10 差し出された手
「空澄……何でここに?」
突然現れたターゲットに俺は思わず身構えてしまった。カシャンと後ろでなるフェンス。つい癖で、後ろも出口も塞がれたと、どうにか逃げる道を探してしまう。そんな自分が今は嫌だった。
「先生に連れ戻して来いって言われて、俺様手ぇ、挙げたから」
「そういうのは先生の仕事じゃないのか」
うーん、いろいろあるんじゃないか? と何もわかっていないような顔で、口ぶりで言う空澄。俺はもうこの学校の先生という先生から見放されてしまっている。だからきっと、面倒ごとを同じ年の奴に押し付けようとしているのだ。2者面談というのも面倒くさいが、生徒に向き合わない先生もどうかと思う。
空澄は、俺に手を出したまま首を傾げた。
「あずみん?」
「ここ、立ち入り禁止なのに何で来た」
「だから、あずみんを連れ戻しに来た。一緒に授業受けよう」
と、太陽のような笑顔で言う空澄に俺は思わず目をそらしてしまった。
友達になりたいと思った手前、やはりあの笑顔を前にすると自分とは違う気がして、彼奴の笑顔に、視界に入るのはまた違う気がした。きれいな彼奴の目に、汚い俺を映して欲しくなかった。
俺はそう頑に顔をさらしていると、空澄が勢いよく俺の手をつかんだ。俺は、その手を振り払おうとしたが、必死に俺を見つめる空澄に押され振り払う気も失せてしまった。
「やっと大人しくなった」
「俺は動物かよ……」
「うーん、でもそんな感じがする。目が、何か獲物を狙う獣みたいな?」
と、空澄は悪意が感じられない言葉を発する。だが、俺にとってそれは言ってほしくない言葉だった。結局空澄も俺のことをそう思っているんじゃないかって、少し期待した自分が馬鹿だと思ってしまう。
俺は、空澄の手を払った。
弱く払ったはずだが、パシンッと乾いた音が鳴り、俺はしまったと空澄の方を見る。空澄は、へへ……と自分が悪かったとでもいうように頬をかいていた。これじゃ、いけない。
何とか謝ろうとしたが、言葉がつっかえて出てこなかった。そもそも、なんて言葉をかけていいか、言葉が見つからなかったといったほうが正しいかもしれない。
言いたいことや伝えたいことはあっても、言葉にするのが苦手だった。
俺は何も言えず俯くしかなかった。こっちに非があるのは誰がどう見てもわかる事で、嫌われてしまったのではないかと思ってしまった。その嫌われてしまったのではないかと不安になると同時に、嫌われたのであれば、あの迷いは吹っ切れるのではないかとも思ってしまう。そう、恐る恐る顔を上げれば、彼は変わらずの笑顔で俺を見ていた。
「俺様、気に障るようなこと言っちゃったか」
悪くないのに、そんなことを聞いてくる空澄に良心が痛んだ。そんなつもりはなかったと撤回できれば一番良かっただろうに。
そうして、俺達の間に沈黙が流れる。
空が鳴りだし、このまま雨が降り出すだろと、そう思った時、空澄の方から口を開いた。
「俺様、知ってるぞ」
と、空澄は先ほどの笑顔ではなく真剣な表情で俺を見てきた。すべてお見通しでもいうように、嘘の通じない顔に、俺は思わず後ずさりする。カシャンと再びなるフェンス。逃げ場などどこにもないのに。
空澄の真剣な顔に驚きつつも、何を知っているのかと俺は訪ねた。
「何を知ってるんだよ」
「あずみんが、俺様の命を狙ってるってこと」
「……」
「暗殺者だってこと」
「……」
「昨日、俺様を付けていたこと」
そう空澄は淡々と言った。いつから気付いていたのだろうか、ばれないようにと尾行したはずなのに、人一倍殺意を隠すのは上手なはずなのに、どうして。
まだまだ自分が未熟だと実感しながらも、それをカミングアウトしていったい何が目的なのだと、俺は空澄を見る。
(警察に突き出されば、終わりか……)
俺が捕まるならまだしも、先生が捕まるのだけは耐えられない。あの家を失うのは嫌だった。だから、家宅捜査だけは絶対に避けなければと思い、空澄を見る。彼奴はどう出るのか、俺には予想がつかなかった。
「それを、それをお前は俺に言ってどうする気だ。今は2人きり、今もお前を殺そうと狙っているかもしれない相手に、わざわざ1人できて。推理ショーでもしたかったのか」
そう俺が言えば、空澄は首を傾げた。
全く警戒心のない空澄に呆れてしまう。そこまで気づいているのに、詰めが甘いのか、俺を試しているのか、どっちにしろバレてしまったらもうやるしかないと思った。
生憎武器は何もないが、屋上から突き落とすぐらいはできると思った。自殺に見せること、それか取っ組み合いになって落としてしまったとか……どれにしろ、すぐに犯人だと見つかってしまうだろう。いい策はない。
そんな風に構えていれば、空澄は違うとでもいうように首を横に振った。
「あずみんは、俺様を殺さないだろ?」
「は?」
「だから、俺様を殺さないって言ってる。絶対に殺さない」
「そんなの、どうして――――」
俺の迷いに付け込んだか、それともまぐれか、命乞いか。何かは全く分からないが、得体の知れなさに、俺は手が震える。
(違う、この手の震えは……)
恐怖や焦りと他に、高ぶりも感じていた。
そんな俺を見て、空澄はこう言い放ち、もう一度手を差し出した。
「鈴ケ嶺梓弓、俺様と友達になってくれ」