15 同じこと
「――――にーさん、梓弓おにーさん」
「……ッ、どうした?叶葉」
「終わったから、丸付けして?」
ぷくぅと頬を含ませた叶葉が、空白のないしっかりと書込まれた問題演習の答案用紙を俺に差し出してきた。ぼうっとしていた俺は、叶葉の声に気づかずにいて、慌てて赤ペンを取り出し、それに目を通して採点をする。丸、丸、丸……満点だった。
「全問正解だ、凄いな叶葉は」
「へへ、梓弓おにーさんのおかげだよ。でも、梓弓おにーさん大丈夫?」
「何がだ?」
叶葉は俺の顔をのぞき込んだ。俺は反射的にバッと顔を覆ってしまった。みられたくないという意思の表れだろう。
叶葉に指摘されるほど顔に出ていたらしい。
空澄はまだ目覚めない、相棒の綴とは喧嘩したで、最悪な日々を過ごしていた。学校では1人、行くのも辛くなって依頼があるという理由で休みがちになり、ずる休みがバレて先生にも怒られた。いいことがない、灰色の日々を悶々と過ごしていた。しかし、依頼で失敗するわけにも行かず、その時だけはただ一点に集中し、スコープに映るターゲットを撃ち抜いた。そんなことを繰り返しているうちに、綴の「此の世界でしか生きていけないだろう」という言葉が思い起こされた。
確かに、こんな汚れた手で誰かを救えるなんて思わないし、抱きしめることも手を握ることも出来ないだろう。誰も握ってはくれない。
俺は拳を爪が食い込むほど握りしめた。
「わたしでよければ、話し、聞く……よ?」
「叶葉……」
自分よりも何歳も下の子供を、今は生徒と教師みたいな不思議な関係の叶葉にそんなことを言われる日が来るとは思っていなかった。それと同時に、叶葉を心配させてしまったことに対して罪悪感に似たモヤモヤが心の中にたまっていく。何も手につかないようじゃ、ダメなのに。
そう思っていても、身体は言う事を聞いてはくれなかった。俺はゆっくりと深呼吸をして心を落ち着かせた後、椅子に座り直した。それから、俺は叶葉の頭を優しく撫でる。叶葉は一瞬目を丸くしたが、嬉しそうに目を閉じて頬を緩ませていた。そんな彼女に少し心が救われる。
(この手は、人の頭を撫でても良いものなのか……?)
ピタリと手が止りかけるが、これ以上心配かけるわけにもいかずそのまま数秒間なで続けた。そこに嘘や本当の俺はこんなんじゃない、という叶葉に対しての罪悪感が生れる。彼女は純粋で、可愛い教え子なのに。俺は、汚い教師もどきの仮面を被った暗殺者だ。
「わたしね、最近梓弓おにーさんが、夢に出てきたんだよ」
「俺が?」
「うん、梓弓おにーさんが、わたしの学校の先生をやっていて、皆に人気で、人気すぎてわたし喋れなくなっちゃって。ちょっと悲しいけど、梓弓おにーさんが、皆に人気って言うのが誇らしかったって言う夢」
と、叶葉は目を輝かせて言った。その様子に少し胸が痛んだ気がする。
それはきっと、俺じゃない。
その言葉は口から出ることはなく、俺は「そうか」とさも嬉しいように返した。叶葉は最高の夢だった、とその後も色々話してくれた。真っ直ぐで温かい夢を聞いていて、さらに自分との世界の差を知らしめられる気がして耳を塞ぎたくもなった。
「叶葉ね、大きくなったら梓弓おにーさんみたいに誰かに勉強を教えられる、先生になりたいの」
「先生?」
「うん。だって、梓弓おにーさんも先生になるんでしょ?」
そう叶葉に言われ、俺は目を丸くする。そんなこと一度もいったことがなかったからだ。でも、叶葉の中では俺が先生になるために、先生を目指しているから勉強を教えるのが上手いというように映っているようだった。俺だって、自分で思うのもなんだが、叶葉に教えるうちに教えるコツという物を掴んでいった。何処を褒めればいいのか、どうやって指摘をすれば相手の成長に繋がるのか。観察して考察して、試行錯誤を繰り返し、一緒に悩み答えを作っていく。そういう過程を踏んでいった。
(……待て、それって)
そこまで自分で思って、俺の先生であるあの人のことを思いだした。俺は今、あの人と同じ事をしているんじゃないかと。
「梓弓おにーさん?」
「何でもない。そうか、俺が先生か……なれると思うか?」
「うん!だって、梓弓おにーさんすっごく教えるの上手なんだもん!叶葉ね、お母さんにいっぱい褒められたんだよ!」
「お母さん?」
「あ、あ……言ってなかったけど、えっと、お母さん再婚?する事になって、梓弓おにーさんと同い年ぐらいのお兄ちゃんが出来たの」
「……そ、そうか」
再婚とはまた急だと思ったが、叶葉は母親と二人暮らしで、父親がいなかったのを思い出す。母親が父親と再婚することで新しい家族が出来ることは叶葉にとって良いことだと、俺は思った。それに、叶葉には兄弟がいた方が楽しいだろうとも。そして、叶葉は「桜草」から「瑞姫」に苗字が変わったことも教えてくれた。
「その、お兄さんとは仲良くやってるのか?」
「うん、お兄ちゃん勉強が得意でね、教えるのも……って、梓弓おにーさんの方が上手だから!」
と、叶葉は慌てて訂正した。
まあ、上手くいっているならいい。叶葉のことを微笑ましく思いつつ、その後は学校の話や新しい家族についての話を聞きながら、叶葉は明日のテスト頑張るからと言って、手を振って帰って行ってしまった。
叶葉の背中を見つめながら、俺の後ろで伸びた黒い影が夕日に照らされゆらゆらと揺れていた。




