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魔女の企み  作者: 有竹
序章
2/39

2.命の代償

「……なんと?」


 聞き返したのはジェラルドだけではない。棚の上で老婆の叱責から隠れていた仔狼も、老婆の様子が変わったことに訝しげに鳴き声を上げた。


「欲しけりゃ、薬でも何でも作ってやるさ。女房の病を治せば良いんだろう。たかだか熱病の一つや二つ、たやすいことよ」

「まことに?」

「熱が下がらん他に症状は? 飲ませて効かなかった薬草の種類も分かっているだろね」

 まだ呆然とするジェラルドに、老婆はいらついたように畳みかけた。

「いらないのかい?」

「い、いや!」


 弾かれたようにジェラルドは老婆に近寄り、症状の詳細を話した。薬草を書き付けた紙も手渡す。それをじっくりと眺めた老婆はふーんと無感動にこぼして、ジェラルドの胸元にぐいっと押しつけるようにしてその紙を返した。


「言っておくが、代価はきちんと頂くからね」

「もちろんだ。金はここに。足りぬのなら今から引き返して――」

「金はいらんと言っただろう」

「では何を?」

「そうさねえ」

 老婆はしばし考え込むような振りをした。視線を幾つか中空の点に合わせて、低い声でふんふんと上機嫌な鼻歌まで歌い始める。やがて振り返ったその口元には、陰湿な笑みが浮かんでいた。

「望むものは、何でも、と言ったね」

「言った。二言はない」

「――お前さんの命、と言っても?」


 にたりと、老婆の口元が歪む。ふいに強さを増した風が、粗末な小屋の板塀をきしませる。仔狼の琥珀色の瞳が、小屋の隅でぎらりと光った。


 だが、ジェラルドの表情は変わらなかった。

「今ここで、喉を突けば良いか?」

 そして腰の長剣ではなく、革のベルトに刺していた小さな短剣を手に取った。ためらいのないその様子に、老婆もまた表情を消してジェラルドを見上げた。


「それくらいの覚悟は出来ていた、という顔だね」

「妻の病が治ればそれでいい。娘が、もうあのような悲痛な声で泣くことがなければ、それで」

 鞘から抜いた、燦めく短剣の刃。研ぎ澄まされた刃の反りを見つつ、ジェラルドは静かな声で言い放つ。

 だが、やがて沈黙の後に、老婆はひっひっと小さく笑って真顔に戻った。


「今じゃない。代価はいずれ受け取りに行こう」

「?」

「ここを血で汚されても迷惑だ。お前さんも、肝心の薬を持ち帰らなきゃならんだろうし、その代価を支払うだけの成果も確かめたかろう。――病の癒えた母に、笑顔で駆け寄る娘の顔も見たかろう」

 ジェラルドの喉が、ごくりと鳴った。思わず開きかけた口を、老婆はうっとうしそうに手で制す。その視線はあくまで無感情に濁ったままだ。


「だが、忘れるな。代価は、後で必ず受け取りに行く。――必ず、な」


 そしてジェラルドに背を向けると、老婆は竈の鍋に目をやった。鍋の湯が沸き立つのを確認した後、棚の小瓶の黒ずんだ液体、壁に吊してあった干し草の束、蓋を開けただけで顔をしかめるような悪臭を放つ小鉢などを幾つか手に取り、板を渡しただけの作業台にそれらを広げた。

「あとは……。白チビ。おいで」

 そして仔狼を呼ぶ。仔狼は棚の上からぴょんと飛んで魔女の手元に降り立つと、従順そうに老婆を見上げた。老婆はそのちいさな口を片手で握って開けさせると、口内に植物の葉を差し入れ牙の辺りをそれで拭った。キャンと仔狼は苦しげな鳴き声を上げ、老婆が手を離すとそのままとびすさり、木樽の隅に隠れてしまった。


 薬研に、乳鉢、小さな蒸留器なども並べて、さて、と小さく呟くと、そのまま低い声で何やらを歌うように、老婆はその作業に没頭していく。

 その背後で、ジェラルドは立ち尽くしたまま老婆の曲がった背を見つめていた。

 短剣は一度鞘に仕舞ったが、その瞳にはさきほどのぎらついた光はない。静かに、老婆の奏でる低い鼻歌を聴きながら、その目には目の前の光景に重なって、妻と娘の姿が映っていた。




 三年後。


「――ジェラルド様」

 声をかけられ、ジェラルドは手綱を引いて馬の脚を止めた。

 呼んだのは隣を併走していた騎士の一人だが、それ以上言われずとも、止まれという意味なのは理解できた。この時同行していた九騎の騎士、そして十数名の歩兵が、みな道の先の同じ方向を見つめて足を止めている。


 都から、駐屯地である城砦への帰り道だった。

 深い森の中の街道。整備した古い石畳が続く道の少し先、やや大木の列が途切れた木々の影に、細身の人間の姿があった。

 この深い森の中で、単身。馬も馬車も見当たらぬ。荷物どころか着物もボロ布を纏っただけのように見えたが、その頭髪は不気味なほど美しく白金色に煌めいている。

 先頭の歩兵が警戒しつつ近寄り、誰何する。そのやりとりを遠目に見ていると、歩兵は足早に戻ってきた。


「子供です。浮浪児のようで……。耳は聞こえるようですが、口がきけぬのか何もしゃべりません」


 浮浪児ならば、この辺りには多い。自ら森深くに迷い込み集落に帰れなくなる子どももいれば、二親を亡くして集落から捨てられる子もある。歩兵はさらに、男児で、年の頃は十歳ほどのようだとつけ加えた。

 男児は、じっとこちらを見つめている。ジェラルドもまた鞍に跨がったまま黙って見つめ返していた。


 白金の髪。そして、印象深い琥珀色の瞳。


「呼べ」

 ジェラルドの声に、は? と歩兵が聞き返す。

「ここに、呼べ」


 歩兵は慌ててとって返すと、男児の腕を掴むようにして森の中から引きずり出した。男児は細く、むき出しの手足もひどく白かった。だが足取りはしっかりとしたもので、ジェラルドの前で姿勢正しく、馬上の彼を見上げた。


「……来たか」


 小さな呟きは、おそらくジェラルド以外の誰の耳にも届かなかっただろう。

 白金の髪。そして、印象深い琥珀色の瞳。ジェラルドにはその男児が何者なのか分かっていた。

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