第8話 大精霊ウンディーネの加護
「マチルダさん! これどこに向かってるんですか? それに心当たりがあるって……」
あたしが先頭をきって町の外れの林のなかを歩きだして早三十分くらいはしただろうか。
でこぼこで整地されていない土地、アダムが流石に疲れたといった様子で後ろから聞いてくる。
「着けば分かることだよ、ほら見えてきた」
あたしは目的の場所を見つけるとアダムに指差して見せる。
「あれは……泉?」
「そう、この町の神域、精霊が宿った泉、住んでいる精霊は水の大精霊、ウンディーネ」
ここは水の精霊の住む泉。
通称エレメントの泉だ。
「あら、懐かしい声がすると思ったら、マチルダ、久しぶりね」
ふと、泉が水飛沫をあげるとその中から人の形をした何かが現れる。
「あたしももう会うこともないと思ってたよ、久しぶりだねウンディーネ」
久しぶりに会った旧友にあたしも素直に挨拶を返す。
見目は透明度の高い湖のような白い肌に水色の髪を踊らせている見るからに人間離れした容姿。
だが、それよりも空に浮いていることを指摘したほうがいいだろうね。
「え、えっ!? 精霊が姿を現すなんて……それも知り合い……?」
いきなり現れたウンディーネにアダムは混乱した様子を見せる。
それもそうさね、精霊というのは早々姿を表してくれる種族ではない。
それも水の精霊を統率する大精霊ともなれば尚更のこと。
「あら、その子は」
ウンディーネは声であたし以外の人間がいることに気付いたのかアダムのほうへ視線を向ける。
「アダム、あたしの孫だよ、アダム、この人は精霊のウンディーネ、昔の知り合いさ」
あたしは一応間を取り持つ形で双方に自己紹介をしておく。
「孫……マチルダももうそんな年齢なのね、確かに、よく見れば力の波動がよく似てる」
精霊という種族は人には関知できないものを関知する能力を持っている。
そういう者から見れば血縁も分かるようだね。
「ウンディーネ、そんなことよりも、何故この町の加護を弱めてるんだい? あんたあんなにもこの町が好きだったじゃないかい」
あたしは早々に今回の、水消失事件と呼ばれている事件の主犯核であろうウンディーネに問いかける。
そう、この町の水源はウンディーネによって管理されている。
そんな町で水が干上がるようであればウンディーネの仕業しかない、というのがあたしの算段だった。
あたしの言葉にウンディーネは憂いげに視線を地面に落とす。
「……長年人間を愛してきて、人間の愚かさをありありと目にしたわ、一旦収まっても何度も何度も同じ過ちを繰り返す、魔物と人間の争いで一対どれだけの自然が、水が、汚染されたか……血が瀆した水はもう戻らない、それならもうわたくしがこの町を加護する理由もなくなってしまったような気がして」
少しした後にウンディーネは視線をあげて悲しそうな笑顔でそう告げた。
「まぁ、確かに今の世界の現状はよくないんだろうね、小さい村で隠れるように暮らしていたあたしはそこまで世界の情勢に詳しくはない、けどそれでもここ数日の出来事でどれだけ世界が廃れているのかは理解した」
ウンディーネの言葉はよく理解できた。
なぜならあたしみたいなのが三回目の魔王討伐に赴いていること自体が全てを言い表していると言ってもいいことだ。
娘の死を知ったこともまた理由のひとつ。
「それならやはり……」
「でも、あたしは嫌いにはなれなかったよ、この世界が」
きっと加護をやめると言おうとしたんだろうけど、それをあたしは遮った。
「……」
ウンディーネは黙ってあたしを見ている。
結果としてこんな目にあっても、嫌な記憶は消えなくても、旦那や娘と過ごした日々は忘れないし、アダムのことだってある。
絶縁状態とはいえ娘の残した孫が生きようとしている世界を嫌いにはなれない。
「それに、あんたはよく町を見ているから分かるだろうけど、一人の女の子があんたの為に日々ゴミ拾いしてるんだ、一人でも、そういう相手がいるならば、守ればいいのさ、他の奴はついでとでも思ってね」
湿気たのは性に合わない。
あたしはすぐに話題を切り替える。
ウンディーネは本当に人間が好きだ。
だからこそこの泉からよく人間のことを盗み見していたはず。
だから、あの娘のことも知らないわけがなかった。
少なくともウンディーネにとってはあの娘だけでも加護の対象だろう。
それならその子を守るついでに他も守ってやればいいだけの話さ。
精霊からすれば人間の一人や数百人とって足らない問題だ。
「……そうね、わたくしも少し早計だったようね、もう少しだけこの町の加護を続けましょう、愛した人間を信じて……でも、これ以上わたくしを失望させたその時は、もう人の前に姿を表すこともないでしょう」
ウンディーネは少しだけ逡巡して、それから予想通りの言葉を返した。
やっぱり思っていた通りになった。
ウンディーネは人間が好きで、そして、愚かで慈悲深い。
そんなウンディーネが早々に人間を見放す姿なんて想像もつかなかったのが実際のところだ。
「それも、一興さね」
あたしはウンディーネの言葉に同意する。
「あなたは、見目は変わっても中身は変わらないのね、また、会いに来て頂戴ね」
「時間が取れればね、今のあたしは忙しいからねぇ」
あたしはウンディーネとの会話も早々に来た道を引き返していく。
「さて、これで水消失事件は解決だね、行くよアダム」
そしてぽけっとしているアダムに一応声をかける。
「……大精霊とも知り合いなんですね」
あたしの後ろからついてくるアダムは驚いた様子でそう聞いてくる。
「二度も世界を旅すりゃ……いろんな知り合いが出来るってもんだよ、嫌でもね」
そう、世界を二度も救っていれば、人間以外の知り合いだって求める求めないなんて関係なしに出来てしまうのだ。
それが、決して手放しで良いことなのだとは思わないがね。