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魔女の企み  作者: 有竹
第四章

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5.人としての心

 その突然の狼への変化は背後を走るジェラルドを絶句させた。


 彼がこれまでに幾度か見たハインツの狼姿より、身丈は三倍ほど巨大化していた。毛並みの色は別として、これほどまでに大きな狼を、ジェラルドは見たことが無かった。

 彼の馬も生物としての絶対的な差を野生の勘で感じたのだろう。前脚を振り上げ、ハインツの後を追うことを拒否しはじめた。甲高い鳴き声を上げて、今にもこの場から逃げ出したそうに恐慌状態に陥っている。


 気づくと、峡谷の対岸を走っていたアマリエの馬も同様だ。そして乗っているアマリエ自身も同様に驚きと怯えの表情を浮かべている。彼女は馬の意思を汲み取り早々にその脚を止めた。横目でジェラルドはその様子を見やり眉の間に皺を寄せる。


 が、峡谷を挟んだ二人の間を、高い、はしゃいだような声が響き渡った。

「ハインツ、おおかみさんになったよぉ!」

 アマリエの鞍の前に座らされているカミルの驚きには、未知なるものを目にした喜びの方が多分に含まれていた。そして馬を止めてしまった母を振り返り、なぜ一緒に行かないのかと問うように座ったまま身体を上下させる。


 ジェラルドは足踏みさせ馬を落ち着かせながら、対岸に向けて低く声を張った。


「恐ろしいか」


 アマリエの顔は夜目にも青ざめていた。

 先刻ハインツと対峙したとき、矢を放った瞬間に狼姿への変化は目にしていた。だが変化についてはあらかじめジェラルドから聞かされていたし、毛並みの色は別としてその狼としての姿はよく見かける小型の狼そのものであった。


 しかしあのような、巨大な体躯、人間など丸呑みにしてしまいそうな大きな口、槍先のような鋭い牙、地面を蹴りつける度に地響きを感じさせる、引き締まった太い四本の脚は、目にしただけで本能的な恐怖をアマリエに感じさせていた。


 だが、カミルは母を見上げて無垢な微笑みを浮かべる。

「キラキラしてた、きれいな毛皮だったね!」

 アマリエは思わず真顔で見返してしまい、カミルの表情を曇らせる。ジェラルドの声が重なった。


「おそらくあれが、ハインツの真の姿だ」

「ハインツ……」

 掠れた声で、アマリエは呟いた。

「だがな、あれは、ハインツだ。俺達と城砦で五年、家族同然に暮らしたハインツと同じ者だ。姿はおそろしくとも、内側には、お前が育てた人としての心を持っている」


 だが、ジェラルドはアマリエの表情をそれ以上窺えなかった。

 風が唸り、森の木々のざわめきがいっそう激しさを増しはじめた。ジェラルドの目は反射的に岩山へと向けられる。大きな遠吠えが一つ、二つと重なり合い、岩壁に群がる黒い影に喧騒が生じている。ハインツがもう彼らの群れへ躍り込んだのかもしれぬ。


 ジェラルドの周囲にも、生臭い気配が近づきつつあった。獲物を見つけた、自分たちの邪魔をしようとする人間を見つけた――森の奥から幾つもの赤い瞳がきらめき、ジェラルドを殺意を含んだ視線で睨みつけている。


 一匹が、木々の影からジェラルドの喉元を狙い飛びかかってきた。

「ジェラルド!」

 アマリエのとっさの叫びと同時に、ジェラルドは腰の剣を抜きざま、剣の腹で狼の横っ面を弾き飛ばした。空中に黒い軌跡を描いた黒狼は峡谷の崖の下に、小さな鳴き声を残して消えていった。


「お前達はここにいろ! 狼どもはその谷を越えられん! 己の身とカミルを守れ!」


 怒号にも似た声をアマリエに投げつけ、ジェラルドは手綱を引き愛馬に覚悟を決めさせた。跳ね上がった前脚が地面を蹴ると同時に、先ほどのハインツに勝るとも劣らぬ速度で岩山へ向けてジェラルドは駈け出した。


「ハインツは必ずユッテを連れて戻る。それを待っていろ!」


 木々の合間から次々と黒い影がジェラルドに襲いかかった。赤い目が残像を描いてジェラルドに群がり、しかし次々と跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられていく。崖の下に落ちた狼たちの切なげな鳴き声が峡谷に反響して消えていく。


 ジェラルドの言葉通り、対岸までの距離を飛び越えられる狼はいなかった。アマリエとカミルの姿を見やり無謀にも崖を飛んだ狼たちは、皆そのまま遥か下方の急流に吸い込まれていった。




 

 黒い影を蹴散らし、白金色の輝きが岩壁を駈け上がる。


 彼の姿を見た黒狼たちは狂ったように飛びかかるか、本能的な恐怖に脚をすくめた。襲いかかる爪や牙を体当たりでたたき伏せながら、巨体にもかかわらず宙を舞うかのように軽々とハインツは岩棚に飛び込んだ。身を滑り込ませるやいなや身を回転させて、ついでのようにその場の黒狼たちを夜空に弾き飛ばした。


 残った黒狼たちは、岩棚の奥に横たわる白金色の大狼の身体を踏みつけていた。

 かつては月の光を写しとったように輝いていたであろう白金色の毛並みは、血の濁った赤色と泥に汚されていた。その光景に、ハインツの瞳が憤怒の色に燃え上がる。その瞳は大狼の証として混じりけのない赤に変化していた。


 ハインツは飛んだ。黒狼を爪で引き裂き、牙で貫く――そんな一瞬後の自分の姿を頭に描きながら。


 だが、黒狼の血で白金色の毛が汚れる前に、ふとその視線が岩壁の一部をかすめた。腐りかけた倒木が不自然な形で壁の一部を覆っている。瞬間、自分の内側から繋がる糸が倒木をさらに貫いた先にピンと張られるのを感じ取った。


 ハインツは爪を押さえ、牙をかくし、黒狼たちにその巨体を真横から叩きつけた。狼たちは圧倒的な質量に自らとびすさり、多くはそのまま岩壁を転がり落ちる。

 ハインツはさらに巧みに空中で体勢を変え、大きな尻尾を一閃して、まだ残る黒狼たちを全て岩棚からたたき落とした。


 大狼の亡骸を穢さぬよう苦慮した結果、己のその身体も直後に岩壁に激突させたが、その痛みをようよう堪えて立ち上がる。衝撃で倒木が傾き、その内側から大きな緑の瞳がこちらを凝視していた。


「……ユッテ様」


 自分の名を呼ばれたことに驚き、瞳は大きくまたたいた。

 ハインツはゆっくりと近寄ると、鼻面で倒木を横倒しにする。ユッテが小さな手でどれだけ押してもびくともしなかった倒木は、ハインツの一押しで脆く崩れおちた。

 ずん、とした衝撃に思わずユッテは両手で顔を覆う。しかし身を隠すでもなく、泣き出すわけでもなく、指の間からちらちらと新しい白金色の大狼の様子を伺っている。


「僕が、分かりますか?」

 低くくぐもった獣の喉から発せられた声。人のそれとはまるで違うが、反射的にユッテは答えた。


「ハインツ!」

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