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魔女の企み  作者: 有竹
第一章
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5.いにしえの乙女

 森を切り開き石畳を敷き詰めた街道を、一台の屋根付き馬車が数騎の護衛に守られながら北の城砦を目指していた。

 馬車は二頭立ての小型のもので、そう急ぐ旅でもないのだろう、馬の歩調に任せた緩やかな速度で、蹄の音と馬車の車輪がカラカラと回る音だけを響かせながら、森に差し込む木漏れ日の中を進んでいる。


 馬車には御者の他、二人の女性が乗り込んでいた。少女と、成年の女性。母子であった。二人は質素ながらも上質のドレスを身につけ、外出用の外套をまとっている。二人ともよく似た顔立ちで、陽の光を凝縮したような蜂蜜色の豊かな髪が、波打つように腰まで垂れているのも生き写しのようであった。

 北の城砦に住む、騎士団長ジェラルドの妻アマリエと、長女のローザである。


 二人は三日間ほど城砦を離れ、王都に滞在し、現在はその帰途であった。

 王都には一月ほど前よりはるか南の帝国から高名な学者たちが研究と交流を目的に訪れており、興味があるのならば彼らの講義を聞きに来るが良いと、縁戚でもある王室から招きがあったのだ。


 持って生まれた才なのか、二人とも非常に聡明な質で、女性ながらアマリエは王都にある王立学問所に学者としての籍を置いているし、その娘であるローザも正式な試験に合格し、十一歳という幼さで王立学問所の聴講を許される立場にある。それゆえ、普段の暮らしは北の城砦にあっても、時折このように二人で王都と城砦を往復するのは珍しいことではない。


 二人は三日の間、一緒に、または個別に南の学者達から興味深い学説を学び、新しい知見を得た。アマリエがローザの弟妹にあたる幼いユッテとカミルを城砦に置いてきたことを気にして早々の帰宅となったものの、なかなかに有意義な遊学の旅であったとの実感が二人にはあった。


 だが今は、久しぶりの自宅への帰途に、満足感と疲労の混ざった和やかな気持ちで短い旅路を楽しんでいた。馬車の中に積んだ手荷物の中には、王都の職人に頼んでおいた焼き菓子が、土産として双子達の手に渡る時を今かと今か待ちかまえている。


 馬車は森のただ中を進む。窓から見える風景はうっそうとした森の木々とその影ばかりだが、時折風景が開けると、はるか北方にそびえる峻峰ランゲの切り立った岩肌が天を刺し、続く平野には幾つもの農村や農地が広がっていた。夏の終わりの今、平野が収穫の黄金色につつまれるのはまだもう少し待たねばならない。

 アマリエはぼんやりとそんな風景を見ていたが、ふいに対面に座っていた娘のローザが、ひょいっと自分の座席の横に腰を移してきた。


「お母様、ねえ、いつものあのお話しして」

 少女には少し退屈な時間だったのだろう。甘えるようにローザはアマリエを見上げた。

「あの、狼と魔女の伝説?」

 うん、とローザは大きく頷いた。


 狼と魔女の伝説――とは、このウルムヴァルドに昔から伝わるおとぎ話だ。数百年前の開拓時代の実話が元になっているらしいが、子供向けとはいえ荒唐無稽な筋書きだし、結末も少々後味が悪く、子どもの頃から聞かされて育ったもののアマリエはあまりこの話が好きではない。

 だが、同年代の子と比べて聡いとはいえ、まだ子どもらしく夢見がちで、そして年頃になりつつある十一歳のローザには胸を踊らせ、またときめかせる物語なのだろう。何度も聞いているはずなのに目をきらきらさせてアマリエの語りはじめを待っているローザに「しょうがないわね」と呟くと、アマリエはこほんと一つ咳払いをしてローザに向き直った。




「むかし、むかし。この地にとある乙女が住んでいました。乙女は薬草の知識に長け、彼女が調合する薬で治せぬ病はないと言われていました……」

 アマリエの声が物語を紡ぎ始める。


 ――乙女はある日、森の中へ一人薬草摘みに出かけ、見知らぬ道に迷い込んでしまった。村へ帰れぬままに夜になり、ある池の畔で寒さに震えて座り込んだその時。


「……低い、地面の底から響いてくるようなうなり声が聞こえました。夜の闇の中に、赤く光る二つの瞳が見えます。それは、一匹の巨大な狼だったのです」

「白くて、綺麗な?」

「そう、月の光をそのまま形取ったような、美しい毛並みの――ね」

 お気に入りの言い回しを繰り返してもらい、ローザはふふっと笑みをこぼした。


 ――白金色の毛並みを持つ大狼に、乙女は怯えた。おそわれる、と震え、死の覚悟を決めた。

 しかし大狼はひどく弱った様子で乙女に近寄ってきた。そして、乙女の身体に寄り添うように、その身を横たえたのである。苦しげな呼吸、うつろな眼。手足は痙攣しているかのように、ビクッビクッと震えている。大狼は病に冒されていたのだった。


 獣相手と言えど、乙女は病魔に対して無関心ではいられなかった。乙女はその場で野生の薬草を調合し、煎じた薬湯を大狼の口に含ませた。灼けた喉を鳴らして、大狼は薬湯を貪り飲んだ。

 大狼は乙女に寄り添ったまま眠りについた。その温もりは乙女を夜の寒さから守った。翌朝、乙女が朝日に目を覚ますと、すっかりと病の癒えた大狼が優しく乙女を見下ろしていた。


 そして乙女は大狼に連れられ、森を抜けた。見覚えのある平野に出た乙女は喜び大狼を振り返った。だが、そこにはもう大狼の姿は無かった。森の木々の合間から、小さな遠吠えが聞こえるのみであった……。


「……そして乙女は無事に、自分の村へと帰り着いたのでした」


 アマリエはそこで一息入れる。この話に続きがあることを、聞き手のローザはもちろん知って待っている。


「それからしばらく後のこと。この地に伝染病が流行りはじめました」

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