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11話



瀬尾さんが私を家まで送ってくれるという、予想外の展開が、私の心を浮足立たせる。

そんな甘い感情が、私の中にまだ残っているんだと気づくと、少し切なくなる。

甘い感情の向こうにある切ない未来を予想してしまって、自然と気持ちを引き締めてしまう。


瀬尾さんの部下のみんなはカラオケに行くらしく、何故かそのメンバーの中には弥生ちゃんも入っていた。いつの間にみんなと仲良くなったのか、違和感もなく楽しそうに紛れこんでいた。


『私がダメだと判断したら、即花緒との付き合いはストップさせますから。

……花緒を泣かせたら、瀬尾さんの会社に乗り込んで水ぶっかけますからね』


お店を出る間際の捨て台詞。笑顔の弥生ちゃんだったけど、目は笑っていなかった。

低い声にはそれが本気だと知らしめるに十分な迫力があって、私の方がおろおろした。

逆に、弥生ちゃんに睨まれている瀬尾さんは落ち着いて頷くだけ。

口元には穏やかな笑みも浮かんでいて、弥生ちゃんの言葉に動揺する事もなく、私の肩を抱いたまま小さく頷いて。


『花緒が泣くことは、二度とない』


ゆっくりと、まるで私に言い聞かせるような声が、私の体温を一気に上げた。

瀬尾さんの言葉にとろけそうで、足元にも力が入らなかった。


そして、弥生を含むメンバー達と別れて。


気付けば黄色い彼女だけが、どんよりとした雰囲気をまとって立ち尽くしていた。

その目は瀬尾さんに向けられていて、彼女の瞳に力はなかった。

あの勢いある強気な言葉を投げつけてきた人とは別人のように思える。

ついさっき、瀬尾さんへの思いを本人にぶつけて、そして拒まれてしまった彼女の心は沈みきっていた。


私に向けていた敵意や反発、そして嫉妬。

私に対する重くて暗い感情全て、私への強い視線の中に込めていた彼女だけれど、今はただ俯いて憔悴しているようにしか見えない。


「柏木、タクシーつかまえるから気を付けて帰れよ」


あ、この女の子は『柏木』っていうんだな。黄色いスーツをまとって、かなり高さのあるヒールを履いて、会社ではかなりの人気だろうと予想できる美人。

落ち込んでる今の姿でさえ、すれ違う人の視線を集めているし、魅力的な人だと思う。

社内だけでなく、男性から求められることは多々あるだろうってわかる。


そんな魅力的な女性は、瀬尾さんの会社にはたくさんいるのかもしれない。

部下の人達の言葉からも、瀬尾さんの人気の高さを知るのは簡単だったし、何より今目の前の美女が、瀬尾さんに思い焦がれている。女の人なんて、瀬尾さんにとってはよりどりみどりなんだろうな。

それに、『梓さん』という女性の存在を知らされると、


『あー、やっぱり』


そう思えてきて仕方ない。

私に落としてくれる優しさや、誤解させられそうな甘い言葉の数々。

そして、まるで長く恋人として過ごしていたんじゃないかと錯覚しそうになるキス。

深く熱いキスと、瀬尾さんの体温に包まれる時間に、私の気持ちはぐっと引き寄せられそうになる。


大通りでタクシーを捕まえようとしている瀬尾さんの横顔に、ときめく気持ちは否定できないけれど、それでもやっぱり。


瀬尾さんの胸には飛び込めない。


周りがどれほどの優しさを私に与えてくれても、私が背負っている現実が変わるわけではないし、この先誰とも生涯を寄り添えないという事は、嫌というほど実感している。

今はまだ、私の事をよく知らないから、瀬尾さんだって私に興味を持って近い距離にいてくれるけれど、もしも私が私生児だと、そして父親が誰かも知らないとわかれば。


すぐに私から離れていくに違いない。

悠介と同じとは思わないけれど、たどり着く結論で悲しむのは私一人であることには違いない。

女の人に不自由していないだろう瀬尾さんが、その中から敢えて私を選ぶことはないと、苦笑しつつ受け入れた。


俯いて、地面の模様をぼんやりと見ていると、柏木さんと呼ばれた女の子が口を開いた。


「……あなたなんて、すぐに飽きられます」


「は?」


低い声は、微妙に強さがよみがえっていて、私を睨む視線にも意地の悪さのようなものが帰ってきていた。柏木さんは口元を歪めながら、小さく息を吐くと。


「今まで課長が付き合ってきた女性はみんな、自分にも仕事にも自信があって、ちゃんとまっすぐに立って生きてる人ばかりでした。

あなたは課長の気まぐれに振り回されてるだけで、自分の意思も何も見せていない。

課長の事を好きなのかどうなのかもよくわからない。

婚約者だと言われた時も不安げに首を傾げていたし、決してそれを喜んでいなかった。

……違いますか?」


きっと、必死なんだろう。

瀬尾さんに気持ちを拒まれた上に、婚約者だと私を紹介されたんだから、震えながらでも思いを口にせずにはいられないんだろうと、胸が痛む。

その痛みは決して彼女への同情や気遣いからくるものではなくて、私の気持ちの曖昧さを見透かされた切なさからくるもの。曖昧で不確実な自分の気持ちがそこまで露わに出ていたことへのショックもある。

何をどう答えていいのか、頭は混乱して、いろいろな言葉が浮かんでは消えていく。


じっと黙り込んでいる私に呆れたような柏木さんは、言葉を続けた。


「私は……課長が好きです。私の気持ちは受け入れてもらえなかったけど、だからと言ってあなたが課長にふさわしいとも思えない。課長を大切にしてくれるとも感じられないし、あなただって課長の隣にいても幸せな顔はしていない。

……梓さんのような、見た目も地位も、課長への気持ちも、一流の女性しか、課長と一緒に幸せにはなれない」


「……梓さん……」


「そうです、課長と一緒にいていいのは梓さんのような」


「柏木っ、的外れなことばかり言うなよ。俺の側にいて欲しい女は俺が決める。

少なくともあの女じゃない。俺が結婚して側にいたいのは花緒だ」


いつの間にか戻ってきた瀬尾さんが、怒りを隠そうともしない表情で柏木さんに大声をあげている。

眉を寄せて肩を震わせている姿からは、本気の気持ちが見えて、私の事を守ってくれていると、感じた。


「花緒がどう思っていようが、俺が花緒と結婚したいと思ってるんだ、彼女を不安にさせるような事は言わないでくれ」


静かな怒気を含んだ声でそう告げた後、瀬尾さんは私の肩を引き寄せた。


「さっき、一流の女しか俺の隣には合わないって言ってたから答えるけど、花緒は、一流の女だ。

自分の運命を受け入れて、一生懸命生きている、そんな一流の女だ。


……タクシーが待ってるから、一人で帰ってくれ。お疲れ様」


瀬尾さんが止めたタクシーが、後部座席のドアを開けたまま待っている。


「柏木には柏木の思いがあるのはわかるけど、俺の幸せは俺が決める。

……だから今晩の事は今晩限りで忘れろ。


新商品の企画会議、プレゼンの準備もあるから頑張ってくれよ。

柏木だって一流の仕事をする一流の女だ。自信を持ってやってくれ。期待してる」


それまでの重苦しい空気を変えるように、笑顔でそう告げた瀬尾さん。

その笑顔は頼りになる上司そのもので、柏木さんへの信頼と付き合いの深さが見える。


「課長……」


柏木さんは、まだ何か言い足りないように口を開いたけれど、それでも何も言わず、ようやく、一生懸命に笑顔を作った。


「プレゼンに通ったら、今日のメンバーみんなに、回らないお寿司ごちそうしてくださいね」


「ああ、期待してるから、頑張れ」


ふふふっと、小さく笑った柏木さんは、気持ちを切り替えるように背を伸ばした。


「じゃ、失礼します」


軽く頭を下げると、タクシーへと歩みを向けた。

悲しい気持ちを瞳に浮かべながら、私の横を通り過ぎる瞬間、ちらりとその視線が私に向けられた。


『ごめんなさい』


そう言われたような気がしたのは、私の勘違いなのかもしれないけれど、柏木さんから感じられた敵意が少し和らいでいたのは確かで。

その背中はとても寂しそうだった。


そのあとしばらく、タクシーが大通りの向こうへ走り去るのを見ていると、肩に置かれた瀬尾さんの手に力が入った。


「行くぞ」


私を抱いたまま歩き出す瀬尾さんに引きずられるように私もついていく。

心もとない足元を気にしながら瀬尾さんを見ると、その表情は硬くて、どんな気持ちも読み取れなかった。












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