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プロローグ 独りのハッピーバースデー

 人は気付いているだろうか。

 この当たり前のように享受している平和が当たり前の生活が。

 隣を誰かと一緒に歩くそんな平凡な日常が。

 何かを礎にして、その上に成り立っているのだということを。

 考えたものはいるだろうか。

 国の奴隷となって世界を救った独りの人間の末路を

 全てを犠牲にして世界を救った勇者という存在が、平和になった後の世界でどう、生きているのかを。


「おい、あの婆さんやけに今日は良いものを買ってるな、誰か来るのかね」

「いや、無いだろう、あんな偏屈な人のところに誰が訪ねるって言うんだ」

「まぁそれもそうか」

 いい歳したあたしの耳が遠くなっているとでも思っているのか、それともただ単に聞かれたとしても問題ないと思っているのか、まぁどちらだって構わない。

 あたしがこの村の外れにある家から買い物に来れば子供は煩く騒ぐし大人は噂話の格好の的にする。

 そんな生活にも最早慣れてしまった。

「ふんっ……」

 あたしは気付かれない程度に陰口を話す男どもに視線を向けると鼻で笑う。

 この村には永く住んでいるが誰もあたしのことなど知らない。

 あたしが何者で、何故ここにいるのか。

 分からないからこそこの村ではただの偏屈な婆さん扱いで、おそらく目の上のたんこぶだ。

 自分でも偏屈であることは理解しているからこそわざわざ何も言い返すこともしない。

「そのケーキ、一つ貰おうかね」

 あたしはケーキ屋のショーケースから一つ選んで指を指す。

「あ、はい、今包みます!」

 ケーキ屋の娘は慌ててケーキを箱に入れようとする。

「おい、ケーキまで買ってるぞ、やっぱり誰か訪ねて来るんじゃないのか?」

「確かに、そうかもしれないな、でも誰が?」

 そんなあたしの行動にまたひそひそ話が盛り上がるから。

「全く! 煩くて仕方ないね……! 誰も訪ねてこりゃしないよ! なんだい、老害が独りでケーキを食べたらダメだとでも言うのかい!」

 あたしはそちらを向いて文句を言う。

 あたしの元に誰かが訪ねて来ることなんてあり得ない。

 こんな歳になったってケーキをただ食べたい日があったっていいじゃないか。

 いったいそれであたしが誰に迷惑をかけると言うんだ。

「ヤバっ、聞かれてたか、呪われるぞ!」

 陰口を叩いていた男達はあたしの言葉に慌ててそそくさとその場を後にする

 あたしが黒魔術を使う悪い魔女である、というのはこの村でよく聞く話だ。

 勿論根も葉もない噂だがそれを否定したところで何も変わらない。

「本当にどうしようもないね全く……」

「ケ、ケーキ包めました!」

 あたしはぶつくさと文句を呟きながらケーキの箱を受けとると来た道を戻り始める。

「はぁ、腰が痛いね……」

 いつもよりも多くなってしまった食材を手に下げながら空いているほうの手で腰をさする。

 この歳になってくるといろんなところにガタが出てくるもので、本当にどうしようもない。

 暫く歩いていれば自分の家が見えてくる。

 鍵もかけていないドアを開けて家に入ると机の上にケーキを置いて他の惣菜も並べる。

 この家に住み始めてもう数十年になるが一度も誰かが訪ねてきたことなんてない。

 今日だってそう。

 ただ、今日六十六歳という一応記念といえる歳を迎えたのだからたまの少しくらいいつもより贅沢をしたって誰も文句は言えないはずだ。

 だから少し豪華な食事とケーキを買っただけ。

「確かここら辺にあったはずだけど……ああ、あったあった」

 あたしはそこら辺の棚を漁ってろうそくとマッチを取り出してろうそくをケーキに立てる。

「ああ、湿気ってるねこれは……全く」

 それからマッチを擦るが長く使っていなかったそれは湿気ってしまっており火が灯ることはない。

 あたしはそれをゴミ箱に投げ捨てるとろうそくの先端に指先を当てる。

 そうすればろうそくにはポッと火が灯って、一気にそれらしくなる。

「六十六歳、か、全く……バカらしいね」

 あたしは部屋の電気をあえてつけずに椅子に腰かけて燃えるろうそくを眺めて、そうボヤく。

 形ばかりの誕生日会。

 それはただただ自分の心を虚しくするだけだった。

 本当であればこんなはずじゃなかった。

 本当であれば、本当であれば。

 そういくら考えたところで結果は変わらない。

 ふうっと炎を吹き消してしまおうと思って空気を吸い込んだ時。

 トントンっと家の扉をノックする音が響いた。

「……ここで暮らすようになって初めての来客か、いったい全体何を持ち込んでくれるのかねぇ」

 こんな家にこんなタイミングで訪ねてくるなどきっと良い来客ではない。

 経験上そう悟りながらもあたしは重い腰をあげて部屋の電気をつけながら扉のほうまで進みドアを開いた。

「あ、夜分遅くに失礼致します」

「あんたは誰だい?」

 扉を開けばそこにはかっちりとした格好をした若く見える男と十歳行くか行かないか位の年齢に見えるが歳に見合わない険しい顔つきをした少年が立っていた。

 あたしは挨拶にたいして怪訝、という気持ちを隠すこともせずに聞き返す。

「私は首都マールズからの使いです」

「……ああ、それならとっとと帰りな、話すことなど何もないよ」

 男の口からマールズの名前が出てあたしはあからさまに不機嫌になって突き放す。

 この国の首都マールズは大国で実質的な地位は国のなかで一番高い。

 そしてそんなマールズに関わって得したことなど一度もない。

 むしろ毎回厄介ごとを持ち込んでくる疫病神みたいなもんだ。

「マチルダ様に無くてもこちらにはありまして……申し訳ありませんが少しお時間ください」

「……家にはあげてやらないからそこで話してとっとと帰りな」

 帰れと行ったのに相手の男は引く気が全く無い様子でそういうものだから話だけ聞いてやって早々に追い返すことにする。

「……」

 そんなあたし達のやり取りを男の隣にいる子供は何を言うでもなく観察している。

 子供としっかり接したことのないあたしでは何を考えているのか分かりかねる。

「……」

 だからあたしもただ黙って待った。

 これから男の口から語られるどうせ嫌な話を。

「そうですね、まずは訃報をお伝えしなければなりません……マチルダ様のご子女、ミラ・ブルーズ様とその夫、レオン様、ブルーズ夫妻がお亡くなりになりました」

 男の言葉に息を飲みそうになるがぐっと堪えて自分のなかに膨れ上がった感情がばれないように蓋をする。

「……二人共一気にってことかい? それは、事故か何かかかね」

 あたしはあくまで冷静を装って男に聞き返す。

「いえ、ミラ様の住んでいた町が魔物の襲撃にあい、壊滅状態となりその中の犠牲者にブルーズ夫妻が含まれておりました」

 男はそんなあたしの気持ちを知ってか知らずか淡々と説明する。

「魔物は……最近は大人しいと聞いていたけどね」

 魔物が活発に行動していたのは昔魔王という存在がまだこの世界に蔓延っていた頃のこと。

 今よりも何十年も前の話だ。

 最近は魔物の被害なんて耳にすることも少ない。

「魔王が復活したのです、約三十年前に討伐されたとしている魔王が」

「……なんだって?」

 あたしは男の言葉を聞き流すことが出来ずについ聞き返す。

 魔王が復活するなんて、あり得ることの筈がない。

 魔王、あいつは確かに死んだはずだ。

 あたしの目の前で。

「魔王の力が観測されたのはここ最近のことですが、確実に観測されている波動は魔王のものです、どう復活を果たしたのか、までは分かりませんが、既に魔王は行動を開始しているとか」

 男は気を揉んだようにそう説明する。

「……そうか、それで、それをあたしに言ってどうするんだい?」

 娘の訃報を伝えに来ただけならこの時点で話は終了の筈。

 だが男が帰る気配はなくまだ言いたいことがあるようで、そしてあたしには何を言おうとしているのか、なんとなく察しがついていた。

 絶対に良いことではないそれを。

「こちらの子を」

「この子供は……?」

 だが男は質問に答えるわけではなく隣にいた子供の背中に手を添える。

 少し前に押し出された子供を見て聞き返す。

 初めて見た筈、なのにどこか見覚えのある不思議な子供。

「この子はブルーズ夫妻が残した忘れ形見、ご子息のアダム様です」

「……子供が、いたのかい……そうかい」

 男はまた淡々とそう告げる。

 今度は自分の感情を隠しきれた自信がない。

 確実に、あからさまに言葉に詰まったし少し上ずった。

 まさか、娘に子供がいたなんて知らなかった。

 結婚したことだって風の噂程度にしか聞いたことがなかったのだから当たり前と言えば当たり前のことではあるが。

 それ程までにあたし達親子は疎遠だったのだ

 ほとんど絶縁状態だったと言ってもいいくらいには。

「血縁者はマチルダ様だけで、マチルダ様に預けるのが最善ですがマチルダ様には国からの依頼もあります、アダム様の年齢を加味しても孤児院へと思いましたがアダム様がマチルダ様の元に一緒に行くと言って聞きませんので……」

「……」

 男の説明にあたしは視線をアダムのほうへ向ける。

 今さっきの説明で孫だと分かってよく見れば確かによくミラの面影が残っている。

 しかしアダムは何故あたしに会いたいと言ったのだろうか。

 娘の元で健やかに育ったのであれば祖母がどんな人物だったのかなんて嫌というほど聞かされていてもおかしくない。

 いや、そもそもあたしの存在を知らされていたかすらも微妙なところだ。 

「……勘違いしないでくださいね、僕は祖母に会いたいとか一緒に暮らしたいとかそういうことでここに来たわけじゃない、僕はただ、自分の目的の為にここに来たんです」

 だがアダムはそんなあたしの気持ちを知ってか知らずか先程までの険しい表情を和らげてにこやかに笑顔を浮かべてそう言いはなった。

「……全く、すかした子だよ、で、わざわざ伝えるためだけに来たんじゃないだろう、国の依頼って、いったい今度は何をさせようってんだい?」

 初めて孫からかけられた言葉。

 それだけでアダムの性格がよく分かった。

 少なくとも両親を亡くしたばかり、というにはそうは見えない程に純粋な笑顔だった。

 だからこそその下に隠した本心が見え隠れする。

 普通の人間が見ればまぁ、うまく騙せるかもしれないが、あたしはそういう表情をよく見たことがあるからわかる。

 だからこそあえてアダムに話しかけるでもなくそれだけ言うと男に聞き返す。

 はっきり言ってしまえばもう国の依頼などこりごりなのだが。

「話が早くて助かります、約50年前に一度は魔王を封印し、35年前には魔王を討伐するに至った勇者、マチルダ・ホワイト様に再度魔王討伐のご依頼をしたく、馳せ参じました」

 ずっと淡々と語っていた男は、それだけ言うとにこりと人当たりの良さそうな笑顔を浮かべた。

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