CP解禁〜バレンタイン〜
どろどろ、とろりと溶けていく。
痛みはなくて、身体の力が全て抜けて母親のお腹の中に還るような、生まれる前に戻るような不思議な感覚。
混乱する頭の中で、なにより愛おしいものを見る目でこちらを見ていた片割れの顔を最後に、意識まで溶けて還っていく。
……ああ、そうだ、思い出した。
こぽこぽ、あたたかい液体の中。
あたしたちはひとつの命をふたつに分けあって生まれてきたんだ。
融けあったまだ何でもないからだが集まって、ふたつに分離して、固まっていく。ゆっくり、ゆっくり時間をかけて。
ヒトの形になっていく最中に創られた脳が、意識が声を覚えている。あたしたちが生まれることを願う言葉を、祝福を、覚えている。
「…ようやく完成だ。」
「生まれてきてくれてありがとう。おはよう、僕の子供たち。」
【視点 ローレンティア】
人間は水と原子の塊だ。
それらをより複雑に分類すると、細胞や組織、器官といった要素に分けられる。
母体の中でおよそ40週、細胞分裂を繰り返して人は形を成していく。
様々な工程は違えど、体内組織はほとんど人間と同じ。
僕らは人から造られた、いわゆるホムンクルスという生物だ。
母の偉大な実験の産物。奇跡にも等しい確率で生まれた優秀な成功例。
それを知ったのは、生まれて少し経ったころの話。
ノエル「ローレン、このサンプルをそっちに持っていってくれ」
ロレ「うん。…これ、何に使うの?」
ノエル「これは魔物の血液。ここから様々な成分を抽出して実験に使うんだ」
ロレ「ふーん…」
試験管の栓を開けて、液体を数滴指に垂らす。
口に含むとほんのり鉄の味がして、それがたまらなく美味しいものだと思えた。
母の研究を手伝うようになってから、自分の生まれ以外にも分かったことがいくつかある。
ひとつ、僕は人の形を保つことや知能、そして魔法は人より優れているけれど感情の発達が未熟らしいこと。
ふたつ、逆に妹のマリアベルは飴を食べなければ数日も持たないし、勉学も魔法も不得意な代わりに僕より感情が人間らしいこと。
みっつ、僕らの成長速度は普通の幼児よりも遥かに早く、1年も経てば十代半ば程まで成長するであろうこと。
明らかに人間とは違うけれど、僕は自分が成功例であることに誇りを持っていた。
ノエル「さて、今日の研究はここまで。家に戻ろう」
ロレ「うん。お腹すいた」
ノエル「ローレンは本当によく食べるな。貰ったチョコレートがあったはずだから、食後のデザートにしよう」
これは母にも言っていないが、僕は味覚というものがあまり発達していない。
どうやら肉や血液には反応するらしいが、専ら人間の食事には適応していない体のようだ。
母は地下室から出ると頑丈な鉄の扉に鍵をかけて、僕の手を引いて屋敷に戻る。
僕の家はラサルハグェ侯爵家という辺境伯、オルド王国の北端に位置する領土を治める貴族の家系だ。
ラサルハグェ家の後継者として、いずれはこの領土と領民を守らなければならない。
感情というものはよく分からなかったけれど、この自負だけは生まれた時からずっと抱えている。
マリィ「おにいちゃん、おかあさま!おかえりなさい!」
アリス「こら、マリー。走ると危ないぞ」
マリィ「へいきだもーん!…わあっ」
アリス「まったく…大丈夫か?ノエルもローレンも逃げないからゆっくり歩きなさい」
足取りがおぼつかないのか、妹はすぐ転ぶ。
双子とはいえ妹だ、幼いながらの兄心だったのか僕はよく両親の真似をして妹の面倒を見ようとしていた。
世界でたった一人の愛しいかたわれ、僕と同じ優れた生命体。
マリーはまだ自分の出生について何も知らないけれど、いずれ全てを知る日が来ればきっと誇らしく思うだろうと。
この時はそう、信じていた。
*
それから少し経った日のことだ。
僕はいつも通り、母に連れられ地下研究室で手伝いをしていた。
マリーには内緒で、母と二人で実験に没頭する時間が僕にとっては有意義だった。
この場所は父と母、そして僕しか知らない秘密基地。
マリィ「おにいちゃん?」
思わず声の方を振り返る。
マリーに場所を教えたことなんて無い、勝手に後をついてきたのか。
母も唖然としていたが、マリーに近づくと目線を合わせて頭を撫でた。
ノエル「まったく…、ここは危ないから入ってはいけないと言っていただろうマリー」
ノエル「とはいえ、ローレンにもこうして知られている以上、君にも全てを知る権利はあるな」
マリーはぱちぱちと数回瞬きをしながら、母と少し奥にいる僕の顔を見て首をかしげる。
ノエル「ここは僕の研究室。現代の魔法医学や生物学に革新をもたらすための研究をしているんだ」
ノエル「そして君たちはそのひとつ…ホムンクルスの製法を基にヒトの形を保てるように改良した、最初の成功例」
母は以前僕にそうしたように、優しい声音でそう言った。
嬉しいだろうな、だって僕らは父と母が育んだ奇跡。
この場で何よりも素晴らしい、優れた命なのだから!
ノエル「古来から伝わるホムンクルスのレシピに加えて、人間の体内の元素の約96%は酸素、炭素、水素、窒素の4つで占められている。うち3つは大気中に主に含まれる元素と同じだから僕の魔法で調節できるし炭素は必要ぶんを調達して投入すればいい」
ノエル「あとは僕とあの人の遺伝子と魔力を人間の形になるまで毎日注いで、適温に保ったこの試験管の中で、…マリー?マリアベル?大丈夫か、顔色が悪いけれど」
ノエル「………ああ、ローレンが平気だったから失念していた。この子にはまだ早かったか」
いやだとかこわいとか、うわごとのように呟いて妹はふさぎ込んだまま動かなくなってしまった。
マリーは受け入れられなかったのだと、結果心を壊してしまったのだと。
あの子の心を壊さないために、過去の記憶は消しておくと母は言った。
それから数日して目が覚めたマリーは、すべてを忘れて人の様にふるまった。
人ではないことを否定しておきながら、人であることを当たり前だと思っている。
ああ、妹は出来損ないになったのか。
僕は初めて、恨みという感情を知った。
【視点 マリアベル】
重い瞼をあける。
ぼんやりとした視界に、数カ月ぶりに見るお父様とお母様の顔が映った。
お母様はあたしの体を抱きしめて「よかった」と呟くと、ぱっと体を離してすぐに検査の準備をするといって慌ただしく出て行った。
マリィ「お父様…マリィ、どうなったの?」
アリス「ローレンがすぐに連絡をくれたみたいだから大事には至っていないそうだよ」
マリィ「……学校、戻れるかな」
アリス「クラスメイトには見られていないようだし、マリーが戻りたいと思うならそうすればいい。ノエルも止めたりしないだろ」
マリィ「…うん」
浮かない表情をしていたことに気づいてか、お父様は安心させるように優しく頭を撫でた。
学校のこと以外にも悩みの種がもうひとつある。
アリス「ローレンのことか?」
マリィ「な、なんでわかったの!?」
アリス「まあ親だからなあ…。何かあった?」
何か、と言われるとよくわからない。
だけど、昔の記憶に残っていたローレンは今よりは優しかったように思う。
アリス「分からないなら本人に聞くしかないな」
アリス「ローレンは考え方は大人みたいだけど、中身は案外子どもっぽいというか…きっとマリーが思ってるほど理解できないものではない、…と思う。多分」
マリィ「…そうかなあ。でも、たしかにお兄ちゃんに聞いたことなかったかも」
マリィ「…うん。ローレンとちゃんと話してくる」
ベットから飛び降りて、扉に向かって走り出す。
数日間動かしていなかった足がもつれそうになったけれど、関係ない。
アリス「こら、走ると危ないぞ」
マリィ「だいじょうぶ!もう転ばないもん!」
ふと部屋にあったカレンダーが目に入る。
そっか、今日ってバレンタインだったんだ。
*
少し寄り道をしてから、ローレンの姿を探す。
わからないと言いつつも、その姿は案外はやく見つかった。
双子だからか、なんとなく向かった場所で神出鬼没なローレンに会うことは昔から珍しくない。
どう声をかけるべきか迷っていると、庭で本を読んでいたローレンが顔を上げる。
ロレ「…なに。そこに居られると気が散る。用事があるならさっさと話せ」
マリィ「用事っていうか…」
行き当たりばったりだったせいで、肝心の何を話すかまで考えることを忘れていた。
ぐるぐると混乱した頭で考えていると、お父様の言葉を思い出す。
子どもっぽいお兄ちゃんが、あたしに冷たい理由…。
マリィ「お兄ちゃん、マリィのこと好きなの!?」
ロレ「は?」
恋愛小説では定番中の定番、好きな子ほどいじめたくなってしまうというアレ!
あたしの天才的なひらめきに、ローレンはぽかんと口をあけていた。
ロレ「寝言は寝ていえ。まさか意識が無い間に本当に頭に雑草でも生えたのか?今すぐ母さんにメンテナンスしてもらった方がいい」
マリィ「メンテナンスって…そんな言い方…」
ロレ「人じゃないみたいって?当たり前だろ、僕もお前も人間じゃないんだから」
傷口をえぐるような鋭い言葉に息がつまる。
あの時は事実を受け入れられなくて、あたしは全部忘れて逃げた。
そうか。ローレンはきっと、責めているのだ。
世界でたった一人、同じモノである片割れが自分を否定したことを。
きっと、お母様にお願いすればまた全部忘れて何も知らないまま生きることもできると思う。
だけど、あたしはこの一年間人と、みんなと過ごした大切な時間を忘れたくない。
マリィ「…そうだね。人間、…じゃないんだもんね」
マリィ「…もう逃げない、ちゃんと受け入れる」
マリィ「人間じゃないけど、それでもあたしはみんなと仲良くしたい!」
ローレンの暗い紫色の瞳がほんの少し揺れた。まるで迷子の子どもみたい。
そんな顔しなくたって、どこにもいかないのに。
マリィ「…大丈夫、ローレンのこと置いていったりしないよ」
マリィ「生まれたときからずっと一緒の大切な家族でかたわれだもん、これからだってもちろん一緒」
マリィ「いつも悪口言ってばっかりだけど、大好きだよ!世界でたったひとりの、マリィの大事なお兄ちゃん!」
ローレンに近づいて、その手にぽんとラッピングされた箱を乗せる。
急いで作ったものだけど、自信はそこそこ。
作り方はラディに教わったし、お父様にも手伝ってもらった。味は保証されているはず。
ロレ「…なにこれ」
マリィ「チョコだよ、チョコレート!今日はバレンタインだよ!」
ロレ「…ああ、そういえばそんな妙な文化があったな」
バレンタインだろうが、相変わらずローレンはお構いなし。
おまけにチョコまであげたのに妙ときたか。
ローレンは少し視線を彷徨わせてから、目に留まった薔薇の一輪を乱暴にむしった。
ロレ「…人間は花を贈るのが定番なんだろ」
マリィ「え、いらない。せめてちゃんとリボンとかつけて花束にしてよ」
ロマンチックのロの字も無いけれど、みんなが花を送りあっていたのを見て学ぶものがあったんだろうか。
不服そうに棘が刺さってぼろぼろになった手で、リボンを茎に結び始める。
さっきあげたプレゼントのラッピングのリボンだから、ぜんぜん格好ついてないけど。
ロレ「勘違いするなよ。僕はお前の生き方を認めたわけじゃない」
ロレ「僕たちは人じゃない、それは絶対に覆らない事実だ」
ロレ「いつかそれが周りに知られたとき、きっとお前は人に裏切られるよ」
マリィ「わかんないじゃん、そんなの」
マリィ「みんなと一年過ごして、いろんな人がいて、いろんな生き方をしてるってわかったの。みんな違くたって友達になれたんだから!きっとあたしたちだって、少し普通と違うだけ」
マリィ「あたしたちが人間でもそうじゃなくても、この一年いっぱい作った思い出は全部本物だしなんにも変わらないから!きっと知られたって友達だよ」
マリィ「それに、ローレンは何があっても絶対に傍にいてくれるでしょ?」
ロレ「…本当に楽観的なやつだな」
呆れたといいながら、その声は昔のように温かいものだった。
これからもきっと、たくさんすれ違ってぶつかって生きていくんだろう。
それでも、逃げずに話しあえば分かり合えることだってきっとあるはず。
言葉は人が、人に、伝えるためにあるのだから。
一年間、一緒に過ごしてきたクラスメイトたちのことを思い浮かべる。
みんなが、今日という日に大切な人へ思いを伝えられますように!