用済みの男②
「あー、えっと」
ガキの頃、稽古を抜け出して遊び歩いていた時に偶に一緒になってバカをしていた貴族の子弟。
五年ぶりくらいだがそのニヤケ面は変わっていない。
「久しぶりだね。元気してた?」
「あ、ああ。いや、はい。元気してました」
いかんいかん。
タメ口が許されるのはアホだったガキの頃までだ。
無礼とか言われて斬り殺されちまう。
ん?
どうせ死ぬんだから、別に良いのか?
「お、俺になにか用でも?」
うーん、身体に染みついた小物感は今際の際まで取れそうにない。
「ああ、君に仕事を依頼にね?」
「仕事?」
ていうか、なんでコイツここに?
ここは一応、王都神殿本部の一番奥の部屋で、神官とか偉い巫女とかじゃ無い限りはむやみに立ち入りできないはず。
聖神教は建前上、王権とは距離を取っている筈だから、王陛下が突飛なワガママを爆発させでもしないかぎり王侯貴族でも入れないとされているんだが。
「クリャ──違った。クリャ様はなんでまたこんなとこに……」
あっぶね。
危うく敬称を略しちゃうとこだった。
「ああ、そういやディトにはそんな名前を名乗ってたっけ。僕の本当の名前はクーランガ・ファウ・エイヤル。貴族位で言えば黄爵だよ」
「エイヤル?」
なんか聞き覚えのある家名だな。
えっと、爵位の色は下から紫・緑・黒・橙・黄・赤・碧だから……。
「……王族?」
当代の王陛下が確か碧爵で、王位継承権を持つ次代の王候補が赤爵。
その下の黄爵は王位継承権を持たない王族しか名乗れない筈。
「ああ、僕は十四王子だ。まぁ、そこまで下だと王族と言っても橙爵とあんま変わんないけどね」
「う、嘘ぉ……」
殿下ともなれば当たり前だが下々の者と顔を合わせることなんか本当に稀だし、そもそも俺らみたいな日陰者の前になんか供も付けずに現れて良い筈が無い。
「まぁ、君くらいには子供の頃の愛称のまま──クリャと呼ばれたいな。もうその名前を呼ばれなくなって大分経つからね」
王族の証である目の冴えるような青い髪をさらりと揺らし、クーランガ殿下──もといクリャは屈託の無い笑顔を見せた。
ま、まぁ良いか。
どうせもって数日、早けりゃ一時間後には死ぬ身だ。
不敬もへったくれもない。
「ん、んでクリャは俺に何をさせたいんだ?」
「その前に場所を変えようか。君が一人になるのを待っていたんだが、聖女と勇者の顔合わせが始まるとなって神官や国の重鎮たちが集まり出した。盗聴防止のアーティファクトは身につけているけど、直接聞かれたりなんかは防げないからね。どこか内緒話に向いてる場所、知らない?」
「そう言うのであれば、幾らでも」
こちとら王都の裏通りでこそこそ遊び回ってた身だ。
日陰者が動きやすい場所なんて、知り尽くしてる。
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と言うわけで、やってきました。
王城から徒歩で5分くらいの工房二階。
物置として使われてる──というか要らない物を放り投げて忘れられてる倉庫。
「ここ?」
「城の目と鼻の先、しかも下の工房が煩すぎて誰も近寄らない場所で内緒話なんかするわけないって思われるんだよな。そもそも関係者以外立ち入り禁止だし」
実はそんなに音が響かないんだよね。
工房の二階以上って職人が仮眠取ったりするから、防音のアーティファクトとかこっそり使われてるし。
盗聴しようにも部屋の外は槌の音とか親方の怒声とかで中の声が聞き取れないし、なにより目立つ。
アーティファクトを使って室内の音を聞き取ろうにも、工房に使われている他のアーティファクトと干渉しちゃって上手く機能しない。
複数のアーティファクトを同時に使用するなんて、よほど緻密に計算しておかなきゃダメだもんな。
そういうのも含めて工房の仕事なんだけど。
ガサツそうに見えて職人連中は頭良いんだよなぁ。実際は。
「君は部外者だろ?」
「たまに下の工房の手伝いをして小遣い稼いでたんだよ。孤児のフリして」
荷運びとか雑用でね?
なので親方連中と顔馴染みだし、徒弟たちとも腐れ縁だ。
まぁ、向こうは俺が黒剣士だって事は知らないけど。
「それで?」
手頃な荷箱を椅子代わりに、俺とクリャは向かい合う。
王族と顔を突き合わせて密談なんか、下手すりゃ縛首だ。
ワクワクしちゃう。
「ああ、君にとある女性の護衛を頼みたくてね」
「女の護衛?」
「ああ、王族である僕が持ってくる話だ。相手はもちろん、貴人──に近しい身分の人間だ。その女性を守りながら、できるだけ遠くへ逃げて欲しい」
う、うーん。
そう言われてもなぁ。
「ああ、面倒なんで言っちゃうけど。僕は君の身の上や剣の会の事についてもちろん知っている。その右手の呪紋についてもね」
「それはまぁ、神殿の奥まで入れた事で察してるけれども」
そもそもあの部屋に俺が居る事を知ってた時点で分かりきってた話だ。
黒剣士である事を隠している俺は、世間的に見れば無職の剣士。
神殿に立ち入って良い人間では無い。
あそこは最低でも貴族にその身分を保証されて初めて滞在が許される場所だ。
「報酬は──君の命」
「……は?」
ニヤリとその見目麗しい顔を歪めて、クリャは嫌らしい笑みを浮かべた。
「僕は君のその手の呪紋を安全に消し去る手段を持っている」
「そ、それは……」
俺の奪われた記憶を、取り返せるって──。
「ああ、流石に君の記憶までは無理だよ? アレは呪紋を媒介にしてるだけで、心臓を握りつぶす呪いとは別だから」
「──あ、そう」
なんだよもう。
ちょっと期待しちゃったじゃんか。
「でもさぁ。この刺青消しちゃうと、会の奴らにバレるようになってるんだよね」
ぶっちゃけ、呪紋の除去に関しちゃ俺も幾つか方法を知っている。
聖選儀が始まる前に血眼になって探し回ったからな。
間に合わなくて諦めたけど。
俺の心臓が解放されたと知られたら、会の連中はおそらく総力を結集して俺を殺しに飛んでくるだろう。
だって〝剣の会〟はこの国の建国前からずっと民にひた隠しにされた、国の秘中の秘。
公にしてはいけない濃くて深い漆黒だ。
仮に会の存在と勇者候補の育成方法が公開されてしまったら、剣の会どころか聖教と国すら崩壊しかねない。
「それについても問題無いよ。僕が知っているのは呪紋を移し替える方法だからね」
「移し替える?」
「そう。その呪いを君に施した術式の手順を少しだけ変更させた、ごく自然な方法だ。君そっくりに姿を変えた罪人を一人犠牲にしちゃえば、晴れて君は自由になれる」
……俺そっくり、ねぇ。
「あんまり知らん奴を巻き込むのは、好きじゃないんだが」
「心配しないで。用意する罪人は死刑が間近に迫っている本物の極悪人さ。君の為に刑の執行を伸ばし伸ばしにしておいたんだ」
ん?
俺のため?
「まるで俺が勇者になれないって、知ってたみたいな言い方だな」
「知ってたに決まってるだろう? 今回の聖選儀、誰が聖女に選ばれて、聖女がどの勇者候補を選ぶかなんてかなり前から分かってたんだから」
ああ、なる。
今回の聖女は、王族の息がかかった奴が選ばれたのか。
納得だ。
下馬評では確実と言われていた聖女候補が、まさかまさかの落選だったからな。
民からの人気もその実力も、実際に選ばれた聖女よりその聖女候補の方が圧倒的に上だと民の間じゃ持ちきりだったのに。
「聖教は王権と距離を取っている──なんて、まさか本当に信じてたの?」
「いや、どっちかと言うとそうであって欲しいなぁくらいの、願望かな?」
まだまだ俺もお子ちゃまだったんだなぁ。
どんどん汚れていっちゃう。悲しい。
「さて、どうする? 今開示している条件で首を縦に振ってくれないと、ここから先は話せないんだ」
「そんなの。受けるに決まってる。何もしなけりゃ今日の月の姿すら拝めない身だ。形振り構ってられない」
「良し。交渉成立」
クリャは喜色を隠さずに、俺に右手を差しだした。
俺はその手を迷いなく握り返す。
「命を担保されてるんだ。こうなりゃどんな汚れ仕事だって請け負うよ」
おそらく、俺が裏切ったり逃げたりしないような誓約──もしくは魔法的契約があるんだろうが、生きてりゃ儲け。
マジでなんでもやるし、やり遂げるつもりだ。
「じゃあ期間と護衛対象について詰めよう。護衛期間は少なくとも十年。逃げる場所はこの国から遠ければ遠いほど望ましい。君と護衛対象はこの国で命を落としたことにするから、親しい間柄……兄妹とか──いや、夫婦が良い。夫婦を装ってくれ。君と彼女じゃ顔立ちも髪の色も、言葉の訛りすら違うからね」
十年我慢すりゃ晴れて自由の身か。
数字だけ見りゃ長く感じるが、四つの頃から十六年も剣の会の呪縛を耐え抜いた俺からしたら、破格の条件だ。
「夫婦ってことは、俺とそんなに歳が変わらないのか。その女は」
「ああ、三つか四つ下だね。彼女の方が」
えー、ガキじゃん。
その歳の女ってなんでもかんでもいちいち騒ぎ立てる印象なんだよね。
まぁ、俺が大人かって言われたら何も言えなくなるんだけど。
「君らの偽装死も、新たな身分も、王都を抜ける手引きもこちらで全て段取りする。君はただ彼女を連れてこの国を抜け出し、彼女を任せても良いと心から思える人間が現れるまで、その身を守り抜いてくれ」
……うーん。
序列が低いとは言え、王族であるクリャがここまでその身を庇おうとする女なんて、想像ができない。
愛人だとしてもここまではしないだろうしな。
王家の庶子を産んだ女なんて、この国の歴史上掃いて捨てるほど居るし。
「分かった。そこまでやってくれるってんならなんとでもなる。で、その女はどこの誰で、何をして国を追われるんだ?」
「ディトも存在は知っているはずさ。名前は知らなくてもね」
俺が?
自慢じゃ無いが、今まで女にモテたことなんざ一回も無いぞ?
勇気を出して娼館に行った経験なら何度かあるが。
勇気が足りずに直前になって逃げ出したけど。
「彼女の名前はリーンニア」
「リーンニア……ん?」
その名前、最近聞いた気がするっていうか、つい昨日まで王都の誰もが色んな感情を込めて呼んでたような。
「──聖女候補?」
「そう、彼女はつい昨日までそう呼ばれていた。セリュア聖神教清流派に属する、巫女の一人だ」
こいつはキナクセェ匂いがぷんぷんしてきやがったぜ。