30話
三人でランチを食べながらの話題はやっぱりシュンペーの結婚。
シュンペーは、彼女との結婚も子供の事も諦めるつもりはないらしく、いざとなったら彼女のお父さんと話をつける、とも言い切っていた。
「話をつけるって、どうするの?彼女をかっさらって逃げるとか?」
弥生ちゃんが、サンドイッチをほおばりながら尋ねると、くすりとシュンペーは笑った。
「かっさらうのもいいかもしれないですね。なんせ、彼女は俺を自分の家族のごたごたに巻き込まないように必死ですから。誰からも干渉されない所に二人で逃げるのもいいですね」
「あ、逃げたり姿をくらますのなら、花緒の仕事に影響が出ないようにきっちりと仕事は区切りをつけてからにしてね。今でさえいっぱいいっぱいなんだから、シュンペーの尻拭いなんて無駄な事をしなくて済むように、よろしくね」
にっこりと笑う弥生ちゃんの言葉は、冗談には聞こえない。本当に私に迷惑をかけるなと、そう思っているのがわかる。
なんだか、その思考回路に驚いて、何も言えない。
何も言えないのはシュンペーも同じようで、私に視線を向けると、茫然と瞬きをしているだけ。
「えっと。逃げるとか、姿をくらますとか、私はおすすめしないよ……。
あ、仕事が増えるから嫌とかじゃなくて」
「わかってますよ。木内さんが言いたいことはわかってるし、俺だって、本気でかっさらって逃げるなんてしようとは思ってません……。今はまだ」
小さく息を吐きながら、苦しそうな言葉が出てくる。シュンペーの心情は本人にしかわからないけれど、事の重大さだけは、わかる。
「大臣って……そんなすごい人なの?」
相変わらずのんきな口調の弥生ちゃんの言葉に、シュンペーは一瞬悩んだ後、その大臣の名前を口にした。
「うわっ大物っ。昨日もテレビで見たよ。見た目も評判もいいし、しばらくは安泰じゃないの?」
からかうような弥生ちゃんに、シュンペーは肩をすくめて見せた。
「そうなんです。俺も、結構高感度高い政治家なんで、本当に驚いてて。あいつ……今まで何も言わなかったから」
「で、彼女はやっぱり結婚しないって言ってるの?」
苦しげなシュンペーに聞いた。父親の事があるにしても、シュンペーとの結婚は別の次元の話のように思えるけど。当人同士にしてみれば、そんなに大きな事なのかな」
「あいつは、とにかく俺とお腹の子が父親に巻き込まれる事を恐れてるんです。政治家の地盤を継ぐなんて簡単な事じゃないし、両親の離婚の原因には父親が政治家だって事もあるようで」
「ねえ、地盤を継ぐ人って他にいないの?あの大臣には息子いなかったっけ?」
弥生ちゃんが首を傾げる。
「一人います。あいつのお兄さんになるらしいんですけど、両親が離婚する時に後継者としてお父さんに引き取られて帝王学じゃないですけど、将来への道筋をつけられながら育ってきたお兄さんが、いたんですけど」
そこで、シュンペーは小さく息を吐いて苦笑した。
「お兄さんは、政治家になる事を拒否して、アメリカに渡ったんです。もともと頭のいい人で、今は医学を学ぶために有名な教授のもとで勉強しているらしいです。
政治家への道を拒んだのと同時に、恋人と結婚して養子に入ったのもあって、あいつのお父さんはもう諦めてるらしいんですよね」
「へえ、やるね、お兄さん」
「弥生ちゃん……」
「シュンペーも、そのお兄さんを見習えばいいのよ。っていうか、彼女、彼女にも言っておいて。
親に振り回されるには年を取りすぎてるんだってね。自分の意思で自分と、子供の幸せを掴まなきゃ。
お父さんから守るためにシュンペーと結婚しないなんて、本末転倒。誰も幸せにならないだけじゃん」
ふん、と荒い息をして、弥生ちゃんはコーヒーを飲み干した。
いつもしゃきしゃきとはっきりものを言う弥生ちゃんの厳しい言葉には慣れたつもりでいたけれど、ここまで直球でシュンペーに言葉を投げつけるなんて、予想外。
「私の両親は、結婚30周年を迎えた今も仲が良くて本当にうらやましいくらい。
そんな夫婦の間に生まれて、私は幸せしか知らない。シュンペーの彼女や、花緒の背負ってる運命なんて私には本当に遠い世界の運命。
でも、だからと言ってこの先私が両親と同じような幸せを得られるかなんて自信ないんだよ。
相手が悪くてDVの被害者になるかもしれないし、ギャンブル漬けの男に騙されて借金まみれになるかもしれない」
私とシュンペーを交互に見遣る弥生ちゃんの表情はどこか必死に見える。
言いたくないことを一生懸命言ってるような感じがする。
「この先の事はわからないんだから、とにかく一緒に頑張ってみなよ。
シュンペーと彼女がお互いに気持ちを寄せ合っているのなら、お父さんがどんな気持ちでいるにせよ、二人で幸せになれるように頑張んなよ。だって、そうしなきゃ、未来を明るくはできないよ。
今悩んでる人がみんなそのまま悩み続けるわけじゃない。
いつか、苦しいことも悩んでることも、甘い未来に変えることができるって思わない?
……花緒もだよ。自分の出生に囚われすぎて大切な、それも手に入りそうな幸せ失くすくらいに悩むなんてバカなんだからね」
一気にそう言った弥生ちゃんの呼吸は乱れている。きっと、息をすることすら後回しにして、想いを伝えてくれたんだろう。
肩を上下させている弥生ちゃんの前に、まだ口をつけていないお水をそっと置くと、くすっと笑って一気にのどに流し込んだ。
「で、了解?」
一気飲みした後、にやりと笑って。
そう言ってる弥生ちゃんに感謝しながら、私とシュンペーは顔を見合わせて笑った。
二人して『了解です』
私にとってもシュンペーにとっても、幸せな未来を手繰り寄せるために、腰を据えて真剣勝負。
武者震いに近い何かが湧き上がってくる。
そして、『夏弥に会いたい』と、無性に、そう思う。




