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2000年度

 社会人2年目を無事に終え、地方に赴任するときが来た。1月前に言われた行先は、福岡だった。


 会社の寮を出て、いよいよ自分でアパートを借り、生活を自立させる。2年間の寮生活で、新生活をスタートアップさせる程度の手元資金は用意できていた。大人としていよいよ滑走路から離陸する、そんな高揚感をもって福岡行きの飛行機に乗る。


 そう考えてみると、2年間寮生活が可能な新米期間があって、その後地方勤務、という勤務制度の会社に就職できたのは、とても運のよいことだった。無理なく生活を作り上げていくという福利厚生的な意味で、結構よくできた仕組みだったと思う。リストラだ何だといいつつ、この頃までは、会社がこういう部分の面倒を見ていた面が、まだあったのだ。しかし、この後の数年、さらに氷河期は深まり、会社の寮自体が売却されたり、異動ローテーションも変わったりと、こうした古い時代の遺産はどんどん削られていくことになる。


 さて、ともあれ無事福岡に着任すると、夏頃までは色々と慣れるのに苦労したものの、その後の生活は、結構楽しかった。何しろ福岡というところは、街としてもほどよく大きくて、歓楽街も発達していて遊ぶところにも困らない。色々面白いイベントもある。物価も東京と比べて大幅に安く、地場の食材も美味しい。


 そんなこんなで、仕事に遊びにと忙しくしていたら、あっという間に1年が過ぎていく。この時期、不景気は一時的に落ち着いたかに見えた。でもそれは、社会が客観的にそうだったというよりは、仕事にも慣れてきて、就職活動以来のただただ追われる日々から、周りを見る余裕が少しできてきた。少ないながらボーナスも出て、引っ越し後の生活のセットアップが一段落すると、わずかばかりの貯金もできてきた。


 しかし、客観的に社会を見渡せば、やはり押しなべて不景気である。前の年に希望の息吹を感じさせてくれたIT関連は、2000年3月にNASDAQが5000超えになったのを最後に、値崩れが続いた。インターネットバブルの崩壊である。初夏から夏にかけては少し持ち直したものの、その後はまた、下げ調子になった。


 伝統的な企業が次々と経営破綻していった1997年から1998年に比べれば随分マシではある。けれど、その派手な企業破綻のイメージが鮮烈だっただけに、生き残った企業はリストラに余念がなく、新規の採用もより絞られて、超氷河期とよばれた。仕事に遊びにと浮かれた気分で帰宅しても、23時にWBSを付けると、圧倒的に暗い話題の方が多い。そんな経済ニュースを見ながら、さて、このまま仕事をしているだけで本当に人生大丈夫なのだろうか、という疑問が、むくむくと湧きあがってきた。


 じゃぁどうすればいいのか、特にアイデアがあるわけではなかった。そんな週末にふと立ち寄った本屋の一角、株式投資に関する本が山積みになっていた。何を考えるでもなく手に取ったその本は、株式投資による資産形成を説いていた。のちに政策金利と名前を変える公定歩合が0パーセント台で、銀行に預金をしてもATMの手数料にもならないと言われていたこの頃、銀行にお金を積んでいても、あまり有難みはなかった。


 何の気なしに手に取ったこの本は、ピーター・リンチの『株で勝つ』。もとは1990年頃の本だったようだが、加筆された新版の日本語訳が、2001年3月に発売された。それが山積みになっていた書店にたまたま入ったというわけで、何とも偶然の、しかし劇的な出会いだった。そこで説かれている有名な原則。それが、良く知っている業界や、日頃利用している商品の会社に投資する、というものだった。


 なるほどと思った。インターネットバブルは、結局のところ、インターネットのことをよく知らず、そこでのサービスを実際に使ったことがあるわけでもないのに、何となく乗っかって投資する人たちが多かったということなのだろう。そういうストーリーを追うのではなく、もっと地に足の着いた、身近でよく知っている業界がよいのだろう。では、それはどういう業界か。


 そこで思い当たったのは、旅行関連だった。学生時代から旅行が好きで、国内も海外も、ぱっと準備をすればどこでも気楽に行ける程度には、旅慣れていた。しかも福岡に異動になったので、実家のある東京や、親戚の多い大阪に、2か月に1回程度の割合で通っていた。また、仕事柄それなりに出張もあり、何人かの先輩は、全日空の上級会員のSFCメンバーだった。日頃利用しているとなると、福岡に住んでいるので西鉄だけど、ちょっとローカルだし、株主優待券の魅力もあって、全日空に決めた。


 そして、日本初のネット証券と呼び声の高かった松井証券に口座を開設して入金。いよいよ最初の注文を出した。この時の全日空は、額面50円、単位株1000株。1株あたりの株価は415円だったので、1000株で41万5000円。結構思い切った額を投じて、これが、私の投資家人生の始まりとなった。


 今思えば、この選択はかなり無茶苦茶だ。たしかに旅行という趣味と紐づいた銘柄ではあるし、株主優待という実利もある。だけど、会社の財務状況をきちんと検討したわけでもなければ、その後の事業計画や業界リスクなどを把握していたわけでもない。ただ、よく使っている大きな会社、それだけだ。


 そんな無茶苦茶な選択だから、結局、全日空の株式が、購入金額を上回った時期は、その後わずかな期間に過ぎなかった。そこだけ見れば、勝つことはできなかったし、明らかな失敗投資だった。ただ、このとき証券口座を開設し、株式を購入してみるという一歩を踏み出したことが、後の人生を大きく左右する。それこそ、社会と経済の浮き沈みを、ともに体感していく窓として。そういう広い世界へ出港し、あるいは離陸していく最初の銘柄としては、ある意味象徴的だったのかもしれない。そして今も、この時購入した全日空株を、僕は保有し続けている。多くのほろ苦さと感謝が詰まった、記念品のような銘柄として。



【家計と資産の概要】2001年3月

 年度末の時点での家計と資産の状況です。


 収入の部

  月収:28万円(残業込み)

  手取:22万円

  年収:420万円


 貯金の部

  貯金:50万円


 資産の部

株式

 41万円



【コラム】人事異動

 会社員として働くうえで避けて通れないのが、人事異動、つまり転勤です。物語では東京から福岡への遠距離の異動でしたが、同じ本社内や支店内でも、別の部署に異動する場合は全て人事異動といいます。


 さて、この人事異動、拒否することはできるのでしょうか。


 結論からいうと、実際に出てしまった人事異動や転勤の命令を拒否するとなると、そのハードルは非常に高いです。下手をすると、業務命令違反で解雇されてしまうリスクさえあります。


 実際の問題としては、引っ越しを伴うような異動は物理的に大変ですし、家族がいればかなりの負担になります。介護をしなければいけない両親を残して遠隔地に行くのは難しいとか、高校生の子がいるから単身赴任するしかないといったこともあります。それでも、雇用契約上、会社が異動を命じることができるとなっていれば、よほどのことがない限り、その人事異動の命令は有効ですし、そもそもその有効性を争う方法は裁判しかないので、会社と裁判をするのか、という話になってしまいます。実際、転勤命令の有効性を裁判で争うケースはありますが、会社側の裁量が広く認められているのが現実です。


 実はこうした場面で、入社時に交わす雇用契約書が効いてきます。転勤可能かどうかが、あらかじめ明記されている場合も少なくありません。就職の時に、こんなことまで考えて雇用契約書にサインするかどうかを判断する人はいないでしょう。まして、この物語で主人公が就職した時期は就職氷河期です。どんな条件でも、とにかく就職がしたいという時代ですから、そんな細かい条件は関係なく、契約書にサインしたというのが大多数だったと思います。


 しかし、時代は変わってきました。会社が有無を言わさず引越を伴う異動を命じると、現実にはどうなるでしょう。納得のいかない社員は、辞職するかもしれません。その社員が優秀であればあるほど、それは会社にとって損失です。また、そもそも全国に支店や工場があるような、要するに全国異動がありそうな会社は、いまどきの若者が就職活動をする場合には敬遠されたりします。


 そこで、今どきの全国企業は、地域限定社員の制度を設けていたり、入社時にそもそも転勤がないことを条件として明示していたり、そこまでしないにしても、転勤を含む異動についてかなり丁寧に上司の面談を設定していたりと、いろいろな工夫をしています。逆にいえば、就職しようとする人も、転勤は絶対嫌だというようなことがあるのなら、地域限定社員に応募するとか、そこまででなくても時期に配慮してほしいという事情があるなら、きちんと上司との面談で伝えるとか、そうしたことが大事になってきています。


 ただ、現実の職業人生は長いです。22歳で就職して65歳定年と考えると、実に43年間もあります。最初は独身でも、その途中で結婚し、子をもうけ、子が独立し、といった具合で、様々なライフステージがあります。独身時代は、遠距離の転勤も、むしろ知らない土地で遊べる良い機会だったりもします。でも、結婚して共働きという状態になると、転勤は非常な重しになります。その全てを、入社の時点で見通すことは、普通は無理です。


 就職というのは、そういう非常に長いスパンの人生をどうするかという決断になります。でも、多くの場合、就職の時点ではそれを主要な考慮要素にはしませんし、また、経済状況によっては、それを考慮すること自体ができません。でも、実際に会社から人事権を発動されてしまうと、多くの場合どうにもなりません。人事異動は、会社員人生の中で何度も起こる節目です。だからこそ、いざという時に慌てないよう、日ごろから自分の希望や事情をきちんと上司に伝えられる関係を作っておくこと。それが、社会人としての大切な備えではないでしょうか。

 この物語はフィクションです。歴史的な事実として、固有名詞で触れられる企業もありますし、株価や指数などは現実の数字に即していますが、それらはいずれも、あくまで実在の企業等をモデルとして再構築したものに過ぎず、記載された内容が真実であることは保証しません。


 物語内(コラムを含みます。以下同じ。)で紹介する銘柄や投資手法について推奨したり勧誘したりするものでないことはもちろん、投資そのものについて推奨する意図はありませんし、投資の結果を保証するものでもありません。投資判断はあくまでも各自の自己責任でお願いします。


 この物語では、法律や税金の制度を紹介している部分があります。可能な限り正確を期しましたが、その正確性を保証することはできません。また、近年は制度改正のテンポが速いので、早晩、ここに書かれている法律や税制は、現実に適合しなくなることが見込まれます。そうした点を除いても、具体的な状況に対する法律や税制の適用について、筆者はその責任を負いません。その種の判断はあくまでも各自の自己責任で、そして、ご自身で判断が難しい問題については、弁護士や税理士、FPといった専門家への相談を強くお勧めします。

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