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32話



美月梓の熱愛は、その日のワイドショーで何度も報じられた。

朝からずっと、その話題一色で、彼女の名前の凄さに驚いてしまった。


今回熱愛の相手として騒がれている『住宅会社の営業マン』というのはきっと夏弥のことだろう。

『沖縄での熱い夜』だとか『長い春の末の結婚か』だとか、夏弥を連想させる煽り文句ばかりが耳に入ってきては不安になる。

これまで恋愛スキャンダルには無縁だった美月梓の話題は、世間を驚かせるには十分で、彼女が出演しているCMが流れる度に視聴者はじっと見入る。そして彼女の恋人がどんな人だろうと噂話に花を咲かせる。


恋愛の相手が一般人だという事で、名前も顔もオープンにはされていないけれど、私には夏弥が恋人と噂されている男性だとわかってしまう。

夕べ彼女との親しい距離感を感じた携帯の向こう側。


今でも、夏弥が『梓』と呼んだ声が何度も頭をよぎる。

その声が私の気持ちをどんと落ち込ませる。


「木内さん、このデータ、俺のPCに送ってもらっていいですか?……木内さん?」


「は……?あ、データ、データね。どれ?」


ぼんやりとしていた私の向かいで、シュンペーが苦笑している。

手にしていた資料を私に差し出しながら、気を遣ってくれてるのか


「コーヒーでも入れてきましょうか?」


そう言ってくれた。ううん、言わせてしまった。


「ごめん、大丈夫だよ。あー。でもちょっと休憩しようかな。で、えっと、このデータね。すぐに送る」


夏弥の事を考えすぎて仕事が手につかないなんて、私らしくない。しっかりしなきゃ。

とりあえずシュンペーが欲しがってるデータを送信して、机に広げていた会議用の資料を手早く片づけた。


「ちょっと休憩してくる。食堂の端にいるから、何かあったら携帯鳴らして」


「わかりました。あ、午後からの出張、俺一人でも大丈夫ですよ」


「あ、いいよ、大丈夫。私も聞いておきたいことあるし、一緒に行く。気を遣わせて、ごめん」


小さく笑って、席を立った。そんな私をシュンペーが心配そうに見ているけれど、今の重い気持ちを吹っ切って、明るい言葉はこれ以上言えないな。

とにかく落ち着いて、夏弥の事を信じられる自分に軌道修正しなきゃいけない。

夕べの電話で聞いた声に不安を煽られるのは確かだけど、『何もない』と彼女との事を言っていた夏弥を信じられると思うのも確か。


エレベータを10階で降りて、食堂に入った時、ポケットの携帯が震えた。

シュンペーかな。何かトラブルでも起きたかな……。

憂鬱な気持ちで画面を見ると、


「あ、夏弥」


その名前を見た瞬間心臓が跳ねて呼吸が止まりそうになった。

携帯を持つ手も震えて、落としそうになりながら


「もしもし、夏弥?もしもし」


慌てて叫んでしまった。


『そんなに慌てるなよ。そこまで俺に会いたかったか?』


「夏弥?えっと、その、『住宅会社の営業マン』って夏弥の事?……あ」


『いきなりだな。そんなに気になった?『住宅会社の営業マン』が誰か』


「そ、そりゃあ気になるよ……だって、昨日電話で……『梓』って呼んでたし……」


『あー、そうだっけ。とりあえず、この沖縄では彼女はすっごくいい仕事してくれてる。だから俺も気楽に付き合ってるんだ。スタッフみんなが『梓』って呼んでるのに俺だけ距離作るのもおかしいしな。同じように呼んでるんだ』


「……そ、そうなんだ……」


くすくすと笑いながら、普段と変わらない軽い口調の夏弥の言葉を聞いて、少し気持ちは落ち着いた。

けれど、肝心な事には答えてもらっていないような……。


「あの、夏弥……?」


で、結局、美月梓の騒動って……


『こっちもマスコミが来て大変だけど、こんな体験最初で最後だし、結構面白いぞ。

梓の行くとこ行くとこ大集団がついて回ってるし、テレビの中継にも俺映ってるかもしれないな。

こっちが何も言わなくても会社の宣伝もしてくれるし、社長は大喜びだそうだ。


で、俺は、何も関係ないから。心配するな』


なんだか楽しそうな日常報告のついでみたいに、私が欲しかった言葉を言ってくれたけど。

何だか私が落ち込んでいる温度と夏弥が笑ってる温度に差があるみたいで気が抜けてしまった。

関係ないってあっさり言われても、それって何が関係ないわけ?


『俺が大切に思って愛してるのは花緒だけ。それだけでいいんじゃないの?』


「うん……」


ずるいよね……。朝から落ち込み続けていた私の気持ちをすくいあげるのに必要なものが、そんな簡単な言葉だったなんて。それも、夏弥にしてみたらすごく簡単に、あっさりと、言い切ってしまって。


「それだけでいいわけない」


『は?』


「愛してるのなら、不安にさせないでよ。あんなスキャンダル、気にしないわけないでしょ」


朝からの苦しい気持ちが落ち着いて、どこか気持ちが緩んだのか、攻撃的な口調で夏弥を責めてしまった。


「で、『住宅会社の営業マン』って、やっぱり夏弥の事なの?」


その口調はとどまることを知らず、思わず核心をついた質問も出てしまう。


「んー。そうなんだな。その営業マンって俺の事なんだ」


申し訳なさそうな、それでいて何でもないように響く夏弥の声が、私の揺れている気持ちに拍車をかけた。

私を安心させる言葉を伝えて欲しいと思っていた私の気持ちが裏切られたような、そんな気分。


「そうなんだ。美月梓の相手は夏弥なんだね……」


『いや、一連のスキャンダルの相手は俺だし、えっと、明日あたり週刊誌にも写真が載るらしいんだけど……俺はただ……』


スキャンダルの相手は夏弥で、写真も撮られてる。


その事を聞かされて、私の気持ちは一気に崩れてしまった。

ガラガラと音がするのを体から感じて、目の奥が熱くなった。


「わかった、もういい。とりあえず今は話したくない」


『お、おい、花緒っ……』


ほんの少し涙声で夏弥に言い捨てると、何かを叫んでいる彼の声を無視して、携帯の電源を落とした。

そしてその日はずっと携帯の電源が入る事はなく。

私の気持ちも落ち込んだまま、やたら仕事に励んだ。


そして夏弥の予想よりも早く、撮られた写真はその日のスポーツ新聞の夕刊に大きく載っていた。


沖縄の海岸で撮影している一行の中で、仲良く話している美月梓と、目元を黒く隠された夏弥。


信じてるけど、何もないって思うけど、やっぱり気分は最悪だ。

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