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小さな聖女は血に誓う  作者: 功刀 烏近
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四章 夜は安息と秘密を司る(4)

 もはやヘリテの聡明さを持ってしても、理性的な反応を返す事は出来なくなっていた。ただ精一杯ヒステリックに叫ぶ事でしか、少女は抵抗を示せない。


「嘘……嘘よ! そんな……そんな恐ろしい事、あるはずがない!」

「ご心痛如何ばかりかとは存じますが、残念ながら事実でございます」


 クゥエルは主への憐憫で言動を曲げるような執事では無い。だが、流石にその顔は苦々しさに歪んでいた。


「街中で行方不明になっても目撃談が出ない理由も判明しました。インフェルム湖岸伯領の湖岸都市は、そもそもが深淵教団の隠れ里でもあったのです。犯行現場が犯人の協力者だらけなのですから、出てくるはずがありません」


 荒唐無稽こうとうむけいと言われても言い返す術のない、あまりにも非常識な背景事情であった。


「また物的な痕跡が出てこなかったのは……死亡した証拠となる殆どが供物として消費されていたからでした」


 肉も、骨も、血も、皮も。果ては髪の毛すらも。

 被害者達の遺体は全て細かく分かたれ、邪神を奉じる者どもの腹の中に収まってしまったと言うのだ。祭祀の参加者には人に化けた屍食鬼も含まれていたというのだから、指一本とて残る筈が無い。

 残っているものがあるとすれば、死に際の精神が過ぎていく時に刻みつけた、恐怖の悲鳴くらいのものだ。

 そして痕跡の無さは、別の問題も引き起こしていた。


「この大規模な深淵教団の所業を一刻も早く止めるために、ガゼットリア王家か六大神の教会に介入してもらう必要がありました。そのための十分な証拠を短期間に集める事が困難だったのです。最短かつ確実を期すためには死霊魔術士ネクロマンサー神官オラクル……いえ、法術士フォージの助力が不可欠でした」


 神官は秩序の神の声を聞き法術アクトを習得した者の総称だが、法術士はその中でも戦場や辺境で法術を行使する経験を経た実戦的な魔術士を指す言葉だ。白魔術士ホワイトメイジと呼称する場合もある。

 自分には行使できない術式による支援を求めて、クゥエルは秘匿してきた連絡経路を用いて各教会への応援を要求した。

 だが、まさかその結果があの夜の惨劇をもたらすとは、まるで予想できていなかった。


「応援として最初に到着したのは、死神ディスクティトラに仕える非正規の神殿騎士団でした。各地の神殿に付随する非正規戦力は灰の軍勢(グレイホースト)と呼ばれますが、それ自体は珍しいものではありません。……最悪だったのは、その騎士団が深淵教徒の血に飢えた狂信者ファナティックの群れだった事です」


 その神殿騎士団はバルボアではあまり有名ではない、香り高い可憐な花を紋章シンボルに用いていた。まるで自らに染みついた血腥ちなまぐささを隠すかのように。

 湖岸都市に到着した騎士団はまず、クゥエルに無断で即座に屋敷を包囲し、出入り口を封鎖した上で魔術による猛火を放ったのだ。その日丁度行われていた祭祀の現場を襲撃し、集まった深淵教徒の逃げ場を断って一人残らず根絶やしにするために。

 騎士団の到着すら知らされていなかったクゥエルは、とっさに火事に巻き込まれる寸前だった無関係な召使いや侍女達を避難させた。彼女らを見捨ててヘリテだけを脱出させる事は、ヘリテの性格をかんがみて困難だと判断したからだ。

 加えてヘリテの寝室は屋敷の端に増設された離れのような位置にあり、本来なら火が回ってくるまでには時間に猶予ゆうよがあるはずだった。だがあまりにも火勢かせいが強く火の回りが早過ぎた事、加えてヘリテが想定外の行動力を発揮して部屋の外に出てしまった事が、不幸にも刻限こくげんを縮めてしまった。

 焼けた鉄のような焦燥しょうそうを飲み込んだクゥエルが救出に戻れたのは、ヘリテの身に悲劇が既に起きた後だったのである。


「……その際、戻る途中で騎士団の会話を盗み聞く事が出来ました。ご当主と奥方様のご逝去を知ったのもこの時です。他にも、執事や都市の有力者など、教団の中核メンバーは死亡が確認されていました。規模はそう大きくはありませんでしたが、あの神殿騎士団は思想はともかく戦力としては相当に練度の高い、精兵の集まりだったようです」


 無論、詳細な内容は短時間の盗聴とうちょうでは分からなかったので、クゥエルはヘリテを洞窟に避難させた後にもう一度屋敷周辺に戻り、密かに情報を収集して補完している。

 その時新たに分かったのは、騎士団が屋敷の包囲から徐々に人員を割いて、湖岸都市内に潜む深淵教団の残党狩りを始めようとしている事だった。

 惨状はまだ拡大する恐れがあったが、騎士団がもしヘリテとクゥエルの逃走に気付いても追っ手を出す人的余裕が無いであろう事を示してもいる。クゥエルからすれば数少ない安心材料だった。


「……後の次第は、お嬢様もご存じの通りでございます」


 クゥエルの説明が終わった時には、ヘリテにはもう震える声で、自分にとって最も大事な事を問い質すことしかできなくなっていた。


「では父様と、母様は……騎士団に……?」

「いえ、ご当主と奥方様は逃げ切れぬ事を悟り、祭祀場の奥で毒酒をあおられて自害されたとの事です。……僭越せんえつながら、賢明けんめいなご判断であったと愚考ぐこう致します。もし生きたまま捕まれば、一体どれほど苛烈な尋問じんもんに晒されたかも知れませぬ故」


 その言葉を聞いた瞬間、ヘリテは目の前が真っ暗になるのを感じると共に、初めて血を吸った時のように一瞬で意識を失った。だが失神するほどのショックを受けたのは、ただクゥエルの告げた内容が衝撃的だったからではない。

 ヘリテの心の何処かが、無意識の内にクゥエルの言葉を全て事実だと肯定していたからだった。


 クゥエルは椅子から転倒しかけたヘリテをとっさに抱き止めると、そのまま遮光結界で囲ったままの寝台へとヘリテを運び込んだ。

 腕の中の身体は氷のように冷たい。精神的なショックが肉体にも影響を与え、転化した肉体の一部たる術式が消耗を補うために、自動的に周囲の熱量を収奪し始めていた。

 直前に血を飲んでもらっていなければ、教会の密偵達で共有するこの潜伏施設セーフハウスが丸ごと氷漬けになっていたかもしれない。

 クゥエルとしては、いっそその方が潔くて気が楽だとすら思ったが。


「……」


 ヘリテを横たえた寝台の前で、闇の中クゥエルは一人静かに自責の念と格闘する。

 どこまで伝えるべきか、正直なところ迷ってはいた。自分にはあまり上手い誤魔化し方は出来ないし、ヘリテに虚偽を伝える事にも激しい抵抗があった。何より、彼女は自分が思っている以上に聡明だ。下手な嘘は何時見破られてもおかしくない。

 他の人間相手ならばこうは迷わない。必要とあらば幾らでも隠し、欺き、欺してみせよう。わざわざ口で嘘を答弁するまでもない。なにしろ、不在を存在させて見せる事は虚数魔術の本分でもあるのだから。

 だが、ヘリテにだけはやり抜く自信がまるで湧かない。彼女に仕えると決めたその日から、あまりにもクゥエルとヘリテは真摯な関係であり過ぎた。

 気がつけば、クゥエルは寝台に向かって手を組み、主神に対して祈りを捧げていた。


「……お許しください。お守りください。影神ヴェインよ、日陰を歩く私の不徳と不義の報いを、今少しの間私の傍から遠ざけてください」


 クゥエルの記憶にある限り、これほど精神的な重圧を憶えるのはガンガルゴナの路上を彷徨っていた頃以来だった。

 ヘリテに聞かれた時に、どう答えるか迷っていた事は他にもある。

 クゥエルがガンガルゴナで吸血鬼に仕えたのは事実である。

 だが、それが何時頃だったのかという事だ。

 従者養成学校に入るよりも前の事……それどころか、孤児院に保護される以前だと伝えるのは、もう少し後回しにしたかった。


「影神ヴェインよ、い進む者に与えられし、畏れの光をさえぎ目庇まびさしよ。慈悲深きあなたに祈ります。我が逃走を捧げ、応報おうほうを積み増す代価たいかとして、我が宿願しゅくがんげる猶予ゆうよをお与えください」


 祈る狭間に、水底みなぞこのような過去から淀んだあぶくのような記憶が浮かび上がる。よどにごりながら、鈍く硬く光る記憶が。


『……クゥエル。お前、辛くないのか?』

雑魚ざこ共の振りをし続けて無理矢理群れの中に潜んでも、そんなんじゃ採算さいさんが採れないだろ?』

『所詮お前はこっち側だ。外見じゃ無い、中身の問題だ。どこまでいっても羊の皮も被りきれない、牙のデカすぎる狼なんだよ』


 それは、かって仕えた最低最悪の主、魔術師にして吸血鬼だった男が好き勝手言ってくれた言葉の数々。

 反射的に、クゥエルの内心が吠え返す。


(黙れクズめが)

(従者を非常食で作った魔動人形ゴーレム程度にしか考えていない外道が、上から目線でさえずるな)

(お嬢様の爪の垢すら、貴様如きには勿体ない)


 一瞬思い浮かべるだけで罵詈雑言ばりぞうごんが溢れるように湧き出てくる。実際、次に会ったら必ず殺してやるつもりだった。

 残念ながらクゥエル自身のこの願いは叶わないだろう。だが構わない。今の、そして最期の主のためならば、今更この程度の殺意を飲み込む事など安いものだ。

 その後は全ての虚偽の責をこの汚れた首にぶら下げて、ヴェインの短剣の前に投げ出すだけの事なのだから。


 ヘリテとクゥエルの二人は結局、さらにもう一晩を丸太小屋で過ごす事になった。その間、告げられたショックによる衝撃から立ち直り切れていないヘリテは、呆然としたまま一言も喋らずに足を抱えて椅子に座り続けた。

 執事は淹れる度に冷たくなる薬草茶を換える時以外は、ずっとその横に控えて主の沈黙にはべり続けた。

 その甲斐もあってか、小屋に来て四度目の夜に入った時にはどうにか先に進める程度にヘリテの心身も回復していた。

 

 だが一方で、予期せぬ長い滞在の間に二人との距離を詰める一団があった。

 一団と言ってもその数はほんの六名に留まる。皆一様に薄い灰色のマントを頭からすっぽりと被って、ガゼットリアからバルボアへと向かう街道を足早に進んでいた。

 互いにたったの一言も交わさずに、黄昏から暁にかけての夜の只中に。月の有る無しにも気をかけず。

 普段なら絶好の獲物と襲いかかる野生の獣達も、その一団に対してはむしろ息を潜めて行き過ぎるのを待っているかのように静かだった。

 小走りに近い速度で歩き続ける一団の、先頭を行く者のマントの裾が風にはためいた。

 星の光を反射するのはマントよりも昏い灰鉄かいてつの甲冑。背中から突き出した十字型の大剣の柄は、染み込んだ何かによって黒々と染まっている。

 甲冑の肩口には二つの紋章が刻まれていた。

 片方は一つの柄を共有するかますきの紋章。播種はしゅから収穫しゅうかくまでをもって死によって完結する生を暗示する、死神ディスクティトラの聖印ホーリーシンボル

 もう片方は聖印ではない、房状に咲く淡い紫の花を交差させた紋章。

 強い香気によって魔と不浄を退けると言われた薫衣草ラヴェンダーの名を冠する、とある神殿騎士団の紋章であった。


ようやっと長い一夜が明けました。そして次の夜まで、少し場面が移ります。……次回次々回くらいまで、多分。。

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