2004年度
東京に異動して1年半が経った2004年11月になっても、僕の仕事は相変わらずだった。この頃、定期昇給はかろうじてあるものの、給料のベースアップなどというものは全くなく、基本給が毎年5000円かそこら上がる以外には大した変化もない。ボーナスも形ばかりで、よほどの業績を上げない限りは、1年で3か月分かそこらという状況が続いていた。
とはいえ、私生活は明るかった。
晴れて結婚することになり、半年かけて準備してきた結婚式や、新婚旅行、新居への引っ越しなどで、この年はとにかく出費が嵩んだ。身の丈に合わない出費だったという自覚はある。ただ、これはこの年だけの完全な臨時支出だから、来年以降はこうはならないだろうし、差し当たりは安定した会社で共働きなので、心配はない。安心ということの重みを感じるとともに、共働きでなく1人で一家の大黒柱をする心理的負担はいかばかりか、とも思った。
この頃になると、今後の人生設計に関する夫婦の話し合いはより精度の高いものになっていた。まず、僕はFP資格のある妻についていくという意味も込みで、受験こそしなかったもののFP3級のテキストを勉強していた。そして、それ以外の合間にも、『敗者のゲーム』や『ウォール街のランダムウォーカー』といった、歴史的名著といわれるものを読んで、視野を広げることに務めた。
この頃の日本の問題点として、海外の各種インデックスに連動する投資信託を、手軽に低コストで購入することが難しいということがあることも、分かってきた。
そしてこのとき、将来の投資方針について大きな決定をした。当面の間は、月額3万円を、TOPIXのETFと先進国株式の投資信託に均等に振り分けて積み立てていく。もしもこの積み立てた資産が元本割れしたら、迷わず投資金額を大幅に積み増す。その額は最大で、月額10万円まで。どのライフステージでその瞬間が来ても大丈夫なように、共働きの余力を余暇に使いすぎず、貯蓄の地盤を固めておくこと。会議のように整理された紙に書き出してみると、妙に心が引き締まったのを覚えている。
貯蓄の在り方についても、夫婦で随分と話し合った。子どもが2人ほしい、というところからはじまり、妊娠出産、そして育児休業中の収入の減少や、子が保育園に入った後も一定期間の時短勤務、そして残業の制限といったことまで考慮した場合に、資金繰りがどのようになるか、エクセルで色々とシミュレーションしてみた。何歳差で子が生まれるかにもよるものの、年子は育児が大変そうだし、差し当たり3歳差か4歳差であれば、最大限の所得減少を見込んでも赤字転落は避けられる見通しが立った。
プロポーズのときの僕は、1万円の積み立てでさえ、結婚後の強制的な貯蓄だと思っていた。でも、教科書や名著を読んで知識を増やしていたこのときは、もう違っていた。家族を共に支えて生きていく。そのために必要なことが何かを、現実の数字と向き合いながら少しずつ掴みはじめた。気づけば、それがこの1年の、いちばんの収穫になっていた。
【家計と資産の概要】2005年3月
年度末の時点での家計と資産の状況です。
収入の部
夫
月収:32万円(残業込み)
手取:26万円
年収:500万円
妻
月収:31万円(残業込み)
手取:25万円
年収:480万円
貯金の部
貯金:180万円
資産の部
株式
36万円
投資信託
日本株式:31万円(△4万円)
世界株式:6万円(△0)
投信合計:37万円(△4万円)
積立状況
TOPIX連動:毎月1万5000円
先進国株式投信:毎月1万5000円
累積積立投資額:33万円
※2005年以降、貯金額・資産額は夫婦合算額です。
※投資信託は年度末の時価を表示し、括弧内で損益を表示します。△が含み益、▲が含み損です。
【コラム】積立投資の効能と投資額
物語では、主人公が投資信託を積み立てていく投資方針を立てました。なぜでしょうか。
積立投資が有利だからだ、と言い切れればよいのですが、これは必ずしもそうではないようです。たしかに、株価の底を確実に読み切って、そこで大きな金額を一度に投入すれば、それが一番効率の良い投資になります。ただ問題は、どこが株価の底なのかは誰にも分からないということです。
そして、若い夫婦にはもう1つ、もっと大きくて現実的な問題があります。それは、この時点ではそこまで大きな蓄えはないということです。しかも、物語の中では、結婚関連の出費でまとまった資金は一次的に乏しくなっており、一括投資は現実的ではありません。
というわけで、共働きの2馬力をいかしつつ、貯蓄を増やしながら、積立投資も行っていくという戦略を、物語の主人公はとりました。ただ、この主人公のとった戦略が面白いのは、単に積み立てていくだけではなくて、積み立てた資産がマイナスになったら、投資額を通常の3万円から、最大で10万円にまで増やす、という決まりを組み込んだことです。これは、どのような意味があるのでしょうか。
少し数字を出して説明をしてみましょう。ある投資信託が、1口100円だったとします。このときに1万円を出してこの投資信託を買うと、100口買えます。この投資信託が値上がりして1口200円になったとき、同じように1万円分買うと、買えるのは50口です。逆に、値下がりして1口50円になっているときに同じ1万円分を買うと、買えるのは200口です。同じ金額を出して買うわけですから、相場が安いときほどたくさん買えるわけです。
ここに、積立てた資産がマイナスになるような状況、つまりそれまでに購入してきた平均値よりも安くなったことをシグナルにして購入額を増やす、という戦略を取り入れると、相場が安いときにさらにたくさん購入することができる、ということになります。物語の主人公は、色々勉強した結果、単なる積み立てではなく、少しアグレッシブな投資戦略を採用したといえるでしょう。
ただし、この戦略には2つの注意点があります。1つは、評価損が出るような下げ相場の時に、従来よりも多くの金額を投じることができるだけの貯蓄や、収入といった原資があるということ。もう1つは、そのような状況で、臆せず投資額を増やすという決断ができることです。
物語の主人公の場合、結婚当初は積立投資を無理のないペースで行いつつ、貯蓄を増やすことをイメージしていますから、原資の方は、下げ相場の深さと長さ次第ではあるものの、何とかなりそうです。問題は、臆せず投資額を増やす胆力でしょう。ここは、そのような場面に至ったときに、やっぱりやめよう、と思ってしまう心の弱さとの戦いになります。そして、そのような場面での検討の結果、やっぱり増額をやめて普通の積立てを続けるということでも、いいのだと思います。
ただ大事なのは、事前にそういう方針を立てないままで下落相場に立ち向かうと、実際にそこで買い増しをできる心の強い人は、とても少ないということです。これが、実際に予め立てられた計画があって、そのとおり執行するだけであるということになると、ハードルは何段階も下がります。その下がったハードルですら心理的に厳しいということがあれば、それはそのとき考えればいいことです。とにかくルールに沿って、機械的に、目の前の感情になるべく流されないようにする。それが、長期にわたる資産形成の道では、とても大切です。
誰もが知っているリーマンショックのとき、この夫婦はどういう決断をし、その結果がどうなるのか。物語を追っていくことにしましょう。
この物語はフィクションです。歴史的な事実として、固有名詞で触れられる企業もありますし、株価や指数などは現実の数字に即していますが、それらはいずれも、あくまで実在の企業等をモデルとして再構築したものに過ぎず、記載された内容が真実であることは保証しません。
物語内(コラムを含みます。以下同じ。)で紹介する銘柄や投資手法について推奨したり勧誘したりするものでないことはもちろん、投資そのものについて推奨する意図はありませんし、投資の結果を保証するものでもありません。投資判断はあくまでも各自の自己責任でお願いします。
この物語では、法律や税金の制度を紹介している部分があります。可能な限り正確を期しましたが、その正確性を保証することはできません。また、近年は制度改正のテンポが速いので、早晩、ここに書かれている法律や税制は、現実に適合しなくなることが見込まれます。そうした点を除いても、具体的な状況に対する法律や税制の適用について、筆者はその責任を負いません。その種の判断はあくまでも各自の自己責任で、そして、ご自身で判断が難しい問題については、弁護士や税理士、FPといった専門家への相談を強くお勧めします。




