09 高く澄み渡る空
いつもより空が高く感じた。
少し強めの風が吹き、これから雨でも降るんじゃないかというぐらい鈍色になった空には、分厚い雲がもくもくと流れてきている。
俺は、授業をさぼり立ち入り禁止の屋上にいた。
フェンスをつかみ、グランドで体育の授業に励む生徒を見てミニチュアを見ているみたいだと感想を抱く。何をそんなに一生懸命になれるのか、彼奴らは未来を見据えて未来のために今を浪費しているのか、考えだしたら止まらなかった。でも所詮は他人事と、眺めるのをやめフェンスに背を預けた。
そういえば、空澄の暗殺の依頼書には理由が何も書かれていなかった気がする。依頼人の名前も、理由も何もなくただ此奴を殺してくれと匿名で。匿名の依頼はほとんど請け負っておらず、今回の場合は特殊だが、一応は依頼人の顔が見える形にはしている。変に気取った名前の依頼人がいるが大体はフェイクで、そういう依頼人の情報をつかみしっかりと依頼を達成したことを報告するのは全部先生の仕事だった。少ない情報から先生は依頼人の顔を割り当てる。エスパーとかハッカーとか言い方はよくわからないが、俺の知らないことまで知っている。先生を出し抜くことも、敵に回すこともやめた方がいいと俺は依頼をしてくる奴に思っている。
先生のすごさは、頭1個分以上抜けているから。
だが、本当に今回は異例で、隣で依頼内容を確認していたはずの先生は何も言わなかった。もしかすると、空澄が俺の同級生だからという理由で何も言わなかったのかもしれない。真相は闇の中であるが、先生が何も言わない以上、先生は俺の依頼を横取りすることもないだろう。だが、依頼を達成しなければ暗殺者として何傷がつく。
自分の腕に泥を塗るか、空澄を殺すか。その2択なのだ。
(彼奴、恨まれるようなことでもしたのか?)
空澄は嘘をつけるような人間には思えない。ここ数週間顔を合わせて、一方的な会話をしてきてそれは紛れもない事実だ。もし、本当に気づいていたとして嘘をついているのなら、相当空澄はやり手ということになる。だが、調べたところ、空澄家の御曹司は、子供は彼しかいないらしく、空澄が家を継がなければ財閥は爛れてしまうだろう。だから、ある程度は頭がいいはずなのだが……
(この間の漢字テスト、俺より低かったよな?)
空澄を観察するに、空澄は勉強ができないタイプだった。俺より悪い……わけではないが、理数以外が全滅だった。とびぬけて数学が出来たが、まぐれかと思うほどに毎度100点を取っている。そのほかは1桁だというのに。
まあ、頭の良しあしに関わらず、何故空澄が狙われているかという問題に戻る。彼奴が仮に頭がよかったとして、それを利用し悪事を働いたのであれば、恨みを買うだろう。だが、絶対に彼奴はそんなタイプでないし、そんなことをするような奴じゃないと思う。
(何で、俺は空澄の肩を持っているんだ?)
まるで擁護するように、俺は空澄のいいところや狙われる理由がないという。ターゲットと狙撃手であるのに、何故こんなことになっているのか。殺すべき相手の肩を持っているのか、自分でも理解に苦しんだ。だが、この数週間空澄といて悪い気はしなかったし、しつこいほど俺にからんでくる彼奴がかわいくも思った。なつっこいところは愛嬌があると。その笑顔に絆されていたのかもしれない。
「…………」
だからよりいっそ、迷いが生まれた。
誰かが空澄を殺せと言ってる。俺はその依頼を受けた身だ。その依頼人の声を聴き受け入れた身である。だから、今更破棄ということはできない。信用にかかわるから。
だが、俺はこの数週間殺せるほどに隙があった空澄に1度も銃口を向けることが出来なかった。それどころか、細い首に手を掛けることすら。
(駄目だとわかっている、だが、これ以上引き延ばせばきっと……)
いつでも殺せるから、今じゃなくていい。そう言ってずるずるやってきたつけが回ってきた。ここまでくると、きっと俺は殺せない。肩を入れてしまっている、感情移入をしてしまっている。きっと戻ることのできないところまで、彼奴が俺の中に入ってきている。
こんなはずじゃなかったと、俺と彼奴は住む世界が違うのに、俺はあいつの眩しさに充てられている。何も知らないまま、俺に光を当て続けている。眩しい、鬱陶しい、煩わしいのに。
(俺は彼奴の友達になりたいのかもしれない)
1度も欲しいと思わなかったのに、離れていくぐらいなら、友達にでもなれたらと思ってしまっている。でも、なれるわけないし、そんな願いを持つだけ無駄だとわかっている。俺はため息をついてもう1度空を見上げる。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、さすがに戻った方がいいかと、扉の方を見れば、見慣れた背丈の格好の奴がいた。
「……は、何で?」
「あずみん、サボりはだめだぞ。後、屋上は立ち入り禁止って聞いた」
そう言って俺を連れ戻しに来たと、手を差し出したのは、俺の中をかき乱して出ていかない、空澄だった。