33話
怒っているのか悲しんでいるのか不安なのか、結局自分の気持ちが整理できないまま家に帰ると、おばあちゃんから冷やかしに似た視線を投げられて居心地が悪かった。
夏弥に関する騒動を知っているはずだし、私が動揺しているだろうことも予想していたのか普段よりも華やかな夕飯が並んでいた。
「……この、あからさまに私を気遣うようなメニューやめてよ」
小さくため息をつきながら食卓につくと、おばあちゃんは私が大好きな炊き込みご飯を目の前に置いてくれた。
「あ、ばれたかい?私の予想では、目を真っ赤にして涙も流しながら帰ってくるかと楽しみにしてたのにね。残念」
「残念?」
「そうだよ。残念。何年か前に恋人に振られた時、えっと悠介だったっけ?彼と別れた時は結構あっさりしてておばあちゃんの前では落ち着いてたからね、ちょっと物足りなかったんだよ」
くくくっと笑う声にどう答えていいのか。愛しい孫、であるはずの私なのに、どうして失恋して泣く事を期待されなきゃいけないんだろう。
確かに悠介と別れた時にはおばあちゃんの前では泣かなかった。おばあちゃんに心配をかけたくないという気持ちが強かったのもあるし、私自身泣けなかった。
「花緒が男と別れて泣くくらいに人生を謳歌して欲しいって思うんだけどね」
「別れて泣く事が謳歌なの?おかしいよそれ」
おばあちゃんの言葉の真意がよくわからない。
「人生の喜怒哀楽を味わって、たった一人の人と結ばれて欲しいんだよ。
たとえ泣いたって、時間が解決してくれるんだし、いいじゃないか。長い長い人生のほんの少しの悲しみなんて後から考えたら大したことないんだよ」
「……おばあちゃんは、それを乗り越えてきたから言えるんだよ……」
おばあちゃんの言葉を理解できないわけじゃないけれど、やっぱり私には泣きながら人生を謳歌するなんてまだできない。それに、泣くなんて事、できれば避けたい。
おばあちゃんの言葉を素直に受け止められない私の気持ちが表情に出ているんだろう、おばあちゃんは少しためらいながらも、何かを決めたかのように、口を開いた。
「花緒の母親も、謳歌したんだよ。……命がけであんたを産んで、幸せそうに眠りについたよ」
その言葉に驚いて、はっとおばあちゃんを見た。ゆっくりと箸をすすめる私の前でお茶を飲みながら、どこか達観したような表情。とりたてて悲しげな瞳ではないし、私に何かを伝えようとしている雰囲気でもないけれど、どこか覚悟を決めたような強さが感じられて目が離せない。
「花緒のお母さん。紅花はね、そりゃ、生まれたあんたと一緒にずっと生きていたかったと思うけど、無理だってわかってたんだよ。自分の体は自分が一番よくわかるって言ってね、『この世で一番の親不孝をしますけど、生まれてくる子供をよろしくお願いします』って、帝王切開で手術室に入る直前にそう言って、笑ってたよ」
「……」
これまで、母親の事はあまり口にしなかったおばあちゃんが、どうして突然こんな話を始めたのかよくわからない。
言葉もなくただ聞くしかできない。べにか……私の母の名前。普段耳慣れないその名前が、私の気持ちを高ぶらせていく。
「紅花は、あんたのお父さんと最初で最後の恋愛をして、そしてあんたを遺したんだ。
……できれば、その事をあんたのお父さんに伝えたかっただろうけど、彼はあんたが生まれてからしばらくして死んだんだよ。……彼も病気でね」
「え?病気……?」
「ああ、心臓が悪くて入院してたんだ。同じ病院に入院していた紅花と知り合って恋に落ちて。で、妊娠」
「じゃ、私の事は……」
「紅花が妊娠していたことは、きっと知らなかったはずだよ。その事を告げたら出産を反対されると思って、紅花は黙って姿をくらまして。命がけだったっていうのは言葉通り、本当だ。
……でも、やっぱり、ちゃんとあんたが生まれた事を伝えておくべきだったよね……。
先方のお父さんお母さんだって、孫を見たかっただろうしね」
話される内容は重くて苦しいのに、おばあちゃんはどこか笑っていて、あっさりした口調。
母さんの人生を振り返って、私に告白するにはそぐわない声音に首を傾げてしまう。
「紅花が私よりも早くこの世からいなくなるっていうのは、彼女が小さな頃から覚悟していたんだよ。
きっと、人生の何もかもを諦めて、楽しみも喜びも、味わうことなく散っていくんじゃないかと不憫に思っていたけどね、……花緒という生きた証をこの世に残せるような恋愛ができたんだ。
幸せだったと思うよ」
「おばあちゃん……」
「だから、あんたも紅花に負けず、いい恋愛をしなさいよ。喧嘩して泣いてもいいし、不安になって気持ちをぶつけてもいいじゃないか。きっと、そこから新しい関係も生まれるし、いずれは喜びにかわっていくよ」
そこまで言うと、おばあちゃんは優しく笑ってくれた。
「せめて、紅花が私に与えてくれたかわいい孫の人生、幸せなものになって欲しいじゃないか。
だから、ちょっとおせっかいもするんだよ」
くくっと笑って、湯呑みに残っていたお茶を一気に飲み干した。
その様子に何か違和感を感じて、思わず箸を止めた。
じっとおばあちゃんに視線を向けていると、ふと時計を気にしているおばあちゃんに気づく。
ちらりと壁にかかっている時計を見遣る仕草が何度か続く。
「どうしたの?何か見たいテレビでもあるの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。……おせっかいがそろそろ実を結ぶかと期待してるんだよ」
「は?さっきからおせっかいおせっかいってどういう事?」
敢えて無表情を作っているようなおばあちゃんだけど、口元が笑いをこらえて震えているのに気づいて、更に訳がわからなくなった。
「ねえ、おばあちゃん……」
どういう事かともう一度聞こうと口を開いたと同時に、玄関のチャイムが響いた。
既に日付が変わりそうな時間なのに、一体誰だろう。
何だか不安に思っておばあちゃんを見ると、意外にも落ち着いていて、それどころか軽く腰を上げている。
「ようやく来たようだね」
「ようやく……?」
ふふふっと私に意味深な笑いを向けて、いそいそと玄関に向かうおばあちゃんのあとを慌ててついていくと、ためらう事なく玄関を開けるおばあちゃんの後姿に驚いた。
「おばあちゃん、こんな時間に誰が来たのかもわからないのに、ちゃんと確認しなきゃ……」
焦っておばあちゃんの近くに駆け寄った時、開いたドアの向こう側に見えたのは。
「遅くなってすみません」
まだ沖縄にいるはずの、夏弥だった。




