12話
それからすぐにタクシーをつかまえて、瀬尾さんは乗り込んだ。押し込まれるように私も乗せられて、ただただ戸惑った。
『明日土曜日だから、休みだろ?うちに来ても大丈夫だよな。外泊、できる?』
タクシーに乗り込んだ後でそんなことを言われても、もう車は瀬尾さんの自宅に向かっているのにどうしようもなかった。どうしようもないと、私が諦める事を狙っていたのかもしれないけど。
私は小さく苦笑した後、少し緊張している瀬尾さんに軽く頷くと、おばあちゃんに電話した。
嘘はだめだと小さな頃から叩き込まれているせいか、ありのままをおばあちゃんに告げた。
『瀬尾さんの部屋に泊まるかもしれない』
そこまではっきりと言う私に驚いた瀬尾さんは、私の顔をまじまじと見つめた。
『後で後悔するような事はしないようにね』
瀬尾さんと違って、私の言葉に全く動じないおばあちゃんに『わかってる』と告げて電話を切ると
私を見つめたままの瀬尾さんが固まっていた。まさか私がおばあちゃんに正直に言うとは思っていなかったようで、それがなんだかおかしかった。
『つまらない嘘をついてびくびくするほど子供じゃないんです』
普段、男性と共に過ごす時間なんて滅多にないというイメージを持っていただろう私の口からそんな言葉が飛び出して、さらに瀬尾さんは目を見開いた。
付き合った人の数は多くないけれど、それなりに経験もしている。
今更何も知らないふりで、そしておばあちゃんに嘘をついてまで瀬尾さんの部屋に行くつもりはないし、
男の人の部屋で二人きりになるという事がどういう事なのかもちゃんとわかってる。
おばあちゃんがくぎを刺したように、あとで後悔しないでいられるかはわからないけど、それでも今は瀬尾さんと一緒にいたいと思う気持ちが強い。
柏木さんから聞かされた『梓さん』という女性の存在も気になって仕方がないし。
瀬尾さんが私を婚約者だと会社の人達に言った真意も知りたいし。
さっき柏木さんに言っていた言葉の中で気になったものがあるから、それを聞きたいし。
そして何より。
私が瀬尾さんの側にいたくて仕方がない。
だから、瀬尾さんの部屋に行く。
瀬尾さんにどんどん魅かれていく自分に素直になれば、こうして瀬尾さんの部屋にまであっさりとついて行く。瀬尾さんだって驚いているに違いないくらい、疑問も口にせず。
それでも、強がる気持ちは確かにあって、気持ちはやっぱり揺れている。
このまま瀬尾さんに気持ち全てを持っていかれて、瀬尾さんの側でしか呼吸できない自分になってしまったらどうなるだろう。
私の出生の事を理由に再び捨てられて、一人ぼっちにされる未来がわかっているのに、今こうして瀬尾さんの横に立ち、これから起こる事を覚悟している私って、おかしいのかな。
今ならまだ傷つかずに済むのに。
苦しむに違いない道を自分から選ぶなんて、私って愚かなのかな。
タクシーで10分くらいの場所にある高層マンションの18階。
それが瀬尾さんの自宅だった。
『何もしないって、言い切る自信はないけど』
タクシーから降りた途端、腕を掴まれて、瀬尾さんからそう言われた。
マンションのエントランスを抜ける瀬尾さんの引き締まった顔に、隠しきれていない緊張感を見つけた時、それが私にも伝わってきて、体が熱くなって。
そして、エレベーターで二人きりになった途端抱き寄せられると、瀬尾さんの唇が私の耳元を優しく這う。
私の敏感な場所を的確に攻められる度に、漏れそうになる甘い声を必死で我慢した。
腰と後頭部をぐっとおさえられて、身動きもとれない姿勢で感じる甘さは格別だと、そう感じて泣きたくなる。
そして、出会って以来ぶつけられていた瀬尾さんからの好意と気持ちをまっすぐに伝えるようなキスによって、私は瀬尾さんにつかまってしまったと、ついに認めてしまった。
* * *
「ビールかコーヒーしかないけど、どうする?」
「じゃあ、コーヒーをお願いします。……私、手伝いましょうか?」
「いや、いい。……あ、やっぱり手伝ってもらおうか。教えておいた方が、これからも困らないしな」
瀬尾さんは、リビングのソファの背に上着をかけて、ネクタイを解きながらキッチンへ向かった。
一人暮らしには十分すぎるほどの部屋とキッチン。大して家具も並んでいないせいか、広い部屋がさらに広く見える。
4人がけのダイニングテーブルには新聞や雑誌が無造作に置かれているくらいで、全体的に殺風景なキッチン。
食器棚に収まっている食器類も少なくて、まるで生活感がない。
住宅会社の営業マンという職業柄、住居についてはこだわりがあるのかと思っていたけれど、意外なほどに寂しい部屋に驚いた。
「コーヒーメーカーの使い方はわかるか?粉は冷蔵庫でにあるから適当に使って。
カップはそこ。ミルクと砂糖はいる?」
淡々と説明をする瀬尾さんに、首を横に振ると
「俺もブラックだから、ちょうどいいな」
小さく笑ってくれた。
「じゃ、私コーヒー用意しますから、着替えてください。スーツ皺になりますよ」
「ああ、頼むよ。花緒はどうする?着替えとか、もちろんないよな」
「はい、ないですけど……。私、今晩……」
この部屋に泊まる事になるのか。と、聞いていいものかと悩んで言葉を濁してしまう。
いい大人なんだから、夜中に男の一人暮らしの部屋に入った瞬間から、一晩を一緒に過ごすことを了解したと、思われても仕方ないんだけど。
確かに覚悟はしてるんだけど。
「無理強いはしたくないけど、俺は、花緒を抱きたい」
「抱きたいって……」
そんなはっきりと答えがかえってくるとは予想外で、俯きがちだった私の視線も思わず瀬尾さんにまっすぐ向いた。
黒目がちな意思の強い瀬尾さんの瞳が、揺れる事なく私を見つめている。
体一つ分離れた距離で立つ私達だけど、お互いの体温を感じられるくらいに密な空気に包まれている気がする。
「強引に花緒の気持ちを引き寄せようとしてるのはわかってる。花緒が戸惑ってるのも、不安を消せないことも知ってる。
それでも、もう限界なんだ。俺は花緒が欲しくて欲しくてたまらない」
「瀬尾さん……」
瀬尾さんは、熱い言葉とともに私に一歩近づくと、そっと私を抱きよせた。
首筋にかかる吐息が私の体中を震えさせて、一気に鼓動が跳ねる。
かすめるような唇の動きを鎖骨に感じているうちに、足元に力が入らなくなって、思わず瀬尾さんの背中に腕を回した。
最初はこわごわと、弱弱しい力で背中をたどっていたけれど、そんな私の様子を合図に、瀬尾さんの力が強くなっって。
「花緒……いい加減、俺のものになってくれ」
ぎゅっと抱きしめられて、耳に落とされる甘い言葉。
私を引き付けてやまない言葉が私の心に染み入って、私の全てがどんどん瀬尾さんに取り込まれていくように感じる。
私の唇に重ねられた瀬尾さんの唇の温かさと、背中を撫でてくれる指先の心地よさに酔いながら。
『やっぱり、今日は帰れない』
そう思った。
そして、その甘やかな時間に囚われて、瀬尾さんに夢中になりながらも、どこかに違和感も覚えていた。
瀬尾さんが零す言葉の中にある、何故か気になるニュアンス。
瀬尾さんは、一体、私の事をどこまで知っているんだろう……。
「花緒、ほかの事考えるな。今は俺の事だけを考えろ」
気持ちがよそ見している私に、額と額をくっつけて、睨みつけるような瀬尾さんの瞳。
「俺だけが、花緒にやられてるなんて、むかつく」
悔しげにそう言い捨てると、後頭部をぐっと抑え込まれて。
深く激しいキスが始まった。何度も何度も角度を変えて、舌を差し入れる強引さに朦朧としながらも、それが心地よくて嬉しくて。
気付けば、私からも瀬尾さんに負けないくらいの深いキスを返していた。




