第12話「逃走の痕跡」
ふかふかのベッド、適切な室温、そして隣で丸くなって寝息を立てる銀色の相棒。
宿屋「月光の宿」での生活は、ノアにとって人生で最も「マシな」時間だった。
しかし、その静寂を切り裂くように、部屋のドアが激しく叩かれる。
「ノア! 起きてる!? 大変なの、ちょっと来て!」
窓から通りを見下ろしたノアは、一瞬で眠気が吹き飛んだ。
そこには、白銀の装甲に身を包んだ、見覚えのある紋章を掲げる騎士団が数騎、馬を並べていた。
「(帝国の……精鋭調査班。あいつら、もうここまで来たのか)」
魔法を持たない「無能な王子」の死の痕跡を確定させ、もし生きて潜伏しているならその証拠を掴むために派遣された猟犬たちだ。
ノアの神経が、嫌な音を立てて逆立つ。彼らに見つかれば、安眠生活は終了する。
「……リィン、悪いが、今日の依頼はキャンセルだ。俺は少し、用事を思い出した」
「えっ!? ちょっと、ノア! どこ行くのよ!」
呼び止める声を背に、ノアはフードを深く被り、宿の裏口から外へ出た。
ぷーちゃんが不安そうに、ノアの耳元で小さく鳴く。
「……大丈夫だ、ぷーちゃん。……逃げるだけだ」
ノアは町を抜け、険しい森の中へと迷い込んだ。しかし、帝国の猟犬たちは、魔力の微細な痕跡を追跡する専門家だ。ノアがどれだけ隠れても、彼らは着実に距離を詰めてくる。
日が落ち、辺りが闇に包まれた頃。
森の最深部、魔獣が徘徊する危険地帯で、ノアは行き止まりの崖に追い詰められた。
「……チッ。めんどくさい」
追い詰められた状況と、四六時中神経を焼き続ける魔力の暴走。
そのストレスが限界を超えた時、ノアの無意識が能力を暴発させた。
「——【無自覚の概念領域・静寂の檻】」
ノアの意識が暗転する。
翌朝、彼が目を覚ました時、そこには一人として騎士の姿はなく、ただの静寂だけが残っていた。ノアはふらふらと、何が起きたか分からぬまま、ぷーちゃんと共に町へと戻った。
数日後。駆けつけた別の調査班がその場所を発見した。
そこには、騎士たちの死体はなく、ただ鎧の一部と、SSSランク級の魔獣の爪痕だけが残されていた。
「……第9王子の痕跡は消滅。……調査員たちは、最果ての森の主に襲われ、全滅した模様」
彼らはその場を立ち去った。
帝国は、ノアがまだ生きているなどとは、夢にも思わずに。




