侵食の始まり
――直樹がロレルを部屋に招いた翌日。
「んで? お前の本名は? 家はどこだ? てかなんで飯食っても帰らないでウチを宿代わりにしてんの? ガチで俺のこと犯罪者にする気か?」
傷だらけで凹んだステンレスキッチン。安物のカーペットが敷かれた古いフローリングのリビングで、彼はビーズクッションを枕にしたロレルに疑問をぶん投げた。
というのも、昨日はつい彼女を部屋に招き、冷凍炒飯と賞味期限ギリギリの納豆を与えた直樹だが、空腹を満たしたロレルはそのまま風呂を借り、かつ直樹のベッドを独占して眠ってしまった。
明らかにサイズの大きい彼のワイシャツを着て無防備に眠るロレルの姿に、直樹は年頃の性衝動を必死に抑え、リビングに一度も使ったことのない来客用の布団を出して一晩乗り越えたのである。
そして普通なら頭が上がらないほどの恩を受けたロレルは――。
「ふふふ、質問は一つずつにしろ直樹。だが宿の恩もある。順番に答えてやろう」
初めてのビーズクッションを堪能すると、なぜかこの部屋の主のようにちゃぶ台を挟んだ直樹に胸を張った。
(んだこのガキ、どういう教育受けてきたんだ? ……にしても、これが噂の彼シャツか……ヤベぇな)
白くスベスベな太ももをガン見しながら、直樹は呆れまくっていた。
「その前にそのお姫様キャラみたいな口調やめろ。普通にイタイタしい」
「私のアイデンティティを全否定だと⁉︎」
「ついでにいつまで角と翼のコスプレ続けるつもりだ? てか俺のシャツ貫通してね? どうなってんだその翼コス?」
「スルーしたうえでさらに質問を増やすな! こういうのは気にしたら負けだぞ⁉︎」
初手から畳み掛けるような質問ラッシュに、ロレルが早速混乱してメタ発言を返す。直樹は「ふーん、まあ弁償してもらえばいいや。とりま自己紹介頼むわ」と、冷静に返した。
「ぐぬ……ま、まあいい、お前の無礼な態度には目を瞑ってやろう」
ロレルも自分が世話になったことを理解していた。だからこそ、生まれて初めてズケズケと疑問を投げてくる直樹に、渋々ながら自己紹介を始めた。
「私は魔王ラリルの娘ロレル・リラ。昨日まで魔王城で暮らしていたが、恐らく何者かに召喚されたいたいけな美少女だ。ちなみにこの角と翼は私の体の一部だぞ?」
翼をピコピコ動かしながら自慢げに語る彼女。ツッコミどころはたくさんあるが、とりあえず直樹はその先を促した。
「ラ行を逆さ読みしただけのネーミングセンスはこの際置いとく。何のアニメのコスプレかもまあいいや。んで、いつ出てくんだ?」
「こ、こいつの血は何色だ……絶対私の話信じてないだろ……」
もちろん信じるはずがない。直樹からしたら彼女はリスクの塊。昨日は情に流されたが、自分が犯罪者として捕まるリスクを抱え続けるわけにはいかない。
「いつまでそのキャラになりきってんだ。お前の母さ……じゃなくて、父さんだって心配してるだろ? 帰る手段がないなら連絡して迎えに来てもらえって」
「……なりきりじゃないし帰りたくない……連絡もする手段はない」
「あー、コスプレ家出娘か。けど匿うのは無理だ。お前――ロレルは何歳だ?」
直樹なりに情報を更新。キャラ付けに関してはスルーし、彼女の情報から解決策のヒントを得ようと決めた。ついでに昨日踏んだ地雷も華麗に回避した。
「……百三十歳」
「……十倍のサバ読みは前代未聞だぞ」
もちろんロレルは何一つ嘘を付いていない。むしろ素直すぎるほど正直に答えている。
(まいったなこりゃ、完全にお手上げだ。――こんな時は……)
しかし直樹にしたら、アニメキャラになりきったイタイ少女の戯言。そこで彼は最終手段に答えを求めることにした。
「アイ、聞きたいことがある」
ちゃぶ台に置いていたスマホをタップ。孤独な彼の相棒であり、唯一の話し相手『トークAIアイ』を起動した。
『はい、なんのご用でしょうか?』
ボイスチャットが流暢に喋る。するとロレルはビクッと反応し、すぐにパァッと明るい表情になった。
「し、召喚術だと⁉︎ 直樹、お前人間なのにそんな能力があるのか⁉︎ すごい、すごいぞ!」
「はいはい、ちょっと静かにしてろ。――アイ、かくかくしかじかなんだけど、どうしたらいい?」
「かくかくしかじか? なんの呪文だ?」
「いやそこはスルーしろよメタロリ! こういうのは気にしたら負けってお前も言ってただろ⁉︎」
「……え、なんかごめん」
騒がしいやりとりを交わす二人を気にせず、アイが答える。
『なるほど、それは面白いですね! 私からアドバイスをさせていただきます! まず貴方の懸念している逮捕される可能性ですが、彼女自身、または保護者からの被害届か捜索願いが出されていない場合に限り、逮捕される可能性は低いでしょう。仮に警察に事情聴取された場合でも、彼女が自身の判断で貴方と寝食を共にしていると証言すれば、民事不介入が適用されると思われます』
都合よく『かくしか』だけで全てを悟ったアイの、客観的かつ法令に基づいた解答。少しの間を置いたアイは、さらに直樹の逃げ道を塞ぐ。
『ここからは私の考えです。彼女の言葉がどこまで本当かは判断できませんが、貴方は寂しい一人暮らし。それを踏まえたうえで、彼女と同居すれば留守番の依頼、孤独の解消というメリットが考えられます。いかがでしょうか?』
「めちゃくちゃ余計なお世話だなおい⁉︎」
相棒の裏切りに直樹が唖然とする。しかしロレルは内容を理解できないながらも、ここが勝機だと畳み掛けた。
「……お願い直樹。私、直樹のためならなんでもするよ? だから私をここに住まわせて面倒みて?」
「要求をエスカレートさせんな! だいたい俺は……うぐ……っ!」
目を潤ませ、捨てられた子犬モードになったロレル。直樹は負けじと言い返そうとしたが、ワイシャツの隙間から見えた小さな膨らみに言葉を詰まらせた。
(な、なんでこんなことになってんだ! てかこいつ、改めて見るとめちゃくちゃ可愛いし……それに……)
そこで直樹は気が付いた。今まで女性とまともに喋れなかった自分が、なぜかロレルとは普通に喋れてるという事実に。
(いやいや、こいつが子供っぽいから意識してねえだけだ。だけ、だよな……?)
薄っぺらな現実主義の仮面。その仮面が生んだ矛盾に彼は気付いていない。ロレルの見た目に心臓をバクバクと高鳴らせながら、意識してないなんて滑稽だ。
――しばらく思考停止する。考えがまとまるはずもなく、ただ彼女の潤んだ瞳に吸い込まれそうになった直樹は、ついに観念し――大きなため息を漏らした。
「はぁ…………しばらく面倒みりゃいーんだろ……」
***
直樹がロレルの同居を認めた日、『その男』は自分の体の異変に気が付いた。
地元名古屋の大学を出て十年、新卒で入った広告代理店で管理職になり三年。多忙な日々に追われ、パートナーを作ることもなく、日々仕事に追われ続けた。
同僚や部下に隠してきた趣味は二次元への没入。いわゆる隠れオタクの山口誠。
仕事のストレス発散に夜な夜な女装して近所を練り歩いていた彼の『俺のキッショ可愛い姿を誰かに見てほしい。けどやっぱ無理』という欲望と葛藤は限界を突破し、『かの者』の影響により進化という名の変貌を遂げていた。
「……なんだこりゃ? 俺の体どうなって……」
無断路駐しているスモーク張りのワンボックスカー。その窓に映る自分の姿に驚愕する。
ピンクのレオタード、すね毛がはみ出した網タイツ。平凡な顔の三十代男性。そしてその大きく開かれた背中には――漆黒の天使のような翼が生えていた。
「まさか……いや、そういうことか……く、クククッ、俺もついに『力』に目覚めたのか!」
路駐車の窓に触れると、ピシッと音を立てヒビが入った。
「間違いない。『女装転生』のバイ丸と同じ、俺も魔族の末裔なんだ!」
最近ハマっている創作小説への憧れ。勝手な思い込みを止める者はいない。
「――まずは力の使い方を知ることから。『組織』に監視されないよう、静かに力を付けるんだ」
秘めていたオタク気質と、寝る前にしていた妄想の産物。そして加えるならば、体を変異させるほど染み付いた魔力により侵食された理性。
自分が魔族だと思い込んだ彼は、「くははははっ!」とリアルでは聞いたことのない高笑いを夜空に響かせた。
そしてもう一度自分の姿を確認すると――。
「……とりあえず今日は帰るか。明日も仕事だ」
一度冷静になり、『マミムメゾン』に帰ることにした――。
***