九章 小さな聖女は血に誓う(22)
全身に力が入らぬまま、疲れ切った老人の仕草でアッシャーはその場に膝をつく。
同時に、半ば反射的に、切れ切れの言葉で喚いてしまう。
「従者……貴様、何をした……ッ!」
口にした言葉の情けなさに全身から血を吹くような気分を味わいながら、アッシャーは未だ我が身に起きている現象を理解できずにいた。
目の前のヘリテも同様のようだった。剣を落とした後もアッシャーの手を掴んだまま、呆然とした顔でアッシャーの苦悶の表情を見つめている。アッシャーからすれば即座に手をもぎ離したいところであったが、出来なかった。
アッシャーの両手は今、アッシャーの意志を全く受け付けない。まるで別人のものにすげ替えられたように、完全に麻痺している。だがおかしいのは、治癒法術をいくらかけても何の手応えも無い事だ。
毒の類いである事も予想済みだ。だが、解毒の術式も空振りした。毒が強過ぎて跳ね返されるのではなく、何の手応えも無い。何の毒にも犯されていない証拠だった。
激痛と麻痺がある。なのに異常が一切検出できない。まるで、全くの健康体だと言わんばかりに。
むしろ治癒法術を重ねれば重ねるほど、腕の痛みは増していくようですらあった。
状況そのものの異常さと理不尽さにただ怒り狂う事しか出来ずにいるアッシャーに、クゥエルは深く息を吐いてから、取り戻した冷静さをもって答える。
だがその回答は、まずアッシャーを評価し褒める言葉から始まった。
「アッシャー司祭。貴方との手合わせで、貴方がその武力以上に恐るべき意思力を持っている事がよく分かりました。その点については素直に驚嘆し、賞賛します。……そして認めましょう。私の技量では、貴方を殺し切れない」
事実だった。クゥエルは虚数魔術を操る暗殺者として、持てる全ての絶技をもってアッシャーを殺しにかかり、そして失敗した。
捨て身の攻撃すら無駄だった。圧倒的な対抗魔術の出力と無尽蔵の再生能力の前では、クゥエルが一人無駄死にする以外の何の結果も引き起こせない。あまりにもはっきりと結果が見えていたが故に、クゥエルも自殺行為を試さずに済んでいた。
だがクゥエルも虚数魔術士に対する神殿騎士の相性の悪さは理解していた。理解した上で勝算もあったのだ。それこそが短期決戦、一方的な途切れぬ攻め手で相手の天命を徹底的に削る事だった。
ただし必ずしも削りきって天命消尽を引き起こす必要は無い。終わりの見えない痛みと死の恐怖で、アッシャーの気力と体力を摘む事こそが目的だった。治癒法術とて術式であり、不発に終わる事もある。精神の統制が失われれば術式の成功率はさらに下がる。回復が間に合わないと予感、あるいは錯覚させる。そのためのペース配分の微塵も無い、後先考えない攻勢だった。
だからこそクゥエルは敗北した。戦う前から負けていたと言ってもいい。大前提を間違えていた。アッシャー=ダストという神殿騎士の精神は、死にも痛みにも親しみ過ぎている。常在戦場を越えた常在死地の精神力には、どれほど深く鋭い傷でもさざ波ほどの恐怖も与えられなかった。池に石を投げて波紋を起こそうとして、分厚く凍り付いた水面に跳ね返されたようなものだ。
だが今この時、直前の敗北こそが意味を持った。
クゥエルは自らの変遷を語る。
「ですが、この度はその意思力を利用させていただきました。私はそもそも最初から、切り込み方を致命的に間違えていたのです。まずその点を改めました」
「馬鹿な、暗殺者に他のやりようなど、あるはずがない……!」
「左様でございます。よって私は暗殺者としてではなく、執事の技術の一環をもって、アッシャー司祭。貴方の異常を治療しました」
「……あぁ? 何を意味の分からん事を……」
迂遠かつ意味不明な言い方に苛立つアッシャーに、クゥエルは慇懃無礼すれすれの丁重さで言葉を続ける。
「ご理解ください、アッシャー司祭。今の貴方こそが正常なのです。故に治癒法術では治りません……貴方はその強過ぎる精神で肉体を支配していました。ですが、肉体は既に限界を迎えていたのです」
「執事が十全に主の要求に応えるためには、自分自身の性能を十全に維持する事が重要です」
滔々(とうとう)と、特に誇る訳でもない普段通りの無感情な口調で、アッシャーは続いて執事としての心構えの一端を語る。
「つまるところそれは自らの管理保全です。自らの自律調整が出来ていない執事は三流以下。当然私も最低限必要な知識と技術を有しています……その知識を元にして私は今、司祭の腕の奥、神経の集合している一点を術式により刺激しました」
いわゆる経穴、ツボと言われるものである。本来は適度な刺激によって疲労を発散させ、和らげる事が出来る部位。
だが、和らげようにも限度というものがある。
「本来は肉体の疲労回復を促進する目的として行う、れっきとした治療行為です。……ですが司祭の無理に付き合わされた肉体、特に神経はすでに限界でした。私の放った針は司祭の神経にその限界を自覚させただけです。結果として両腕は自発的に神経を麻痺させ、自発的な休眠に入った訳ですが」
「休眠……?」
アッシャーの口調がいぶかしげに曇る。
例えば、人間は眠らないで活動し続けられるようには出来ていない。
吸血鬼ですら眠る。個々の限界に違いはあっても、限界があるという一点については平等である。
そして治癒法術でも、眠る事そのものを完全に排除する事はできない。睡眠は生物にとって必要な行為であり、自然な欲求だからだ。老衰による衰弱を防げないのと同じで。
これが示すのは、即ち術式では疲労は癒やせないという事実だ。
魔術の行使が無限に行えないのも、一つには過度の集中で脳が疲労してしまうからである。脳の疲労を一時的に誤魔化す術式は存在するが、あくまで誤魔化しているだけであり、疲労の限界そのものが無くなる訳では無い。疲労が限界に到達すれば、最終的には術者は気絶する。
当然、脳以外の疲労も残る。筋肉然り、神経然り。
特に神経はある感覚によって極度に疲労する。
痛み、痛覚だ。
痛みは危険信号だ。激しく感じる程に、神経に対して危険に備えるための緊張を要求する。緊張とは過度の集中だ。集中とは全力を尽くして働く事だ。要するに、痛みを感じる度に神経は酷使され、疲労する。
幾ら損傷を治癒法術で修復しても、傷ついた時の痛みそのものが無くなる訳ではない。そして痛みの負荷は意志を挫くだけでなく、緊張を引き起こす事で神経に疲労を蓄積させる。
アッシャーは神経の負荷を類い希な――殆ど狂気と言って良い――意思力によって耐え続け、無視、つまり誤魔化し続けていた。
だがクゥエルの放った針による刺激が、神経に自分の疲労を直視させた。極度の負荷が溜まっている事を自覚させられた神経は、アッシャーの意志に反して機能を停止したのだ。これ以上の負荷から逃れるために。
――とはいえ、こんなものはセルフケアレベルの知識と技術で引き起こせるような現象ではない。実際にはクゥエル=ファルゴットの職業暗殺者たる面目躍如である。縫い針よりも細い傷で強制的に呼吸を止める事すら可能な経穴の知識は、虚数魔術と危険なほどに相性が良い。
無論アッシャーに対しても、クゥエルは致命の一撃として経穴への攻撃を繰り出してはいた。しかし肉体の破壊自体は傷の修復によって無効化されてしまう。断たれた骨すら一瞬で繋ぐアッシャーには、蚊の一噛みほどの効果も与えられなかった。
殺傷目的の破壊では、治癒法術によって防がれてしまう。
だが、生きるための機能を破壊するのではなく、回復のためにより活発に働かせただけならばどうなるのか――。
「幾ら意志が強くても、意志の強さだけで自分の心臓を止める事は出来ない……それと同じく、自分で存在を把握していない神経が過負荷に耐えかねて休眠に入った時、気力だけで対応する術はありません。治癒法術も効きません。何故ならそれは怪我でも病気でもない、ごく自然な回復過程だからです。……再発防止には投薬治療を含む定期的な静養をお勧め致します、過労僧殿」




