥。
その隣にいた蓮さんが、呆れたように
「バカップルのじゃれ合いはもういいから、飯。飯もらおう。腹減ってるんだ。
こっちは修学旅行で生徒に振り回されて疲れ果ててるんだ。希未だって待ってるっていうのにこのストーカー男を連れてここまできたんだ。いい加減早くしてくれ」
大きくため息をついた。げんなりという表現がぴったりな顔で、私と夏弥を交互に見ている。
「本当、早く希未に会いてーのに全くこの男、俺らの学校に交じって沖縄脱出しやがって。おかげでこっちは無駄な労力使ったよ。さあ、めしめし」
さっさと上り込んで、おばあちゃんがばたばたと準備しているに違いないキッチンへと行った。
「えっと……俺らの学校って?」
呆然としながら夏弥に聞くと、思いがけない答えが返ってきた。
「ああ見えて、蓮は高校の先生なんだ。……とりあえずあの見た目の良さで、女の子に大人気の数学の先生らしい。で、今日はあいつに助けられたんだ」
「え?助けられた?」
蓮さんの後を追うようにキッチンに向かう夏弥は、私の肩を抱くと耳元に唇を寄せて
「マスコミに踊らされて俺をしめだした花緒ちゃんに会うために、蓮の力を借りたんだよ」
くくくっと笑うと、そっとキッチンに視線を向けて。
「今のうちに」
誰も私たちを見ていないのを確認しながら、そっと唇を重ねた。
二日ぶりのキスだけど、もっと長い間この熱を感じていなかったように思えて、私も自然と身を寄せた。




