22話
しがみついて涙を流して。
好きだと何度も言いながら、夏弥の胸の鼓動を聞いていたのはどれほどの時間だったんだろう。
私の背中に回された手が優しく這う感覚に酔いながら、ずっとこのままでいられたらと願った。
婚姻届にサインを済ませた後、夏弥はそのまますぐに役所に届けに行こうとしたけれど、それはあまりにも急すぎる。
私のおばあちゃんの了解と、夏弥のご両親の了解を得ているとはいっても、私は夏弥のご両親に会った事がない。
せめて入籍前に挨拶は済ませておきたい。
夏弥を育ててくれた人たちだから、決して悪い人ではないと思うし、家族の話をする時の穏やかな夏弥の表情を見れば、その関係は温かいものだとわかる。
だから尚更会いたいと思うし、私の事を夏弥の嫁だと認めてもらってから入籍したいと思う。
夏弥にそんな私の気持ちを伝えると、渋々ながら頷いて。
『両親は昨日から、結婚して35年のお祝いで北海道に行ってる』
残念そうに呟いた。そして
『なんなら、これから北海道に顔見せに行くか?』
と真面目なんだか冗談なんだかわからない顔を見せた。そんなに早く入籍したいものなのかと笑ってしまうけれど、どこか心がじんわりと温かくなる。
とはいえ、その提案は丁重に断って、日曜日は二人でのんびりと過ごした。
日曜日、ほぼ一日口論となったのは結婚式をどうするかという事。
拒もうとする私の気持ちを遮るように、結婚式を挙げたいと言う夏弥の気持ちを複雑な気持ちで受け入れた。
私には複雑な事情があるから、結婚式に招待する親戚は少ない。その事を考えると結婚式には二の足をふんでしまう。それでも、その私の気持ちをわかったうえでの
『披露宴は派手にしよう』
という夏弥の勢いと気持ちを拒む事はできなかった。
私を身内や友人たちに披露して、幸せを見せつけたいと、整いすぎている顔で言われると、かなりときめいた。
陥落。この言葉がぴったりだ。
そして、仕事柄たくさんの人とのつながりを持つ夏弥に披露宴会場などは一任して、新居はひとまず夏弥が住んでいる部屋に私が越してくることに決まった。
いずれは夏弥の会社にお願いして家を建てるという未来まで話しながらも、あまりにも急展開を見せる幸せな状況が信じられずにいた。
* * *
週明け、夏弥の部屋から出勤した。
一晩中愛された体を重く感じながらも、体中に残る名残を優しく隠して、普段通りに出勤した。
はずだったけれど、ロッカー室で着替えを始めた途端、周囲の視線を一心に浴びてはっとした。
「今日もまた、派手につけてきたわね」
既に制服に着替えていた弥生ちゃんは、苦笑しながら私の胸元をすっと指先でたどった。
「土日、二日とも?かなり愛されてるんだねー。あんな男前にこんな独占欲の花をつけられた気持ちはどう?」
「独占欲って……」
急いで制服を着る私の周りには、弥生ちゃんの声をきっかけに何人かの女の子が集まってきた。
それまで遠慮がちに私に視線を向けていたのに、まっすぐ私の花を見ようと遠慮もなく。
「木内さんにすごく格好いい恋人ができたって、先週からすっごい噂ですよね」
「私、今朝会社の近くで素敵な男性が運転する車から降りる木内さんを見ましたー。結婚はもうすぐなんですか?」
次々と浴びせられる言葉に混乱して、あたふたしてしまう。
そうか、さっき夏弥の車で送ってもらったところを見られてたのか。
会社から少し離れたところで降ろしてもらったのに。
だからこんな騒ぎになってるんだな……。
「えっと、その……確かに、恋人なんだけど……」
小さな声でそう言った途端、
『いいなー』だの『うらやましい』だの高い声が飛び交った。
その声に圧倒されて困った私は、助けを求めるように弥生ちゃんを見ると。
私の様子を面白おかしく見ていた弥生ちゃんは、小さく肩をすくめて意味ありげに笑っていた。
「花緒の恋人ってね、花緒にべたぼれで、どうしようもなく甘い男なんだよ。
一流企業で働いてるし、今度コンパでもしてもらおうねー」
そんな煽るような弥生ちゃんの言葉に周りは大騒ぎになって、そろそろ職場に散らなきゃいけない時刻になっても騒ぎは収まらなかった。
お祭り好きな弥生ちゃんは、へへへっと嬉しそうに笑って、小さくガッツポーズをしていた。
……コンパ、ねえ……。
とりあえず、しなきゃならなそうな雰囲気に、ため息をついた。




