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29話



突然訪ねてきた私を、まるで獲物を捕らえたかのように必死に抱いてくれた夏弥は、愛し合った余韻に浸りながら


『あー、一緒に沖縄に連れていきたい。……無理だよな?』


半分本気、半分冗談。

どちらともとりかねる口調で私を見下ろした。ベッドに私を押し付けて、私が『一緒に行く』と言わない限り自由はないとでもいうような視線を落としたけれど、『無理だね』残念だけど、と添えて夏弥の頬を撫でた。

状況が許してくれるのなら、一緒に沖縄について行きたいけど、私の中にある仕事をないがしろにできない真面目な気持ちが邪魔をして素直になれない。


『行けたらいいのにな』


そう呟くのが精いっぱいで、残念そうに顔を歪める夏弥を喜ばせることはできなかった。


仕事って、ここまで私を縛るものなのかな、いっそ強引に休みをとってついて行こうか沖縄。とか考えないわけじゃないけれど、その一方では、仕事で行く夏弥の邪魔になるだろうし、やっぱりここは我慢。

揺れる私の心は微妙だ。そして、その微妙さが恋愛の醍醐味なんだけど。

これまでの恋愛では感じなかった想いが私をやけに悩ませる。

こうして、朝早くから恋人の元を訪ねる事さえ初めてだし。


『木曜日、この部屋で待ってていい?』


甘えながら言ってる自分に、自分で照れるのも初めてだ。



    *    *    *



「じゃ、行ってくる。花緒も気をつけて。さっきも言ったけど、毎日俺の部屋に来てくれてもいいから。

で、結婚式の事、考えておいてくれ」


「うん。沖縄……楽しんできてね」


「楽しめるなんて期待してない。宣伝部からの無茶な要求に、今回だけ付き合うけど、もうこれからこんなことはないから。今回だって、宣伝部の同期がどうしってもって土下座しそうな勢いで頼み込んでこなきゃ断ってた」


ため息交じりの夏弥の声に、少しほっとする自分って本当嫌な女だと思うけど。それでもやっぱり、重い気持ちで沖縄に向かおうとする夏弥を見てると安心する。

美月 梓が夏弥を気に入って名指ししてくるくらいだから、今回のCM撮影で何もないとも思えない。

『行かないで』と言いたくても言えない私の気持ちがほんの少しだけ、夏弥のため息によって浮上する。


夏弥はマンションからタクシーに乗って空港へ向かうけれど、私は駅から電車に乗る。

マンションの下でお別れだ。小さなスーツケースとともにタクシーに乗った夏弥は、窓から顔を出して


「ちゃんと、花つけといたから。浮気はするなよ」


自分の首筋を撫でる。え?花?


「あっ」


夏弥の仕草につられて、自分の首筋に手を当てる。そして、花の意味に気づいた。

何度も同じ事をされて、絶えず首筋に視線を感じながら仕事をしている日々。

夏弥に出会ってから、そんな毎日が当たり前になりつつある幸せ。

でも、やっぱり照れくさくて仕方ない。怒ってないけど、怒ったふりもしてしまう。


「木曜にまたつけてやるから。おとなしく待ってろよ」


意地悪な瞳と、甘い声を残して、タクシーは大通りを走っていった。

その姿が小さくなって見えなくなると、ずんと重く感じる寂しさと、一緒に行けば良かったと後悔する気持ちに囚われてしまう。


しばらくその場でぼんやりと立ち尽くした後、肩で大きくため息をついて駅に向かった。


不安と不安と不安と寂しさに溢れた、長い二日間になりそうだな。



その日、寂しさに気づかないように仕事に没頭した。普段なら後輩の女の子がするような細かい雑用も引き受けて、気持ちを不安に覆われないようにガードしていた。


単純に沖縄への出張なら心配しないけれど、美月 梓の存在と、彼女との経緯を知っているから、不安をゼロにすることはできない。そうなると、仕事に気持ちを集中させてしまう。そしてお昼を食べる事も忘れてしまいそうになる。


「ほら、行くよ」


弥生ちゃんが迎えに来てくれるまで、お昼休みに突入したことすら気付かなかった。


「ちゃんと食べるもん食べて、瀬尾さんが帰ってくるのを待ってなさい。

今夜も付き合ってあげるよ。飲みでもカラオケでもなんでも来いよ。

せっかく花緒が愛する人を見つけたんだから、応援隊長に立候補。わかった?」


私のデスクの横に立って、ふふん、と笑う弥生ちゃんは、私に反論なんて絶対に許さない勢い。

その勢いに気圧されて黙り込む私の腕を引っ張って椅子から立ち上がらせて、向かいにいるシュンペーに視線を移した。キラリと光った瞳に嫌な予感。


「ほら、そこの若造も一緒におごってあげるよ。そんなしけた面してたら恋人に逃げられるに決まってるんだからね」


「ちょっと、弥生ちゃん、そんなはっきりと……」


「うーん。はっきり言っちゃだめなら、何も言えないね。シュンペーと彼女と赤ちゃんの人生かかってるのにオブラートに包む暇なんてないんだ。わかってる?」


「……わかってます。で、どうして認知すらさせてもらえないのか、もわかりました」


俯いていたシュンペーの視線が私と弥生ちゃんの間をさまよいながら、不安げに揺れている。

昨日私に相談を持ちかけてきて以来落ち込んでいる彼だけど、今日になって更に表情も硬くて笑顔も強張っている。

シュンペーは、ふっと小さく息を吐いて、言いづらそうな顔を私に向けると。


「彼女……妊娠をきっかけに小さな頃別れたお父さんに連絡をしたそうなんです」


「別れたお父さん?」


弥生ちゃんが首を傾げた。


「あ、彼女のご両親は、彼女が小学生の頃に離婚していてそれ以来滅多に会う事もなかったそうなんです。でも、やっぱり妊娠して、結婚となると……一応連絡しなきゃって思ったらしくて……でも、お父さんは……」


「ん?」


そこで黙り込んだシュンペーの顔色は悪くて、言葉にできない何かをどうにかしようと悩んでいるかのように見える。


「シュンペー?」


小さく声をかけてみると、苦笑しながら立ち上がって『ランチおごってくれるんですよね』そう呟きながらも泣きそうな顔をしてる。


「ランチを楽しむ時に話題にする内容じゃないんですけど。……彼女のお父さん、かなりの人で……。

誰もが名前を知っている有名な大臣だったんです」


「は?」


「で、地盤を継ぐ後継者を選定中らしいです。……今俺と結婚すると、可能性が低いながらも俺にも後継者候補の可能性はあるらしくて。……本当、寝耳に水ってこういう事ですよね」


眉を寄せて、顔をしかめるシュンペーはそれ以上何も言えないまま背を向けた。


私と弥生ちゃんも後を追いながら、突然聞かされた話を理解しようと必死。


「で、結局シュンペーは彼女と結婚するのか?」


ぶつぶつ言う弥生ちゃんと同じ気持ちの私だけど、私と違って両親に何も問題がない弥生ちゃんよりもシュンペーの彼女の葛藤がわかるような気がする。


親がいなくて右往左往し、悲しい思いと背負いたくもない苦労をしている私。


親がいるけれど、その親のせいで大きな悩みを抱えてるシュンペーの彼女。


真逆の状況なのに、悩みの根本は同じような気がして複雑な気持ちになる。

どこまで生きても、結局『親』というものには振り回されて、影響を受けるものなのかな。


どう答えを出していいのかわからない気持ちで唇をかみしめながら、ふと思うのは。


夏弥のご両親は、私の出生の事を知ったらどんな反応をするんだろうって事。

きっと、夏弥はその事をご両親に伝えてないはずだから。

私と会う時に、言わなければいけないのかな……。


『父親が誰だかわからない人を我が家に迎える事はできない』


悠介の両親から、そんな事をはっきりと言われた過去が私の中に蘇って気持ちが重苦しくなる。

また、あの悲しみをあじあわなければいけないのかと、逃げ出したくなる。

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